今年の上海での研修期間では、花妙林老師から、毎日本当に沢山の貴重なお話しを聞かせて頂き、その中で「中国武術界の状況」私からは「日本における武術活動界の状況」を、様々な面から本当に沢山の歓談を毎日朝から晩までしていました。
その中には、これからの日本国内の活動で大いに活かせるヒントがたくさんあり、そうしたお話ができるのも上海へ来る楽しみでもあります。
今までの本場の中国武術界の歴史では1949年の中華人民共和国の建国があり、
中国政府の下、1956年に国家体育運動委員会が設立され、その中に「中国武術協会」が成立し、
中国武術協会の成立は、中国全土での武術組織を統一し規範化されたことを表しています。
そして1985年、中国陝西省の西安市で第一回国際武術大会が開催され、国際武術連盟が成立されました。
こうした今までの流れが、中国武術の世界的発展にとって画期的なできごとでした。
私が武術の道に踏み入れたのは1982年の13歳で、そして中国大陸の上海の地で初めて足を踏んだのは1985年16歳の時でした。
当時は中国武術協会設立メンバーの2代目の世代の老師の皆様が運営を行い、世界普及への海外公演などを度々行っていました。
私も当然、その時期のリアルタイムで日本国内での武術活動の広まりの中にいて、
そのまま今までに続けています。
中国大陸との往来は1985年から、ほぼ毎年繰り返し、
大学を卒業する前までは毎年1ヵ月半~2ヶ月ほど、中国の上海、安徽省、湖北省、北京などで短期留学を何度も繰り返して訓練を受けて武術を学び、
帰る間際には老師の皆さんから、いつも多くのテキストの書物を頂き、日本に帰国してからは後輩等を育成しながら、自分の練功や普及活動にと役立てて、
理論も自分で勉強してから、翌年また中国で生活をして、また帰国という繰り返しを行っていました。
フィットネスの仕事へ就いてからは個人的に長くても代行1回分ずつで1週間ほどしか休めないこともあり、
今2年に一度行っている研修ツアーは、その延長になっています。
そして私自身も、こうした活動をずっとやってきたうえで、日本国内では他に参考になる人が残念ながらいないので、
年に一度、一番馴染みがあり、どこでも判る上海の地で、今現在の老師の皆様の指導の仕事ぶりや、
思い出の街並みを歩いたり、野外教室の指導を見学したり、
最近では花妙林老師は、上海武術界の運営を行う普及事業の主催者としての仕事や民間交流などのことで、いろいろとお話しをするようになり「時の流れ」を実感します。
そして、やはり今回もお話の中にありましたが、
30年前に当時40歳~50歳で私の憧れで指導を賜った武術名家の皆様は他界される方も多く、聞いた話だと今は寝たきりで外にも出られない、という今の状況の話を聞くと遺憾を思う心地になります。
しかしながら、それも避けられない時代の流れでもあり、私自身もいずれ30年後ぐらいには、そういう立場の雰囲気の中にいることだろう・・ そんなことを考えたりしました。
今は、そうした上海武術界の時代の大きな変化に遭遇しています。
そして私と龍身蛇形太極拳の創始者 瞿栄良老師との出会いのきっかけは、実は花妙林老師との縁でした。
2012年の上海国際武術博覧会で当時の上海武術界の太極拳組織での大きな勢力になり「龍身蛇形太極拳」の項目が加わりました。
その大会当時はまだ知らず競技会コートの周辺は賑やかで活気があって「上海オリジナルの新しい太極拳なのか・・・」という認識で、
それよりも競技大会は新しい選手を送り出した年であり、とにかく大忙しで余裕がありませんでした。
そこで、この年の競技会の合い間に大会審判長の花妙林老師と、少し歓談しました。
その年の大会では、大会の打ち上げパーティーが外国人選手たちだけでまとめられ、少し寂しい思いをしていました。
そして翌年の2013年の8月に花妙林老師が日本に遊びに来るので、花老師から「東京~横浜を案内して欲しい」と連絡があったので、3日間毎日一緒に楽しみました。
