自分の考え方ですが、すべては「整理能力」であると思います。

例えば身体を見れば、様々な飲み物や食べ物を体内に入れ、そこから五臓六腑さまざまな器官がそれらから栄養分と不必要なものを体内で選り分けて不要なものは体外へ出し、

必要な成分は体内をかけ巡りエネルギーとなってすべての動力の基になっています。

身体づくりである運動はもちろんのこと、

指導するということでも、それぞれの目的へ適切な到達を図るために行われます。


これは、ありとあらゆる仕事をこなすことにもすべて当てはまると思います。


最近、日本での様々な事象から気付くのは「ごちゃごちゃ」になっている人が多いのがわかります。


マスメディアのやり方を見ていても「誰が、何をどうしたいのか」が伝わらず、

ただ並列で何の解決のないままにただ「だらだら」して事を曖昧に大きくしたりして不安をあおっている印象に感じます。

多くの人々にもそれがきっと知らず知らずのうちに影響を受けているようです。

私は必ず「誰が何を起こしたから、どうなるのか」という「対象の分別」

そして「分析」をしてから 解決策の模索~決定~実行つまりは「思考」と「行動」を結びつけています。

そしてそれを記録や記憶に留めておく習慣にして、また何時同じようなことが起きた時の参考事例として保存するようにしています。


自分はこのことは日常生活のすべてにおいて習慣化しているので無意識でも動いていると思います。


整理能力は、自分自身で気付いて鍛えなければ絶対に身につきません。

整理能力には分類と区分を決めそこから優先順位を決めて行動に移ることが必須です。


そうすることによって明確化されるので「今、自分(誰)が何をしなければならないか」

そしてその成果をまた省りみて、分類して喜ぶべきは喜び、

修正しなければならない時は修正して、そしてまた一つ新たな経験になっていきます。

経験はこれらの発見から積み上げられてできてきます。

ですから整理能力のない人は明確さや決断力が鍛えられないので、

結果として真剣さの足りない「ごちゃごちゃ」した感覚になって自分でもわからなくなっているのでしょう。

逆説的に表現すれば「ごちゃごちゃ」を整理できないのは、一つ一つを見極められていないことです。


物事の何でも基本は一つです。

基本をしっかりと大事にする人は「一」をしっかりと理解してその尊さを知ることができます。


ここが大事だと思います。


「一」はもう一つ足せば「二」足せば足すほど増えていき 

かければかけるほど更に数は増していくものです。

整理する時はかけたものは割れば良いし、足したものは引けばみえてくるものです。


つまりは整理能力があってこそ大きな成果に繋がっていきますし、

集団になればなるほど大きな力になっていきます。


その逆はどんどんと問題が増えていき、

誰が何の問題があるのか、その解決はどうか、と求められた時には「ごちゃごちゃ」で時既に遅し・・

解決不可能で誰もが不本意に思う結末を迎えるだけになってしまいます。


世の中には多くの事象がたくさん見えていますが

「整理能力」は人それぞれに「自分自身」を守るためにも良くなるために発展させるにも今現在は更に重要視していく必要があると思うのです。