五禽戯の始祖~神医 華陀の故郷(安徽省亳州市)を訪問

 

かだ庵7

 

かだ庵6

 

時 期:GW期間 4月29日(土)~5月5日(金) 

 

三国志の魏の武帝 曹操の専属医師を務めた、中国伝統気功運動での五禽戯の始祖~神医 華陀は曹操との同郷の人物です。

 

京丹後市 五禽戯5

 

京丹後市 五禽戯4

 

五禽戯訪問団

 

安徽省亳州市

http://www.bzwhly.gov.cn/jp/info/500206/1/

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%B3%E5%B7%9E%E5%B8%82

 

http://e.ahta.com.cn/jp/anhui/1500-intro.html

 

すべての武術象形拳種や太極拳、気功のルーツになった伝統気功(動気功)は「華侘五禽戯」です。

 

その亳州市の伝統五禽戯の正式伝承者の皆様から10年前の2007年より、2009年の5月、9月私は安徽省亳州市を訪れて学び日本人第1号の継承者となり、

 

今年2017年で五禽戯交流記念10周年となりました。

 

三国覧勝宮

 

 

かだ18

 

新聞

 

記念館3

 

記念館4

 

それが2010年から、中国政府と日本政府の間で起こった政府要人トラブルの影響を受けてしまい、

 

それから五禽戯は中国政府の「国家級 非物質文化遺産」であることから、政府間同士で国際的に大きな問題が起こると民間でも交流活動を停滞させられてしまっていました。

 

そして今両国間のわだかまりが解けたことで、一昨年の11月に亳州華侘五禽戯の先生方が友好都市である 京都府京丹後市へ来日され交流し、再び民間同士での交流活動は行っていこう、ということになり、ようやく研修を今年の5月から再開できます。

 

「京丹後市にて」

http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-12093344631.html

 

今回は、今現在の私達からは21世紀新時代型のメンバー構成で、その長き歴史や文化を肌で感じ、楽しむ交流研修ツアー(五禽戯の研修、漢方薬大市場、華祖寺院、曹操の運兵道など)を行います。

 

亳州は、かつては「亳」(はく)、「譙」(しょう)、「譙郡」(しょうぐん)などと呼ばれた地で、中国の都市文明が早くから花開いた場所で、歴史書によれば、亳州の地は3,700年前にはすでに記録に現れている商朝(殷)の時代には経済や文化が発達した都でした。

 

その亳州市は「三国志」の曹操や華侘の五禽戯の故郷で3700年の歴史を誇る都であり、

 

日本とゆかりある魏志倭人伝の「魏」の国の中心であり副都であった古き文化と歴史の思いを馳せながら訪ねる旅です。

 

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今や世界から注目され、現代中国の首都、古えの明、清代から残る、街並みのある「北京」では天安門、紫禁城、故宮博物院や天壇、万里の長城などの名所を周り 骨董品や書や掛け軸などや中国茶などのお買い物などを楽しんで、北京名物料理も満喫します。

 

北京1

 

北京2

 

北京4

 

北京3

 

いつものように研修ツアーでの航空券利用での、早割りについては、近々人数が確定した時点で、通常通りにすぐに申し込みへ入ります。

 

旅1

 

旅2

 

旅3

 

2009年 5月 2度めの研修ツアー

http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-10254417057.html

 

2009年 9月、3度めの訪問

http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-10341113297.html

 

今回2017年の亳州五禽戯ツアー日程は以下の予定です。

4月29日(土)~5月5日(金)6泊7日

1日め 午後:到着後 北京市内観光(天壇 天安門 故宮 紫禁城) 夜:寝台列車で移動
2日   午前:亳州 観光 午後 五禽戯研修
3日   午前:練習 午後観光 夜練習
4日   午前:練習 午後練習 夜宴会 夜列車で移動
5日   午前:北京 市内観光 北京体育大学見学などを予定
6日   北京 万里の長城への観光
7日   午前:買い物など 午後:帰国

 

(※航空券チケットを早割りでの申し込みは、近々人数が確定した時点で、通常通りにすぐに発券に入ります、後は2次申し込みは、出発前まではチケットがあればできますが、航空運賃では普通料金になります)

 

今回の訪問で、亳州に私は4回目の訪問。

 

魏志倭人伝での「魏」への「倭人」への日本人としての歴史的ノスタルジーの想いが高まります。

 

「倭国」

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD

 

そうした考古学的な研究交流も含めて今後は、より共同発展のための交流活動を21世紀型で再開できることに喜びを感じています。

 

倭人字磚(わじんじせん)【有倭人以時盟】

「倭人は直ちに盟約を結ぶだろうか」の記述があります・・・

 

 

 

倭王は、57年、107年に、漢へ使者を派遣していた・・・

今年は「2017年」ゆえに私は「その地:亳州」へ赴く・・

 

参考資料

 

「倭人字磚(わじんじせん)」

 

安徽省(あんきしょう)亳県(はくけん)にある、曹操一族の墓群の中の【元宝坑村一号墓】から、多量の字磚(じせん)が出土された。


この中の一枚に倭人という文字が確認されています。


この墓は曹胤(そういん)の墓と言われていますが、建てられたのは後漢の建寧年間(168-172年)です。

 

倭人字磚(わじんじせん)


【有倭人以時盟】

「倭人は直ちに盟約を結ぶだろうか」

 

倭国が乱れた時代と重なる・・・


『後漢書』東夷傳 倭

【建武中元二年 ( 57年 )】
【倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬】
【安帝永初元年 ( 107年 )】
【倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見】

倭王は、57年、107年に、漢へ使者を派遣。

 

【桓霊間倭國大亂、更相攻伐、暦年無主】

後漢書によれば、倭国が乱れたのは【桓霊間(146-189年)】とある。
すると最後に漢を訪問して、40年以降に倭國は乱れたことになる。