そして2日めの食事の時に「紹介したい人がいる」とお話があり、
「瞿栄良老師の龍身蛇形太極拳の映像」を見せてくれました。
私はすぐにピンと来て「去年、上海国際武術博覧会で大会をやっているのを見ました」と答えました。
そこで花老師は「実は、日本へ来る前に、君が16歳の頃から中国へ毎年来て、元々武術系全般を武術隊の訓練でやっていて、今は横浜で太極拳と健身気功の指導者としてやっている成沢君のことを、この瞿栄良老師に話した」と言いました。
そして「心意六合拳で今までに有名だった伝統中国武術家で更に多くの武術拳種の技芸を修める瞿栄良老師は上海精武会の指導者で古くから上海に広まっていた多くの伝統太極拳(楊式、呉佑大架式、常式)をも修得していて、その技能を、精査して新しく上海スタイルとして創編して'龍身蛇形太極拳'として普及を始めてから展開が早く広まるようになって、今とても人気がある」と紹介してくれました。
今の時代の上海では「温故知新:故きを温ねて新しきを知る」の精神を基に上海人民政府が、そういった「古きを捨て、新しきを得る」そうした考え方を全体的に善しとして進めている。
そういう話しを花老師から聞きながら、
私がふと思い出したことの中で、中国武術協会と中国政府は密接な関係があることで、私は武術活動にも連動することなので、よく中国政府の発信するメッセージを常に意識する習慣になりました。
かつて中国共産党成立80周年祝賀大会の中で、江澤民元国家主席が、
「わが国には数千年の歴史によってもたらされた豊富な文化遺産が残されている。我々はその精華を取り入れ、糟粕を取り去り、時代の精神と結びつけ 更に継承・発展させ、古いものの効能を今に活用しなければならない」と唱えていました。
その話を思い出し、花老師は続いて、
このような方針の点に結びついて国家体育総局も、そのことを重視して上海武術運動管理中心、上海武術院も「科学を重んじ、主流と唱え、管理する」ことを奨励している、
そう花老師は語り、
「今や日本もそうだと思うし、世界も上海もそうだが、より多くの体育運動がある中で、'より良いもの'が求められている時代だ」といい、
その中で「より日増しに高まる広大な大衆スポーツ・体育の要求や満足感を達成させることこそが重要だ」といいました。
私はすぐに「私もそう思います、今の武術界も太極拳の套路も、そうだと思っています」と答えました。
そして、花老師は「瞿栄良老師の龍身蛇形太極拳は本当に素晴らしい、まさに時代に求められている新時代の太極拳だ。私は今瞿栄良老師の龍身蛇形太極拳総部の顧問と指導者として、大会も主催して審判も行ってあちこちで奔走している。とても有意義ないい仕事だ」
と続いて、花老師は、
「君が中心になって日本でこの太極拳の普及活動をやらないか、君に龍身蛇形太極拳と創始者の瞿栄良老師を是非紹介したい」と言いました。
龍身蛇形太極拳のテキスト




花妙林老師が解説文を書いていました。

中国武術段位制テキスト

私は光栄に感じ、その場で資料を頂き、即その場で「やります」とすぐに答えました。
~その翌日の花老師との宴会で~

花老師との縁は1989年の春から27年間です。
~花妙林老師と1989年 五角場にて 今の五角場から想像もできない(笑)~

花老師は1992年から4年間大阪へ、教師の交換留学で来ていて途中に阪神大震災にも遭遇しながらも日本で頑張っていて、私は1993年に大阪へ訪ねて猴棍を学びました。
そのために日本語はペラペラなので今は研修ツアーを行う中でも本当に安心ができます。
花老師と私は私が7年年下なのですが、ずっと昔から感性が似ているようで、普段から常に考えに考えているので、
何かしらのチャンスがあって大きなヒントを実感したら、即効で反応し即答し行動を起こします。
普通の一般日本人の思考感覚は、この今も低迷している欧米式資本主義経済的な環境の中では常に現在に「過去の問題」を幾つも引きずってきていて、
