だんだんと日が短くなり静かな秋の夜長を感じる日が多くなりました。

今日は一日、元気に頑張れました。

足を痛めてから一ヶ月ほどが経ちましたが昨日までは動作によってはまだ少し痛みを感じていましたが今日は初めて痛みがなく、やや右足首の昔の古傷部分が固まっているところがありましたがなんとか動けました。

それだけでも、ものすごく嬉しいです、今回も慢性疲労から来る痛みを起こしても一日も休まずになんとか全うできて良かったです。

朝の野外太極拳も気温的に落ち着いてやりやすかったです、また新たな皆さんの参加もあってこれからが楽しみになりました。

午後は猴棍、鷹爪拳の練習を行いました。

また新たな可能性や希望に火が着いて、どんどんと頑張る皆さんの姿に「かつての自分」を思い出したりして嬉しく思いました。

それにいつもそうですが、練習活動の合間や帰り道での仲間達との語りは本当に楽しいひとときです。

私は先週の水曜日に映画館で新作の「猿の惑星」を見てから、ふと思う事があり、それからもう40年前の私のちょうど生まれた頃の作品である第一作目、二作目と見てみました。

今になってみると見方も変わり、海外との交流の中で、精神文化面においてふと考えることがよくあります。

帰り道に話しながら思い出したことです・・

私は中国との往復が一番多くあります、そしてアメリカとは今までに2回行きました、一回は10年前に一ヶ月間のフィットネスと胡堅強先生を訪ねての武術の勉強。後に胡先生の少林武術中心を訪ねてアメリカでの指導方法や活動スタイルの勉強で視察をしに行きました。

思うに観光旅行のようなお任せツアーで行くのと、個人的に宿泊や移動や食事などの全部の生活のすべてを一人でやることで海外に行って感じるのは全く異なります。

私はよく裕福な家の育ちの人間だと思われるようなのですが、違います。

今までの1985年の上海体育学院での武術学習から始まった海外での活動における旅費や学習費や諸々の経費は全部「自前」でやってきました。

「自前」の内訳は親からお金を出してもらったものは1円もなく、全部高校生~大学生の時でのアルバイトから捻出し、社会へ出てからもずっと全部を自分自身の「お金」でやりくりをしてやってきました。

というよりは、全てを学ぶためにお金を稼いだすべてを自分自身の学びへ使って時間も心身の労力を投資してきました。

当然ながら、よくあるお金のかかる娯楽などは控えて倹約して生きてきました。

今から思うと、本当に良かったです。この3,11の大震災の影響があっても仕事も生活も大丈夫でした。

今でも海外に出れば、大体習慣で倹約はします。そうする生活をしていくとどの国にでもどんなところに住んで、どんな物を食べて、どんな生活なのかという庶民の感覚に触れられるのを実感できるのです。

思うに、純粋にアメリカから出たことのない「アメリカ人の感覚」があり、中国でも中国から出たことのない「中国人の感覚」があり、日本も当然日本から出たことのない「日本人の感覚」があります。

それぞれはそれぞれに「その感覚」は正しいと思っています。

しかしこれからの国際化とか多種多様性とかのきれいな言葉とはうらはらに、負の要素はたくさん出てきているのを思います。

私ごとですが、ある小学3年生の時から今でも長い付き合いのある友人がいて、カナダ生まれカナダ育ち、小学3年生で日本にやって来て、同級生になり今から10年前にアメリカのシアトルで生活し、3年ほど前にアメリカの大不況による失業でカナダのバンクーバーに帰りました。

彼が以前に日本に観光でやって来て横浜の私の自宅にしばらく居候をしていました。

1週間ほど過ぎると「本性」が出てくるもので、いろいろ話を聞いていたら納得いかないことが多々出てくるいので本人に直接かましました。

「お前の話の中から聞いていて言いたいことがある」

「お前はいつも気に入らないことがあれば、誰かのせいにして、自分で何も責任は負わない立場にいながら不平不満という愚痴や文句ばかりを言っていて良くするための努力や貢献をしているとは思えない」

「お前が日本人なら、切腹の心得が解るのか」

「我々の先代の日本武士は自分の責任がなくとも、悪くなくとも正義:心の正しさやをその人への忠誠や尊敬を証明するためにも自分自身の意志によって小腸の中心である丹田を自ら突き刺し掻き回して己の命をも絶った勇気ある日本人なのだ。お前はその末裔なのか?」

「お前を見ていると日本人の消極的でせせこましい悪いところと、アメリカ的な無責任で自分勝手な、両方の悪いところを持ち合わせているような最低な人間になっていないか!?」

友人「うん・・」

「いいか、俺は思う」

「現代日本社会で生きる日本人ならば、日本人らしさである、時間を守ること、約束を守ること、奉仕という自ずから世に貢献し達成することに喜びを見出すこと」

「これがお前には、欠けていないか」

「古き良き伝統ある日本文化の美徳を大事にしながらも、かつての階級制度のある封建主義のような階級差別、男女差別のような悪しき習慣を改善して海外からの良くできる面として取り入れていき、古き良きものを尊び、新しきによってこれからを改善し発展していくことが大事なことにも気付かないのか」

「大して意味のない気分的な空騒ぎで勘違いの陽気気分を勝手に上昇させたり、逆に気に入らないと気分を下げたりするような、その場あたり的な気分感覚がすべてでいることや、時間は守らない、約束も守らない:嘘を平気でつく、自分から何もしないでケチばかりをつけるだけのつまらない日本的な悪さとアメリカ的な良くない面を絶対に合わせ持つようなことをするな!」

「俺が言いたいことはお前に解るか!?」

「俺は今考えているのは、本当の国際化ならば日本の未来を良くしていきたいために海外の良い面を取り入れること、アメリカの自由な精神、中国の大らかさと数千年間において築かれた思想哲学、伝統医学や体育運動が結集した中国武術や気功を取り入れていくことで中国に出来ないこと、漢字などのアジア文化をより深く理解するのにはまだまだ不完全だと思うアメリカにも出来ないこと、これからの活動で交流を考えている台湾とではまだ中国大陸と庶民とは直接交流が難しいから今現在の日本でのみ出来ることがたくさんあるんだ。そこに今全部を思っている」

「これからの日本人の未来の展望を図るためにも、今この国に蔓延している遣る瀬無さの正体を暴いて改善していくこと、ありとあらゆる気兼ねや気がかりの元をなくし、個人個人での心身を活性化できる方法を広めている。国や行政の携わる人間達は役に立たない。だから俺はできるところをすべてやっているんだ。本当のことを言ってやっていくには勇気のいることなんだぞ」

友人「うん、解るよ。でも僕には難し過ぎるよ。それよりあのさ、お腹空かない、ご飯食べに行こうよ」

「まぁ、そうだな。行くか・・」

その後彼は、あまりこの話には触れませんでした。翌日に彼はお昼過ぎに立っていきました。

※奴からは今でも私の休日である水曜日の朝早くに電話がかかってきたり、メールがやって来ます(昨日も来ました)

秋はいろいろと思うことがあります・・