五禽戯に興味を持っていたのは、実はかなり古くからでした。



中国武術・横浜武術院のblog-華侘のポスター


中国武術・横浜武術院のblog-像


初めに見たのは日本のベースボールマガジン社から80年代に出た中国の健康と体育シリーズの本の「五禽戯」でした。

少林武術の五形拳と何か関係がありそうだ、と思いそのテキストを購入しました。1983年頃のことでした。

(後に中国武術の象形拳はほとんどが明の時代に発展し、何らかの形で五禽戯に影響受けたり、動作が取り入れられたりしていることが解りました)

その後は武術競技に力を入れて20数年を過ごしました。


あまりにも長く居過ぎたせいか、競技には興味が持てなくなってきた2000年の秋に


1985年に初めて中国を訪れ武術の指導を受けた、


恩師の上海体育学院の邱丕相老師が日本に来て馬王堆導引術の講義があるのを知り、受講してきました。

そこからだんだんと行っているうちにかつて怪我をして後遺症の残る部分が治癒していくのを実感し、


とても導引について関心が大きくなりました。

邱丕相先生が言うには今新しく五禽戯を創編していて、研究をしている とのことでした。


それが後の健身気功五禽戯でした。

その頃「気功体操」を上海体育学院の武術系の教授たちがそれぞれにオリジナルのものを創っているのを知り、


自分でも創ってみました。これが「養生導引操」です。

健身気功の五禽戯はすぐにマスターできたので、


フィットネスクラブのレッスンを通じて私のオリジナルの養生導引操と健身気功五禽戯五禽戯と健身気功八段錦を広めました。

太極拳だけでは物足りない方々はすぐに喜んで下さり、ヨガやピラティスに興味ある人も、


その歴史や運動哲学にとても興味を持ってくれました。

2002~04年頃はいつも連休が取れたら 上海へ出向き

上海体育学院の先生で知り合いの陳新富さんや劉静さんを訪ねたり、


楊中平さんに新ルールの武術の練習方法を教わりに行きました。


今中国の剣槍の一位の韋剣くんはその時はまだ無名でしたが自分は彼のこれからの躍進を確信してその練習を見ていました。

そこで体育学院の体育館の中でバッタリと安徽省の武術隊エースで


80年代の全中国での剣槍の覇者 「賈平:jiaping かへい」さんと再会できたのです。

そこで二人で飲みに行きました。

賈平さんは「最近は、何やっているの?」というので、


「今、武術の先生をやっていますが、個人的に一番興味があって研究しているのは 導引術や五禽戯です」と話しました。

「へぇ~以外だね~」と賈平さんは言っておりました。

それから翌年日本でも健身気功五禽戯のテキストも出て日本から学習者が上海に来るようになり


賈平さんが通訳兼アドバイザーを数回行いました。

それからすぐに賈平さんからメールが来て「五禽戯は面白い!」とありました。


そして賈平さんも興味を持ち、五禽戯の発祥の地は安徽省だと教えてくれました。


そこで賈平さんは「面白そうなので、ちょっと行って来る」と連絡があり、単身で亳州へ行って来たのです。

やっぱり英雄は英雄を知るのでしょう。


安徽省の武術界つながりで 第57代 華侘五禽戯伝承者の薫文煥老師と会い 現地の素晴らしい土地を見て感動し、私に連絡が来ました。

「成澤さんに、是非とも紹介したい」とあったので、


07年11月に下見を兼ねた一番身近な有志の方々と訪問して学習をしに行きました。

当時89歳の薫文煥老師とお会いして、58代になる 周金鐘老師 今回はお会いできませんでしたが 


修海燕老師 任淑美老師に指導して頂きました。


その繊細なまでの陰陽五行説に基づいた運動哲学の道理と医術としての法則に驚きました。

初めて訪れた亳州市は自然豊かな土地で数々の歴史的な英雄を輩出した土地でした。

中でも有名なのが古代の思想家、後に道教が起こり太上老君とされた老子。


そしてその自然思想を更に発展させた荘子であり、

有名な三国志の曹操と華侘です。

そのほか竹林の七賢の嵆康(けいこう)やディズニーで描かれたムーランこと花木蘭らがいます。

その中でも曹操の存在にはとても影響を受けました。


中国武術・横浜武術院のblog-書1



その土地を巡り、本当に体に良い食事 名酒を知り そして五禽戯を学びました。

歴史的には、2~3世紀に日本の邪馬台国の卑弥呼の使者が数回も訪れ、


魏の国の使者も当時の倭(日本)を訪問し「魏志倭人伝」を記しました。

まだ仏教の伝来もなく、日本人が「日本」と名乗る前の時代です。



何か手付かずの当時から替わらぬ大地や風の香りを吸って思いは深くなりました。

そして一番自然環境がいいのは5月と聞き、ツアーを組み 有志と共に訪れるように計画しました。



そして、今現在。

時間の流れを感じ、人と人の出会い。

出会うべき人や、出会うべき地とは必ず巡りあえる。

そんな事を感じました。



今現在、私自身の日本人として戸籍では、直接に中国との家系のつながりは見つからないのですが、

きっと、自分の中にある遺伝子が何か、この土地へと呼んでいた、そんなことを感じて想っています。