「過去完了」は当然ながらも「現在完了型」でリアルタイムで現在を完結:認識できない習慣があることから、
「未来発展型」のビジョンを想像できないことが多いように私からは見えています。
その中で更に流動的に動く変化を知らないと、いいチャンスを自らへ引き寄せるのは難しいのだろう、と思います。
日本国内にありがちな停滞感や閉塞感は、こうしたことが要因で全体的にデメリットの方角へと巻き込まれることを私は常に日本にいながら注意して意識して来ました。
この時に私の感じたことは、もう今年2016年は自分がフィットネス業界20年の中で常日頃の指導現場の環境の中でたくさんのものを見てやってきました。
直感として「フィットネス業界の現場で、今後この太極拳は絶対に皆さんに好かれるだろう」
そう感じました。
それに中国で鍛えられたことのある人は常識ですが「中国ではスピードが命」です。
「いいものは必ず先になくなり、残ったものにいいものは少ない」のです。
これは、ここ数年の間に中国からやって来た観光客の「爆買い」の感覚も関係しています。
普通の日本的感覚では、
「集団で群れの意識が先行し、相互依存の感覚があり、リアルタイムの選択肢の分別に単独で自信が持てないために、後付け後付けの思考で、後で考えて、相談をしたりして最期に決めなければならない時まで来たら決める」
ですから、「先にあまり考えを出さずにいつも様子見で、後になって気持ちが盛り上がって来るのを待って最期に、選択肢が多い中で決定を求める」
こういう傾向があると思います。
私は国を日本と中国で跨り、長期留学は経済的に余裕がなかったのでできなかったのですが、常にこまめに往来を31年間の間に繰り返し続けたことで、上海の変化や、
日本と中国の比較で文化意識感覚が高まり分析力が向上したことは、逆に本当によかったと思います。
(※私が20代前半ぐらい1990年代の時は長期留学生は日中間の意識ギャップが甚だしく精神的に不安定になる人が多かったです)
そういうこともあって、いつも中国式の先行で決めていくので、後発で後付けで決まっていく日本式の感覚での「時差:タイムラグ」とのギャップを感じることはありますが、
私は基本的に先に先行スタートして安定感を持ち、軌道に乗ったら、「後で流れに気付くまでのんびり待つ」
そういう成功パターンを掴む習慣を持つようになりました。
基本的に中国上海の優秀なビジネスマンは大体そういう感じです。
(※そういうこともあり、私は普通一般での「いつもみんな一緒」という意識の日本人からは敬遠されることも多々ありました)
そのために重要な先行アドバイスを中国側が言っていても、後付け式で余裕のない日本側が時間がかなり経った後で気付いても後の祭りになってしまい、政財界の人間達でも、それを繰り返しているのを見ると、いつも「やれやれ」と思います。
そして快諾して、すぐ翌年2014年2月の春節に上海を訪問し、花老師と一緒に瞿栄良老師の龍身蛇形太極拳総部を訪れて一緒に食事をして太極拳館を案内してくれました。
2014年 春節に1人 上海を訪れる
それから2014年の年には、5月と10月に研修へ2回来て、その帰国後にすぐ日本版教学法を作り、私自身もこの太極拳が好きになり、研究して練習に打ち込みました。
同時に中国武術段位制套路と連動して普及を行いました。
更に競技選手も育成し、2015年のシンガポール国際武術大会に間に合わせてレベルアップを図ります、と約束をしました。
もうそれから思い起こせば2013年の8月の花老師の来日時からイメージし始め、2014年の実技を学んでからは、もう2年が経ちました。
それに瞿栄良老師が教練を執っている上海精武体育会は知る人は知る、
「霍元甲:フォ・ユァンジア」が1910年6月1日、上海精武体操学校(上海精武体育会の前身)を設立し、
ブルース・リーの映画「ドラゴン怒りの鉄拳」や、李連傑:ジェット・リーの出演した「SPILIT」の中に出て来た実際の存在する武術学校で、
