「理系のための」って、誤解ある??
でも、「バリバリ理系の私が、スピリチュアルに目覚めた経緯」の一部
という読み物ととらえてくださいね。
世の中一般に正しいこととして、
「目に見える=間違いない」
「証明される=正しい」
という傾向があるけれど。
この世界にはありとあらゆる波長が存在しているのに
電磁波でいえば、人間が目で感じることができるのは、
およそ 360nm~750nm の間の波長だけで
これを「可視光線」と言っているわけです。
でも、人間は機械ではないので、
その能力には個人差があるよね。確実に。
たとえば、50m走を6秒台で走れる人と、9秒後半で走る人とがいるのと同じで。
そして、ありとあらゆる能力は、個人の中でも開発余地があって、
たとえば9秒後半の人が、トレーニングすれば8秒台に突入することも、もっと早くなることもある。
で。で。で。
可視光線、の幅を超えた、紫外線・赤外線領域
あるいは、それよりさらにもうちょっと外側であったとしても、
“視覚として”感じる人がいるのは、
不思議でもなんでもないよね・・・。
50m走でいえば、6秒で走れる人がいるのだから。
「目に見えること」「証明すること(データ)」
を正しいとすることに対して、
目には個人差があること
(正確に言えば、目に見えているものはあくまで個人の知覚でしかないこと)
データは常に統計の平均であること
(平均の仕方は様々だけど、隅々までは決して表現されないこと)
という前提を、忘れるべきではないと思う。
もちろん、目だけじゃないよ。
次は、考えることの弊害について、書いてみようかな。
なんだか、よくわからない連載になってきたけど、
また続きま~す。