今日は昨年の大震災のあった去年から今年における自分の「祈念と記念の想い」をかけた年の活動報告をと父の故郷、埼玉県深谷市へお墓参りにと行ってきました。
(先々週の鹿島神宮・香取神宮、成田山新勝寺、先週の走水神社参詣もその一環のお参りでした)
自分は仕事柄、日曜日や祝日は指導がほとんど入っているために普通一般的な法事には参列できなくて大体はいつも自分の休日に、ひっそりとした静かな時にお参りするようにしています。
深谷市は一般には「深谷ネギ」が一番有名ですが、平安~鎌倉時代の武将、畠山重忠が出て、そして日本銀行初代総裁「渋沢栄一」の故郷でもあります。
駅舎はとても立派な創りをしています。


駅のすぐ近くには由緒ある瀧宮神社があり、これも1456年に深谷城を築城した深谷上杉家の上杉房憲が崇敬した神社です。



そして深谷駅周辺は旧深谷城城下町そのものの地形のまま今日まで残っています。
街はまだまだ蔵の残っている家も多く、まだまだ昔ながらの日本家屋が今でもたくさんたち並んでいます。
私の家の血筋はかつて深谷上杉家に仕え、後に長野の真田家にも仕えた武家の末裔です。
己の中にある「関東武人気質」の遺伝子であるルーツはそこにあるのだと思います。
今日は一人、自分の本籍の地へ行きました。
その本籍地の辺りには今は小学校になっていて、その中に「史跡 深谷城址」の碑が立っていました。

そのすぐ向かい側が「深谷城址公園」があり、深谷城の跡が残っています。






そしてそのすぐ近くに深谷上杉家の祈願寺として建てられた「真言宗 金胎寺」があります。
私の成澤家の墓もここにあります。



実は私の家系では 昭和になってすぐの頃の祖父の代で家督相続のことで大きなお家騒動が起こり、その事情から深谷を離れ東京に出てきて父が生まれました。
それでも故郷には戻りたいという想いで祖父母の代にと父がまたこの寺に新たな墓を建てました。
父が平成17年の1月に永眠し、ここにいます。


今日はひとつの自分自身の武芸の節目を迎えられたこと、それは父が願っていた日本剣術の修練を辞めて、中国武術へ移り、そこで今ひとつのその武術での30年間かけて辿りついた境地を感じたことで、自分はこのことの修行をすべて終え、
また日本剣術武芸者への回帰と再生、いや新生の喜びということで、生前にはあまり孝行ができなかったので今まだ頑張っていることと合わせてご報告のお参りをしました。
今日は青空がきれいで陽射しがまぶしく、父が「よく頑張ったな」そんな言葉を空に聞いた気がしました。
ここまで来るには孤高の苦しさもありましたが、何か今日はとても今までにない、とても清々しい心地を感じました。
そして帰り道に思えばハイカラだった父が好きな洋食店がまだあり、そこで久しぶりにゆっくり食事をしました。

深谷を後にして、ふと感じたことで思えば、
「今の自分は、いつどこででも絶命したとしても還る場所がある、それはあの墓の中だ」
そう想ったら、何かとても心強い力が湧いてくるのを思いました。
(先々週の鹿島神宮・香取神宮、成田山新勝寺、先週の走水神社参詣もその一環のお参りでした)
自分は仕事柄、日曜日や祝日は指導がほとんど入っているために普通一般的な法事には参列できなくて大体はいつも自分の休日に、ひっそりとした静かな時にお参りするようにしています。
深谷市は一般には「深谷ネギ」が一番有名ですが、平安~鎌倉時代の武将、畠山重忠が出て、そして日本銀行初代総裁「渋沢栄一」の故郷でもあります。
駅舎はとても立派な創りをしています。


駅のすぐ近くには由緒ある瀧宮神社があり、これも1456年に深谷城を築城した深谷上杉家の上杉房憲が崇敬した神社です。



そして深谷駅周辺は旧深谷城城下町そのものの地形のまま今日まで残っています。
街はまだまだ蔵の残っている家も多く、まだまだ昔ながらの日本家屋が今でもたくさんたち並んでいます。
私の家の血筋はかつて深谷上杉家に仕え、後に長野の真田家にも仕えた武家の末裔です。
己の中にある「関東武人気質」の遺伝子であるルーツはそこにあるのだと思います。
今日は一人、自分の本籍の地へ行きました。
その本籍地の辺りには今は小学校になっていて、その中に「史跡 深谷城址」の碑が立っていました。

そのすぐ向かい側が「深谷城址公園」があり、深谷城の跡が残っています。






そしてそのすぐ近くに深谷上杉家の祈願寺として建てられた「真言宗 金胎寺」があります。
私の成澤家の墓もここにあります。



実は私の家系では 昭和になってすぐの頃の祖父の代で家督相続のことで大きなお家騒動が起こり、その事情から深谷を離れ東京に出てきて父が生まれました。
それでも故郷には戻りたいという想いで祖父母の代にと父がまたこの寺に新たな墓を建てました。
父が平成17年の1月に永眠し、ここにいます。


今日はひとつの自分自身の武芸の節目を迎えられたこと、それは父が願っていた日本剣術の修練を辞めて、中国武術へ移り、そこで今ひとつのその武術での30年間かけて辿りついた境地を感じたことで、自分はこのことの修行をすべて終え、
また日本剣術武芸者への回帰と再生、いや新生の喜びということで、生前にはあまり孝行ができなかったので今まだ頑張っていることと合わせてご報告のお参りをしました。
今日は青空がきれいで陽射しがまぶしく、父が「よく頑張ったな」そんな言葉を空に聞いた気がしました。
ここまで来るには孤高の苦しさもありましたが、何か今日はとても今までにない、とても清々しい心地を感じました。
そして帰り道に思えばハイカラだった父が好きな洋食店がまだあり、そこで久しぶりにゆっくり食事をしました。

深谷を後にして、ふと感じたことで思えば、
「今の自分は、いつどこででも絶命したとしても還る場所がある、それはあの墓の中だ」
そう想ったら、何かとても心強い力が湧いてくるのを思いました。