戦時中の日本人や日本国へのイメージの悪い面が多々ありました。
私は思うに、そうした悲しい過去を振り返って謙虚に学び、新しい時代の現代日本人の協力体制と交流で良いイメージアップへ貢献をしたい、気持ちも実は持っています。
先日の上海龍身蛇形太極拳総部で瞿栄良老師の面前で「龍身蛇形太極拳」の演武を自分から率先して行いました。
瞿栄良老師は本当に喜んで下さり、
私自身もまた新しい上海武術界重鎮の皆様との共同で展開していく日本国内での武術活動の始まりに、心嬉しく躍動感を持っています。
~今回、上海で花妙林老師と共に~

私もまだまだ、これからも精進して研究と研鑽の努力を、ずっと続けていかなければならないですが、
9月4日(日)の中国武術文化交流大会で、
花妙林老師、瞿栄良老師、韋剣老師、花苑老師、今の復旦大学武術隊の若き選手たちと、
今の拠点となった上海と友好都市でもある横浜で、一緒に大会を行って同じステージに立てると思うだけで「ワクワク」してきます。
それをまた次世代の太極拳の修習得者や武術で最近伸びて来た新しい教え子たちが継承して今後の展開をスタートし、
そして、その日からが本場上海武術界と同じように、私達が新時代太極拳の正式な活動が日本でも始まる瞬間でもあります。
今に限らず、何かしら常に閉塞感や停滞感覚が普通にある「日本の環境」で、
「自分:己ひとり」の心持ちや努力で、
「自分にとっていい環境:心身感覚」は何時でもいくらでも向上が可能です。
私が今までに行ってきて感じるのは、
武術系全般、太極拳もそうですが「上手・下手」というのは技巧のことではなく、
いつも心の向上心が上向きであれば「上手」であり、
たとえ技巧的によく見栄えがしても、それで心の向上心や向学心が上向きでなければ、
私は、そうしたものを「下手」と考えています。
今年2016年が始まって、まだ5ヶ月ですが、
もう今年の達成目標ができて、楽しみを仲間全体で持てるのは、
嬉しく思います。
一先ず皆さんと一緒に9月まで目標に、更に技能を頑張って向上させて、心身が元気になって「夏」を元気に過ごして、
楽しく頑張っていきます。
その中には、これからの日本国内の活動で大いに活かせるヒントがたくさんあり、そうしたお話ができるのも上海へ来る楽しみでもあります。
今までの本場の中国武術界の歴史では1949年の中華人民共和国の建国があり、
中国政府の下、1956年に国家体育運動委員会が設立され、その中に「中国武術協会」が成立し、
中国武術協会の成立は、中国全土での武術組織を統一し規範化されたことを表しています。
そして1985年、中国陝西省の西安市で第一回国際武術大会が開催され、国際武術連盟が成立されました。
こうした今までの流れが、中国武術の世界的発展にとって画期的なできごとでした。
私が武術の道に踏み入れたのは1982年の13歳で、そして中国大陸の上海の地で初めて足を踏んだのは1985年16歳の時でした。
当時は中国武術協会設立メンバーの2代目の世代の老師の皆様が運営を行い、世界普及への海外公演などを度々行っていました。
私も当然、その時期のリアルタイムで日本国内での武術活動の広まりの中にいて、
そのまま今までに続けています。
中国大陸との往来は1985年から、ほぼ毎年繰り返し、
大学を卒業する前までは毎年1ヵ月半~2ヶ月ほど、中国の上海、安徽省、湖北省、北京などで短期留学を何度も繰り返して訓練を受けて武術を学び、
帰る間際には老師の皆さんから、いつも多くのテキストの書物を頂き、日本に帰国してからは後輩等を育成しながら、自分の練功や普及活動にと役立てて、
理論も自分で勉強してから、翌年また中国で生活をして、また帰国という繰り返しを行っていました。
フィットネスの仕事へ就いてからは個人的に長くても代行1回分ずつで1週間ほどしか休めないこともあり、
今2年に一度行っている研修ツアーは、その延長になっています。
そして私自身も、こうした活動をずっとやってきたうえで、日本国内では他に参考になる人が残念ながらいないので、
