安徽省亳州市は、街そのものが史跡になっています。



街1


文化大革命の時にも、時の政府からも保護され、


今日までその素晴らしさを維持しています。

(その為に世間に知られることが少なかった)


街2

街3


花戯楼


街4


花戯楼は、大関帝廟と共に隣接し


古くから交易が行われた場所だそうです。



花戯楼1

楼2


建物には細かい彫刻が施してあり、全てに歴史と由縁のある寓話が描かれています。


素晴らしい芸術作品であり、豪農や行商人の集まる目印だった場所だそうです。



楼3


門をくぐると、そこには京劇の舞台があります。


かつては武将たちが、ここで集い、


酒を酌み交わし、情報収集をしたりした場所だったそうですが、


その名残は、現代でも充分感じられます。


楼4




隣の建物は、


岳飛3


英雄「岳飛」が祀ってありました。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B3%E9%A3%9B


夏に杭州へ訪ねてきた「岳飛」に、またここで会えるとは・・


実は自分の気付かぬ内に岳飛の守り神が


ずっと「私」を守っていてくれたのであろうか、と


ふとそんな気もしました。



岳飛1



思えば、00年より、武術での北京五輪招致活動をずっと手伝っていました。


しかし、招致成功後に、いろいろな面倒を背負い込まされる羽目になったり、

仲間に裏切られたりもして、心を傷めたことがあります。


しかし、考え直せばすべては自分が学んだ経験になればいいだけのことです。


嫌なことがあっても、それを乗り越えて、自分が鍛えられていけば、

それは「試練」となり、「嫌なこと」ではなくなるものです。


自分が進化している実感がある、ということは、

それがない人と比べてみればそれも大きな無形の財産である、ということがわかります。



世には、人を困らせてでも、自己満足のためを考え、欲にかられ、有形にしか過ぎない

財産や地位を得ようとする人も多くいますが、


結果的にはそのような人々には「安堵感」や「安心」が得られることがない のも世のさだめでしょう。



↓岳王廟の岳飛・岳雲父子の墓の前には、彼らを陥れた

秦檜夫婦・張俊らが縄で繋がれた形で正座させられている像が作られています。

岳飛2




楼5

記念撮影


旅の中ではいろいろなことを思い出すものですが、


今はこうして、素晴らしい人々たちの出会いの中にいられて、


「安堵感」や「安心」のある自分は幸せだと思います。







漢方薬市場にやってきました。


ここでも華陀の像が立てられています。

漢方2


中国の中でも最大規模の漢方市場だそうです。


やっぱり活気がすごかったです。


漢方1


とにかく中は広い・・・


漢方3


これは珊瑚をはがして乾かしたものらしいです↓


漢方9


水牛の角に鹿の角↓

漢方6


二階もまだまだあります。


漢方8


出た!蛇がたくさん!

漢方5


これは亀の甲羅です↓


漢方4


噂にも聞いていましたが、さそりの超山盛り↓


漢方7


市場の周りにはきさくな行商人がいっぱいいました。



漢方11





「曹操 運兵道」


曹操は、初めて戦術の中で地下を掘り、 


そこに兵士の通れる地下道を作りました。


それが現在にも残っています。



しかし、残念ながら、数日前の雨で水が溜まってしまい、


中に入れなかった(赤い札が立っています)


次回の楽しみにとっておきたいと思います。



地下道

曹操運兵道の周りは、


明・清の時代から残る、老街です。


街1


「我是亳州人 我愛亳州城」と書いてありました。


地元故郷を愛し、自分の祖先を崇敬する、ということは


とても大事なことです。

街2

亳州は古来から伝わる歴代中国文化の偉業があちらこちらに残されてあり、


グローバル化を目指す自由主義経済導入をして、

せわしない都市部とは違って非常にゆとりを感じました。


感じたことですが、とにかく、亳州は「古酒」「気功を含む武術運動」「医食同源」の

古くから完成された大らかでたくましい文化、生命の根本となる力を市民が持っています。


中国四千年の歴史とひとことでいいますが、それは、人々の毎日の工夫と知恵の結集であり、

一年一年の積み重ねが作ってきたのを、身体全身の第五感・六感で感じました。




それから、楽しかった亳州を離れ、


北京に戻ってきて、何かさびしさを何故かすぐに感じました。


北京1

北京2


日本人に限らず、世界中の先進国の現代人はせわしなく、心にゆとりを失い、


愛情や友情などの情緒も崩れている日常があります。


それは現代中国の都市で生きる人々もそうなっているようです。



日本もかつてはそうだったのですが、中国の都市でも今はすさんだ空気さえ感じることがあります。


ここでもお金があれば何でも手に入る、だからお金が欲しいという人が


たくさん増えたのが解ります。


自分自身だけが満たされればよいとの考えが一般的になり、


かえってさびしさを増し、お金で買えるものを集めて満足しようとの風潮や傾向があります。


(私の中国の知り合いにも、そういった人になってしまった現実もあります)



北京3


私自身はそういった考え方や時代の流れに負けずになんとか頑張ってきました。


変わっていくものもあれば、変わらないものがあっていいはずです。


北京4



日本では、最近、素朴かつ純粋な魂が大事だと見直されてきました。


これからの未来を良くしようとする人々のためにも、


「古くからあるいいもの」を大切に伝え、


今からでも、始められる「歴史」を刻むべく頑張っていきたいと思います。


評価されるのが、今から千年後でもいい、


そんな生き方を頑張ってしたい、と亳州に学びました。



楼3


実は、私と安徽省との武術の縁は86年夏の17歳の時から始まり、


今年で21年が過ぎようとしています。



あの頃少年だった自分も壮年期に移りました、それも自然の流れです。


何度も数え切れないぐらい中国へ訪れても尚、


また、今回の旅ではやっぱり広い中国がとても大切なことを教えてくれました。



そして、これからの壮大で大きな目標をいただきました、


これからももっと日本の人々のためにも、中国の人々のために、


面倒な両国間の政治問題に関わらず、互いにいいところを尊重し合う

素朴な民間人の交流を通して両国の発展が本当により善くなっていく為に尽力し、頑張ります!