先日、10月2日(日)に今年の我々の演武交流会を開催致しました。

出る側にも力を与えてくれる会場の皆様からの温かい拍手や応援があって本当に素晴らしい時間を一緒にエンジョイできたと思います。

振り返るに、会場へ足を運んで来て下さった皆様、裏方のスタッフをして下さった皆様。

ステージで頑張った皆さんたちとのコラボレーションはまさに今「生きている」という活き活きとその空間を共に楽しく実感・共有できました。

本当に、嬉しく有り難い時間でした。

実はこうやってイベントをみんなで運営してみると気付くことがあると思います。

世間にあるイベントのありとあらゆるすべては、実は大きくても小さくても注目をされてもされなくても主催が「やっていること」には差異はない、ということなのです。

私はいくつかの武術業界や、フィットネス業界、芸能界でも仕事の経験をしてきました。

裏方を見れば実はやること自体はほとんど同じです。

イベントを競技会にすれば、広告費などを払ったり認知されることを工夫して演出や宣伝をして出場者を募り集めて、

ジャッジを適当に用意して、審判を担当してもらいます。

(ジャッジの能力が高ければ面白いものになり、ジャッジの能力が低かったり、不公正を感じれば見ている時間すら無駄に感じるようになるものです)

競技の場で選ばれた選手たちには1位~上位入賞すれば後に何らかの褒美・興味付けなどもしたり、メダルや賞状を事前に業者などに頼んで発注して作って納入してもらったものを「お偉いさん」気取りをしてもらった誰かに渡してもらって表彰台などの演出をすれば、何でもそれらしくやることが出来ます。

最近思うのは、これらも多くは世間の人々にも簡単に見抜かれている、というものや、新しく本当の本物を抜擢していこうとするものなど、玉石混交になっています。

日本での武術業界のある競技会の一部では、審判も指導者側もその特定組織の上層部とは癒着に近い関係で、

恩恵を得られるようになるのはほとんどが同一人物たちになって構成されていて、その組織思考での利用しやすい人間たちのみ有能という洗脳で選ばれていて、

たとえ会場に何人集めたとしても、陽の目を見ることの出来る人たちはあるお約束のある「出来レース」へと付き合わされているだけのものがあります。

そのすべてを八百長とまでは言わないですが、やり方としてはいつも結果は限りなくある一部のみ有利な展開になるように複雑さを見せかけたりしてでも意図的に仕向けてやってきている、といえると思います。

(もうこれは有名なのでわざわざ明言しなくてもいいのですが一応まだ知らない、気付かない!?方々への確認のためです)

大体、こういう談合的なものに関する人間たちの特徴は傾向や風潮が似ていて何か「やましさ」や「真実を知られたくない」という本心が本人たちは気付かなくとも雰囲気は表に出ているものです。

私が思うに、人に栄光を与える場所が適していれば、それは必ずうまくいき、適していなければ当然うまくはいかないものです。

今現在の日本は大きな変革の時期に来ています。

確かに「そういったもの」は残念ながら日本の世にたくさんあります。

「そういうもの」と考えている人と、「そうであってはいけない」と考える人の考えの差はかなり距離があると思います。

裏談合や裏工作で行政などを利用して仕事の受注をしようとする仕事が不味い2流や3流連中はこれからの正直で素直な発展を目指す日本には不要です。

素人であっても、それを知らぬ子どもたちが見ても、その道の長い玄人衆が見ても感動できるものが1流です。

私達は時間がかかっていい。

一流を目指していきます。

真の評価は第三者が決める。