年に一度、一番馴染みがあり、どこでも判る上海の地で、今現在の老師の皆様の指導の仕事ぶりや、
思い出の街並みを歩いたり、野外教室の指導を見学したり、
最近では花妙林老師は、上海武術界の運営を行う普及事業の主催者としての仕事や民間交流などのことで、いろいろとお話しをするようになり「時の流れ」を実感します。
そして、やはり今回もお話の中にありましたが、
30年前に当時40歳~50歳で私の憧れで指導を賜った武術名家の皆様は他界される方も多く、聞いた話だと今は寝たきりで外にも出られない、という今の状況の話を聞くと遺憾を思う心地になります。
しかしながら、それも避けられない時代の流れでもあり、私自身もいずれ30年後ぐらいには、そういう立場の雰囲気の中にいることだろう・・ そんなことを考えたりしました。
今は、そうした上海武術界の時代の大きな変化に遭遇しています。
そして私と龍身蛇形太極拳の創始者 瞿栄良老師との出会いのきっかけは、実は花妙林老師との縁でした。
2012年の上海国際武術博覧会で当時の上海武術界の太極拳組織での大きな勢力になり「龍身蛇形太極拳」の項目が加わりました。
その大会当時はまだ知らず競技会コートの周辺は賑やかで活気があって「上海オリジナルの新しい太極拳なのか・・・」という認識で、
それよりも競技大会は新しい選手を送り出した年であり、とにかく大忙しで余裕がありませんでした。
そこで、この年の競技会の合い間に大会審判長の花妙林老師と、少し歓談しました。
その年の大会では、大会の打ち上げパーティーが外国人選手たちだけでまとめられ、少し寂しい思いをしていました。
そして翌年の2013年の8月に花妙林老師が日本に遊びに来るので、花老師から「東京~横浜を案内して欲しい」と連絡があったので、3日間毎日一緒に楽しみました。
そして2日めの食事の時に「紹介したい人がいる」とお話があり、
「瞿栄良老師の龍身蛇形太極拳の映像」を見せてくれました。
私はすぐにピンと来て「去年、上海国際武術博覧会で大会をやっているのを見ました」と答えました。
そこで花老師は「実は、日本へ来る前に、君が16歳の頃から中国へ毎年来て、元々武術系全般を武術隊の訓練でやっていて、今は横浜で太極拳と健身気功の指導者としてやっている成沢君のことを、この瞿栄良老師に話した」と言いました。
そして「心意六合拳で今までに有名だった伝統中国武術家で更に多くの武術拳種の技芸を修める瞿栄良老師は上海精武会の指導者で古くから上海に広まっていた多くの伝統太極拳(楊式、呉佑大架式、常式)をも修得していて、その技能を、精査して新しく上海スタイルとして創編して'龍身蛇形太極拳'として普及を始めてから展開が早く広まるようになって、今とても人気がある」と紹介してくれました。
今の時代の上海では「温故知新:故きを温ねて新しきを知る」の精神を基に上海人民政府が、そういった「古きを捨て、新しきを得る」そうした考え方を全体的に善しとして進めている。
そういう話しを花老師から聞きながら、
私がふと思い出したことの中で、中国武術協会と中国政府は密接な関係があることで、私は武術活動にも連動することなので、よく中国政府の発信するメッセージを常に意識する習慣になりました。
かつて中国共産党成立80周年祝賀大会の中で、江澤民元国家主席が、
「わが国には数千年の歴史によってもたらされた豊富な文化遺産が残されている。我々はその精華を取り入れ、糟粕を取り去り、時代の精神と結びつけ 更に継承・発展させ、古いものの効能を今に活用しなければならない」と唱えていました。
その話を思い出し、花老師は続いて、
このような方針の点に結びついて国家体育総局も、そのことを重視して上海武術運動管理中心、上海武術院も「科学を重んじ、主流と唱え、管理する」ことを奨励している、
そう花老師は語り、
「今や日本もそうだと思うし、世界も上海もそうだが、より多くの体育運動がある中で、'より良いもの'が求められている時代だ」といい、
