今朝おきてから昨晩の出来事を分析しています。

昨日の夜は9時頃に買い物に出て帰り際に交差点で信号待ちをしていたら、前から自転車に乗って何やら意味不明の言葉を大声で発しながら老人の男性がこちらに向かってきました。

人はパーっと散るように除けながら離れています。

直感で「普通じゃない」と思いました。

こちらにいるのは自分だけ「来る!」

男は「お前は道路交通法違反だ!」と意味不明な言葉を叫んで

すれ違いざまに拳を振り下ろしてきました(所謂、劈拳)


これまでの間はほんの2~3秒です。

自分は咄嗟に架掌でかわし、同時に「一喝!」

男は自転車を降りてきて、対峙しました。

「いかれている」

問答を交わすうちに向こうはパンチを打ってきました。当然かわす。

悲しいことに弱弱しいパンチである、自分はシャドウボクシングとキックのパフォーマンスを放ちました(本当にこちらが究極に追い込まれるまで当てることはできない)

?爺は「警察を呼べ」と座り始め叫び始めて、私は「よし待っていてやる」といいました。


?爺といくつか問答をしました。

「おい、オジサンはすれ違いざまに1発、そしてさっき3発打ってきたな?」

「そうだ、お前が悪い 早く警察を呼べ」

「俺はあんたに1発も当てていない、いいな」

すぐ近くに派出所があり、警官が来てくれました。

?爺「こいつは道路交通法違反だ、逮捕してくれ」

警官「・・・」

私「このオジサンが信号を渡ってきて、道路交通法違反だ、といって殴ってきたんですよ」

「その後この人は3発殴ってきました」「な、オジサン!」

?爺「俺は何もしていない」「こいつが悪い」

その後パトカーがやってきて4人の警官がきてその?爺と問答をしていました。


警官「大丈夫ですか?」自分「大丈夫です」

それから先程起きたことの顛末を話しました。

後からやってきた警官の一人は「またこいつか・・」とつぶやいていました。


遠くで私に向かって「あいつは道路交通法違反だ、捕まえろ!」

そして?爺が警官に向かって

「お前らじゃ駄目だ、警察署で話しをしよう!」

警官「うるせえぞ!コラァ!!」

?爺「・・・」

(一番最初に?爺に向かった自分の第一声と同じトーンと勢いなので可笑しくなりました)


別の警官「すみませんね、後はこちらでやりますから、どうぞ気をつけてお帰りください」

自分「ありがとうございます、では失礼します」

そして?爺に向かって

「おい、オジサン警察が来てくれてよかったな。ちゃんとお礼を言えよ!」といいました。

遠くで、?爺「お前は道路交通法、違反だ!」

警官「静かに!!」


私はその場所を後にしました。

一晩明けてから、分析してみるといくつかあります。

今のこの日本の警察官の仕事は本当に大変だな、ということ。


海外では会ったことはないのですが、日本では時々、

電車の中でも何やらブツブツ独り言を言っている人や、突然叫び声を上げたりする人を見ます。

以前は東京に住んでいた時は、よくいました。

そして思い出すと自宅をゴミ屋敷にする老人とか、秋葉原の殺傷事件などがよぎりました、

とにかく大事なのはファーストコンタクトの瞬間です。


ただ自分はいつものように買い物にいき、帰る途中にいきなりこういう出来事に巻き込まれる・・

こういうことはめったにおきないことなのですが、

物事は本当にまったく予想のつかないところから、ほんの数秒で急展開します。

今回は?爺で素手だったのでよかったのですが(でも、完全な?ではなく、一応話しは通じている・・だからかえってたちが悪い)

これが若者とならばどういう展開だろうか、とかいろいろシミュレーションをしました。


もし刃物でも持たれていたら自分なら棍だな、とかあるいは一瞬向こうが殴ってきた時に思いっきり殴り返していたら、

爺のいう道路交通法違反!?ではなくて過剰防衛だな、とか振り返り こちらはシャドウボクシングだけで手を出さずによかったです。

(一時期の治安の悪かったアメリカをふと思い出しました)

日本の世は全国で「おかしな人」が増えている。

もっと考えれば「狂っている」のではなくて「開き直っている」あるいは「間違った正当化」が多くなっているのかも知れません。

それは自分の人生に関心がなくなり、何か理由を勝手に見つけて正当化して

関係のない人にでもイチャモンをつけて、相手をしてもらいたいのだと思いました。


人生に学びは大事であり、自分は武術を学ぶにあたり「武徳」や武術技法を習得して、自分でも日々練習し指導する業をしています。

過ぎてしまえばほんのわずかな時間内での咄嗟の判断、そして行動。

武術をやっていて本当によかった、と実感しました。


世の中を悪くする人間はいつの時代にも、どの国にもいます。

たとえ悪い方向に向かう人間がいても、それを正す努力。

そして世の中をよくするには、ひとまず身近な今自分が行っている共同体の運営を更に充実させること、健康目的など様々な理由による指導。

すべてが活きているのだ、と感じました。