私は三人姉妹の長女です。年子の妹と9歳違いの妹がいます。今は姉妹とは全く疎遠になっています。1人息子とも距離を置いています。今は、それもありかなとやっと考えられるようになってきました。もともと次女とは幼いころから余り仲が良くなかった記憶があります。末っ子の妹は我儘でしたがお人よしなところもあり少し私と似たところもありました。お互いに成長して嫁ぎ先の環境で全く考え方が違い姉妹の距離感は増してきました。すぐ下の妹は東北の医者に嫁ぎ3人の女の子をみんな女医にした頑張り屋の教育ママさんですが、お姑さんと気が合わず1日に何度も愚痴の電話を掛けてきて両親も居留守を使うくらいに大変でした。その後,次女はお姑さんを二男の所に行かせてしまいました。そりゃあ、妹には妹の言い分もあると思うのですが義母が弟の所に行ってしばらくして義弟が白血病になり、また妹の苦労が始まり、以前に増して電話攻撃と終いには恨み言が始まり両親は疲れ切ってしまい余り電話をしないようにと言ってしまいました。妹はお姉ちゃんは、お姑さんの苦労がなく自分の親だからわからないのよ・・・でもね、お姑さんは捨てれても自分の親は捨てれないんだよと言った言葉にまた火が付きその後のお付き合いがなくなりました。末っ子の妹は母親が甘やかし過ぎて我儘でしたが料理好きの優しいところもありました。東京の歯科医院に嫁ぎ二女を設けましたがお姑さんとやはり上手くいかずこちらは離婚を選び、離婚成立の前に新しい男性とお付き合いが始まってしまい義弟にばれないように少しでも養育費を多くもらえるようにと私も必死でした。妹はそんなことお構いなしで本当に・・・・・・
その挙句、離婚して親に息子を預けて働き、たまたま仕事にも恵まれていた私に、お姉ちゃんは運だけで生きてる人だから私だって自分の親に子供の世話をしてもらえたらもっと仕事できるよ・・・・・・・・ううう・・・・・自分の親だから割り切れないこともある・・・まして親はまだまだ元気・・・口も元気・・・遠慮がない・・・
じゃあ、あんたが自分の親と暮らしてごらん・・・3日で家を出るよ・・・その妹ともそれっきり・・・・・
息子が中学2年生の時に離婚してからは特に父には借りを作りたくなく、息子を親のエゴで私のように家に縛るような人生を送らせたくないと親の援助は受けなくてすむように生活費と教育費は自分の力で払えるようにと自分に言い聞かせるように必死に働いてきました。意地になって働いていた私は息子に目を向ける暇などありません。私の代わりに妹二人は本当に息子をよく可愛がってくれたようです。感謝も沢山あります。
でも、運だけで仕事に恵まれたわけでなく、その頃の私は息子の不憫さを思うと、今の私に出来ることは父親のいない家庭の子でも立派な大学に入れて独り立ち出来るまで親として恥ずかしくない仕事をしていかなくてはと365日事務所に泊まり込みで働いたこともありました。そんな努力が認められて運を掴みとったのです。運なんて何もしなくて掴めるほど人生甘くないし・・・

乳がん手術のとき、幼い子供を抱えた息子夫婦には迷惑も掛けたくなかったので一切来るなと言い細かい説明もしなかったせいか私の思い上がりで小さな溝が出来てしまったようです。付き添いは主人だけでした。癌の大きさがかなりあり手術時間も普通より掛ったようですが、さぞや主人は心細かったことでしょう・・・・・・・ごめんね!・・・・・こんな私で・・・・・まだ死なないみたい・・・・・

また、こんな姉妹関係ですから、自尊心の強い父が亡くなった時には父も想像だにしないような骨肉の争いが起こりました。まるでテレビドラマのような争いで未だ後遺症が残っています。