その中で「より日増しに高まる広大な大衆スポーツ・体育の要求や満足感を達成させることこそが重要だ」といいました。
私はすぐに「私もそう思います、今の武術界も太極拳の套路も、そうだと思っています」と答えました。
そして、花老師は「瞿栄良老師の龍身蛇形太極拳は本当に素晴らしい、まさに時代に求められている新時代の太極拳だ。私は今瞿栄良老師の龍身蛇形太極拳総部の顧問と指導者として、大会も主催して審判も行ってあちこちで奔走している。とても有意義ないい仕事だ」
と続いて、花老師は、
「君が中心になって日本でこの太極拳の普及活動をやらないか、君に龍身蛇形太極拳と創始者の瞿栄良老師を是非紹介したい」と言いました。
龍身蛇形太極拳のテキスト




花妙林老師が解説文を書いていました。

中国武術段位制テキスト

私は光栄に感じ、その場で資料を頂き、即その場で「やります」とすぐに答えました。
~その翌日の花老師との宴会で~

花老師との縁は1989年の春から27年間です。
~花妙林老師と1989年 五角場にて 今の五角場から想像もできない(笑)~

花老師は1992年から4年間大阪へ、教師の交換留学で来ていて途中に阪神大震災にも遭遇しながらも日本で頑張っていて、私は1993年に大阪へ訪ねて猴棍を学びました。
そのために日本語はペラペラなので今は研修ツアーを行う中でも本当に安心ができます。
花老師と私は私が7年年下なのですが、ずっと昔から感性が似ているようで、普段から常に考えに考えているので、
何かしらのチャンスがあって大きなヒントを実感したら、即効で反応し即答し行動を起こします。
普通の一般日本人の思考感覚は、この今も低迷している欧米式資本主義経済的な環境の中では常に現在に「過去の問題」を幾つも引きずってきていて、
「過去完了」は当然ながらも「現在完了型」でリアルタイムで現在を完結:認識できない習慣があることから、
「未来発展型」のビジョンを想像できないことが多いように私からは見えています。
その中で更に流動的に動く変化を知らないと、いいチャンスを自らへ引き寄せるのは難しいのだろう、と思います。
日本国内にありがちな停滞感や閉塞感は、こうしたことが要因で全体的にデメリットの方角へと巻き込まれることを私は常に日本にいながら注意して意識して来ました。
この時に私の感じたことは、もう今年2016年は自分がフィットネス業界20年の中で常日頃の指導現場の環境の中でたくさんのものを見てやってきました。
直感として「フィットネス業界の現場で、今後この太極拳は絶対に皆さんに好かれるだろう」
そう感じました。
それに中国で鍛えられたことのある人は常識ですが「中国ではスピードが命」です。
「いいものは必ず先になくなり、残ったものにいいものは少ない」のです。
これは、ここ数年の間に中国からやって来た観光客の「爆買い」の感覚も関係しています。
普通の日本的感覚では、
「集団で群れの意識が先行し、相互依存の感覚があり、リアルタイムの選択肢の分別に単独で自信が持てないために、後付け後付けの思考で、後で考えて、相談をしたりして最期に決めなければならない時まで来たら決める」
ですから、「先にあまり考えを出さずにいつも様子見で、後になって気持ちが盛り上がって来るのを待って最期に、選択肢が多い中で決定を求める」
こういう傾向があると思います。
私は国を日本と中国で跨り、長期留学は経済的に余裕がなかったのでできなかったのですが、常にこまめに往来を31年間の間に繰り返し続けたことで、上海の変化や、
日本と中国の比較で文化意識感覚が高まり分析力が向上したことは、逆に本当によかったと思います。
(※私が20代前半ぐらい1990年代の時は長期留学生は日中間の意識ギャップが甚だしく精神的に不安定になる人が多かったです)
そういうこともあって、いつも中国式の先行で決めていくので、後発で後付けで決まっていく日本式の感覚での「時差:タイムラグ」とのギャップを感じることはありますが、
