
一昨日に自分の生まれ育った故郷の街をゆっくり散策しながら、30年~40年以上前の自身の記憶を辿りながら、見る景色を感じて思うことがいくつかありました。
何かこうして、この世に生を受け、何かしなければ、こうなりたい、人はそれぞれに感ずることがあろうと思うのです。
我が国の現代までの変化を振り返れば、
日本全体で物の豊かさを追求してきた、高度経済成長期があり、その結果において自然破壊が問題になり、四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく・・私の住んだ町の近くでは川崎ぜんそくというのもありました)が起こしてしまったり、
次は物の豊かさから利便性への変化に伴い、日本全国内の交通網や飛行機の活用による流通が盛んになった、安定成長期。
そして今日まで続く、国際的に人、物、経済の海外での大きな流通が起こったグローバル化の進展期。
現在は、IT社会になり、世界中で瞬時に情報が伝わり、応対が行えるようになり、そしてまた瞬時に経済的流通の決済をもできるようになった時代。
そして、今は能力を持っていれば時間でも仕事でも自分の流れで、どんな生き方でも許される時代。
今までには、多くの大衆意識を以て、
時に、是を非としたり、非を是とすることを繰り返し、
みんながみんなで必死に時代を創り、必死に生きてきたことの数々を想います。
一時期はスピード社会と呼ばれ、私もいつしかその流れにも乗せられるはめになり、その流れの中でも、是を是として、非を非として闘いながらも、時勢に負けずに生き急いで来たと思います。
「やるからには何をも犠牲にしてでも徹底的にやる」性格で、ムキになって、気付けば今になっていた、そんな感じです。
先日訪ね歩いた自分のかつて住んだ町は、あるところは変わったけれど、あるところでは、何も変わらず、ただひっそりと当時のままを残している風景に出会いました。
ひと言で言えば「郷愁」
一時期に大きな市の行政改革があり、そこで町をあげた整備が進んだのですが、私の家もそうでしたが、その整備のために住んでいた家を立ち退くことになり、隣の隣の町に引っ越しました。
そこに私はあまり馴染めなくて、指導で来ていた横浜の地へと15年前にやってきました。
先日に訪ね歩いたところの、かつて住んだ家はもうなくて、その一帯には新しい家が立ち並び、当然に全く知らない方が住んでいて、その周りを歩いてみたら、まだ憶えている知人など皆さんの家がありました。
理由なくいきなり訪ねてもおかしいので、そのまま通り過ぎました。
それにもう忘れられていることだろう・・、ということを想ったりもしました。
例えば、かつて住んだこの町に もし今でもずっと居続けていたのなら、
「今の自分はなかったことだろう」と想い、
この町を出て、大都会の社会に挑み、荒波に揉まれ鍛えられ、幾度となく往来した中国でも鍛えられました。
必死でもがき苦しんで努力に努力を重ねてこそ、掴めるものもある。
しかし、その反対にのんびり生きて、競争などしなくても生きられる人生もある。
ずっと歩きながら思ったことは「生き急いだ甲斐はあった・・」
そんな言葉ばかりが脳裏をよぎりました。
もうこれから「今までのように生き急ぐことはない、のんびりいこう・・」
住んだ自宅の裏手にはお地蔵さんがありました。
以前よりもきれいになっていて、手を合わせました。
そのお顔は以前のままだったことを思い出しました。
「そうか、来週は木曜日が大晦日、金曜日が春節正月元日。日本昔話しでの笠地蔵の頃合いか・・」
時は流れ、人はそれぞれに生きている。
海山川、太陽と月、大自然だけは変わらず、常に未来永劫に生きている。
これが永遠に続く。
追伸:
先日に厚生労働省のあるデータを調べていたのですが、日本全国の自治体の取ったアンケート結果で健康寿命の長い地域の特徴が5つ紹介されていました。
1、伝統的な健康食
2、温暖な気候
3、伝統芸能などの文化活動、健康活動
4、医師、医療施設の充実度
5、人との絆、ゆとりのある生活