今大会出場のお話しを頂いたのは、
今年の4月下旬~5月上旬に亳州へ五禽戯学習団を率いて訪問した時のことでした。
ですから今回は久しぶりに気軽な一人旅で参加しようと思っていました。
現在のメンバーの中に、
武術院に来る前にありとあらゆる教室で様々な気功や太極拳を長く30年ほど修練している方がおり、
一緒に行きたい、という希望があって二人旅になりました。
「旅は道連れ、世は情け」
(思うと、一人旅だと荷物の管理に不安があったり、写真を撮ってもらったりができないので助かりました)
今回もいつも通り日本で中国国内の列車のチケット(北京~亳州)を手配しました。
北京に着いてホテルで列車のチケットを受け取り、準備は上々でした。
次の日は朝から大雨になり、少し心配でしたが、北京西駅に無事着いて、
待合室で余裕を持って待機をしていました。
列車も予定時間に発車し、ここから9時間ほどの列車の旅の始まりです。
列車内に時刻表があり、亳州への到着時刻を確認しました。
ようやく落ち着いて、
日本にいると慌しく、のんびりと外の景色を眺めていました。
そこへ車掌さんがやって来てチケットの拝見、と来ました。
自分はチケットを取り出して、
「亳州に着く前に教えてくれますよね?(もちろん中国語です)」
と尋ねました。
中国の車掌さんは女性も多くいて、普通は大体そっけないです。
「亳州は止まらない」
「・・・」
「何ぃ~!」
「自分たちは亳州で降りたいんです!(もちろん中国語)」
「これは快速列車です、前は停まっていましたが、今は亳州は止まらない!」
もちろん頭はパニック状態になりました。
元々着く時間帯は前回乗ったので遅れても夜の10時ぐらいになることを知っていたからです。
「自分は旅行社に何回も確認してチケットを取ってもらったんだ、変更があるなら何時それがあったんだ」
「3日前、9月になってから」
「え!」
「さっき通路の時刻表で確認をしましたよ」
「あれはまだ変わっていない」
そのまま車掌さんは行ってしまいました。
ホテルで受け取ったチケットに北京の旅行社から手紙がありました。
「成澤様、チケットは、阜陽までありますので車掌に伝えてから亳州で降りてください」
そうか日本で手配した時はまだ8月中だったんだ!
しかし・・・
もう一度歩いて来た車掌を捕まえて「亳州で降りるのにいい方法はないですか?」
と相談したら、いっぱい時刻表を持って来て、もう一人車掌さんも加わって、
乗り換えの方法を考えました。
「そのまま終点の阜陽まで行って、折り返してくるのがいいんじゃない?」
「いや、阜陽まで行ったら、もうその時点で11時半ぐらいだと思う、折り返し電車を待つのは難しいだろう」
と私は答えました。
確かに、あまりにも多くの列車があるので乗り換え時刻を調べるのはものすごく手間がかかりました。
前の記憶を思い出して「そうだ、前の駅は河南省の一番端で商丘はとても大きな駅だった、
もし列車がなくても一泊できるぐらいの宿泊施設はあるはずだ」
よし。
「商丘で降りる」
そう伝えました。
「商丘か、商丘ならたくさん各駅列車がある・・どれどれ、あった!大丈夫だ。一時間後に来る、安心しろ」
ようやく安堵の気持ちになれました。
それから6時間ほどして、車掌さんが降りる前に我々の乗る列車の便を紙に書いて教えてくれました。
降りる間際に、車掌さんが「気をつけてね!慌てずに!」と声をかけてくれました。
駅に降りて、列車を見送り辺りを見回したら、少し雰囲気が違うことに気付きました。
駅名をよく見たら「商丘南」と書いてありました。とても小さな駅でした。
辺りは既に真っ暗で、お店もほとんどなく、もう既に9時を過ぎていました。
とりあえず駅を出て、もう一度チケット売り場へ行って、
先ほどの紙を出し、「この列車に乗って亳州に行きたいのですが・・」
と尋ねたら、返ってきた言葉は、
「亳州は止まらない!」
「ガーン!!」
「自分は亳州に行きたいんだが、今日はもう列車がないのですか?」
しばらくしてから、
「ある」
「!!良かった~!!」
「しかし、2時間後。」
「まぁ、辿りつけば、それで良い」
11:30発の杭州行きの各駅の硬座車の無座(立ちっぱなし)を握り締め、
とりあえず、灯りのある方へ歩いたら、
まだ懐かしい雰囲気の食堂があり、軽い食事をしながらビールを飲んで暇つぶしをしました。
ふと空を見上げたら、十六夜の月。
本当の意味で、「月見で一杯」
ようやくやって来た列車に乗り、亳州に着いたのは12時半を過ぎていました・・
いつも泊まるホテルにチェックインして、
バタッっと眠りに着きました。
「やれやれ、とんだ珍道中だった・・・」