曹操運兵地下道は、曹操が亳州城の地下に張り巡らされた地下通路です。

亳州がまだ沛国の「譙」と呼ばれていた時代、


三国志の前半に描かれている若き曹操が打倒「薫卓」を目指し、兵を集め鍛えながら、


故郷を守る為にも地下通路を作り 


味方が人に知られずに外へ出られたり 内側が占拠されても外から入れるようにしました。


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その長さは今現在発見されているものでも3kmはあるそうです。


公開されているものは安全性のため600m部分になっています。

その中を入ると、それはレンガで固められて よくできていて 


通路によっては馬が入れないようになっていたり 兵士の鎧が着いているとつかえるようになっていたり、


通路を知らぬ敵兵が入ると、落し穴ができていたりしています。

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途中、上下に分かれ 作戦会議や指揮系統を説明する広場もあったりして 


1800年前にこういったものを作ったとは驚くばかりです。

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滾雪(氵をとったそうです)と書かれているのは曹操の直筆の文字で、それを石に写したものだそうです。

雪だるまを作る時、ゆっくりと固まりながら丸まって大きくなっていくのを


自分の役割になぞらえて思いを託したそうです。



「滾雪」いいメッセージになる言葉なのだと感じました。

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