父が亡くなってから来年の1月下旬で満6年が経ちます。
それがきっかけとなり自分の家系のことをいろいろと知るようになり、調べるようになりました。
私の家系は山形蔵王の系譜で後に上杉氏に使えた武家でした。
上杉家は15世紀頃戦国時代の関東管領職でありその家臣でした、ですからその領地は深谷から多摩のあたり、そして小机城~鎌倉までがその領地でした。
すると自分自身が今住むところや今までの経歴を辿るとすべて繋がっていることが判りました。
それを偶然気付かされたのは小田原城内の歴史資料からでした。北条早雲が山内上杉家と扇谷上杉家と戦い、戦に破れてからは関東地方でのこのあたりは北条氏の領地になり深谷藩は廃藩となりました。
その後は北条氏も豊臣に破れ歴史の舞台から去りました。
そして本家では山形城の最上氏の一族で最上義光の家臣成沢道忠の子が最上義光の謀略を支えた重臣、氏家尾張守守棟の養子となって氏家尾張守光氏を名乗り最上義光の娘を娶って重臣の列に加わり
元和八年(1622年)最上氏の改易とともに成沢城は廃城となりました。
戦は破れたらすべてというすべてが終わります、そのために戦国時代の日本は全国統一され徳川家が統治するまでには内々で和睦か戦をするかで分かれてきました。
昨日は朝早く出て午前中は箱根で温泉に入り、午後は小田原へ出て地元料理を楽しんでから時間をかけてまたゆっくりと小田原城と歴史見聞館と資料館を見学してきました。
その後は二宮尊徳を祀る報徳神社へお参りしてから帰途に着きました。
今日は地元の小机城址跡を訪ねてきました。
ここは太田道灌率いる上杉軍の内乱で二ヶ月間にも及ぶ攻撃の末に小机城は落城し、その後はどんどんと関東の上杉家は没落していき北条に破れていったその場所でした。
近くにありながら初めて訪れました。小机は日産スタジアムがありその中にもトレーニング・センターがあり今までに何度か来ていましたが、
今までに自分の住んでいた地域のすべてがこんなにも自身の家系と深く関係していたとは知りませんでした。
しかし人は何らかの縁で歴史が繋がっていることを実感しました。
今日は小机から帰る途中に遠くに見えた甲斐~信濃へとつながっていく山々を眺めとにかくいろいろとたくさんを考えました。
人の家系にも数百年単位で浮き沈みがあるのだと思います。風水の学問でもそういうことを学んだことがありました。
おそらく500年前ほどに落武者となった深谷上杉氏と共に家臣として歴史から姿を消し去り、今私の代でまた復活してきたのではないか、
そんなことを感じていて今を思いました。
この10年間は私にとって大きな役割りを果たせた時期で今年はある節目の年でもありました、来年からまたゆっくりと新章へと目指していきたいと思います。