私は基本的に先に先行スタートして安定感を持ち、軌道に乗ったら、「後で流れに気付くまでのんびり待つ」
そういう成功パターンを掴む習慣を持つようになりました。
基本的に中国上海の優秀なビジネスマンは大体そういう感じです。
(※そういうこともあり、私は普通一般での「いつもみんな一緒」という意識の日本人からは敬遠されることも多々ありました)
そのために重要な先行アドバイスを中国側が言っていても、後付け式で余裕のない日本側が時間がかなり経った後で気付いても後の祭りになってしまい、政財界の人間達でも、それを繰り返しているのを見ると、いつも「やれやれ」と思います。
そして快諾して、すぐ翌年2014年2月の春節に上海を訪問し、花老師と一緒に瞿栄良老師の龍身蛇形太極拳総部を訪れて一緒に食事をして太極拳館を案内してくれました。
2014年 春節に1人 上海を訪れる
それから2014年の年には、5月と10月に研修へ2回来て、その帰国後にすぐ日本版教学法を作り、私自身もこの太極拳が好きになり、研究して練習に打ち込みました。
同時に中国武術段位制套路と連動して普及を行いました。
更に競技選手も育成し、2015年のシンガポール国際武術大会に間に合わせてレベルアップを図ります、と約束をしました。
もうそれから思い起こせば2013年の8月の花老師の来日時からイメージし始め、2014年の実技を学んでからは、もう2年が経ちました。
それに瞿栄良老師が教練を執っている上海精武体育会は知る人は知る、
「霍元甲:フォ・ユァンジア」が1910年6月1日、上海精武体操学校(上海精武体育会の前身)を設立し、
ブルース・リーの映画「ドラゴン怒りの鉄拳」や、李連傑:ジェット・リーの出演した「SPILIT」の中に出て来た実際の存在する武術学校で、
戦時中の日本人や日本国へのイメージの悪い面が多々ありました。
私は思うに、そうした悲しい過去を振り返って謙虚に学び、新しい時代の現代日本人の協力体制と交流で良いイメージアップへ貢献をしたい、気持ちも実は持っています。
先日の上海龍身蛇形太極拳総部で瞿栄良老師の面前で「龍身蛇形太極拳」の演武を自分から率先して行いました。
瞿栄良老師は本当に喜んで下さり、
私自身もまた新しい上海武術界重鎮の皆様との共同で展開していく日本国内での武術活動の始まりに、心嬉しく躍動感を持っています。
~今回、上海で花妙林老師と共に~

私もまだまだ、これからも精進して研究と研鑽の努力を、ずっと続けていかなければならないですが、
9月4日(日)の中国武術文化交流大会で、
花妙林老師、瞿栄良老師、韋剣老師、花苑老師、今の復旦大学武術隊の若き選手たちと、
今の拠点となった上海と友好都市でもある横浜で、一緒に大会を行って同じステージに立てると思うだけで「ワクワク」してきます。
それをまた次世代の太極拳の修習得者や武術で最近伸びて来た新しい教え子たちが継承して今後の展開をスタートし、
そして、その日からが本場上海武術界と同じように、私達が新時代太極拳の正式な活動が日本でも始まる瞬間でもあります。
今に限らず、何かしら常に閉塞感や停滞感覚が普通にある「日本の環境」で、
「自分:己ひとり」の心持ちや努力で、
「自分にとっていい環境:心身感覚」は何時でもいくらでも向上が可能です。
私が今までに行ってきて感じるのは、
武術系全般、太極拳もそうですが「上手・下手」というのは技巧のことではなく、
いつも心の向上心が上向きであれば「上手」であり、
たとえ技巧的によく見栄えがしても、それで心の向上心や向学心が上向きでなければ、
私は、そうしたものを「下手」と考えています。
今年2016年が始まって、まだ5ヶ月ですが、
もう今年の達成目標ができて、楽しみを仲間全体で持てるのは、
嬉しく思います。
一先ず皆さんと一緒に9月まで目標に、更に技能を頑張って向上させて、心身が元気になって「夏」を元気に過ごして、
楽しく頑張っていきます。