【読み物】移植病棟24時

加藤 友朗
移植病棟24時
読み始めて、数時間で読了。
いや久々に一気読みしました。
200頁以下ということもさることながら、著者の「本職は医者ですよね?」と聞きたくなるくらいの分かりやすい文体。客観描写的で自然体な語り口。
タイトルからして分かるとおり、先ず圧倒されるのは、医療現場の壮絶なる緊張と迫力。
臓器ドナーが現れなければあと数時間の命、病状の悪化による集中治療室での一進一退、寸前で現れるドナー。そして手術は成功しこのまま回復に向かわんとする時、患者の状態が急変、突然訪れる死。
ほんと、事実は小説より奇なり、とはこのこと。
アメリカは脳死ドナーによる移植医療がすごく進んでいるらしく、件数も非常に多いようで、現場はほんとにそんな感じらしいです。
そしてこの本のもうひとつの魅力は、医師と患者のヒューマンドラマなのです。
著者の担当が小児移植医療だということにも起因しているのでしょう。
病におかされ、臓器移植をしなければ死を迎える子供たちの愛くるしい描写。
いや涙の連発ですわ。
また、母親が面倒を見ない子供だとか、不法移民の子供だとか、現代アメリカ、そして近いうちに日本でも表面化(もうしているか?)するであろう、社会の歪みに関しても、考えさせられるエピソードが織り込まれています。
そしてここが真骨頂なのですが、物語に出てくる人物達は、患者本位なのです。
感動してしまったのは、ある移植を待つ患者にやっと現れたドナーを、別の患者に割り当てなおすところ。
その別の患者は重症で、移植をしなければすぐにでも死んでしまいそうな状況。
しかしドナーというのは適切に配分されるよう管理組織(いわゆるお上みたいなところ)が仕切っており、申請した優先度に沿って割り当てをしています。当然、一度決定した割り当てを覆すには、許可を得なければならないそうです。
一刻を争う事態。
著者はボスに直談判し、事後承諾で移植患者を振り替えます。
ボスの台詞(きまってんだろ。俺が責任とるから振り替えろ、的な台詞だったと思います)もベタベタな格好良さなのですが、そのことを報告したときのお上の担当者の台詞がイカしてます。
「あなたが正しいと思うことをしなさい」
いやマジで。その心意気というか、その台詞を吐かせる土壌がうらやましいね。
これが日本だったら「申請書を書き直してください」とかなるんじゃないの?
誰のための医療なのか?組織の存在目的は何なのか?
考えさせられます。
文中には、「この治療法を最初に発見したのは日本の~で、しばらく前は日本でしか出来なかった」とか、「この薬は日本の~製薬が開発して~」とか、日本の医療関連技術も非常にレヴェルが高いところを思わせる記述がちらほらしています。
それなのに、ああそれなのに、それなのに…
なぜか日本の医療は後進であるような錯覚があるんですよね。
こと臓器移植に関しては、脳死判定問題など、一朝一日ではいかないこともあってすぐにアメリカのようにするのは無理だと何となく分かるのですが、それ以外にも、全体的になんか遅れているような、護送船団時代の銀行を髣髴させるような、患者(顧客)本位のなさを感じるのは、私だけではないでしょう。
そう感じるのは、やたらと待たせたり、いかにも非効率なところを見せつける、大病院様の高慢さのせいかも知れません。
はたまた、やたらと医療ミスだ!また医師の怠慢だ!とかセンセーショナルさだけを追求し本質的な問題点をえぐらない一部の野次馬的メディアのせいかも知れません。
しかし本質的には、保険も含めた、医療関連の制度設計に問題はないのか?その疑問につきるのだと思います。
特に、技術を高めて患者を沢山治療することにインセンティブが働く仕組みになっているのか?無駄なことをして病院にお金が落ちる仕組みになってはいないだろうか?
もしトヨタや、ヤマト運輸あたりが病院を経営したら、どうなるだろうか?
見識あるひとは「何をばかげたことを、医療と商売を一緒にするな」と激高するのでしょうが、果たして効率と品質を両立させる経営を目指すことが、ばかげたことなのか?
私には、分からなくなってきました。
もしかしたら、一番は「しょうがないよね~憤りは感じるけど所詮個人の力ではどうしようもないよね~医療のことは良く分からないし~」と無気力・無関心を露呈する我々自身が一番問題なのかも知れません。
しかし少なくとも、技術はあるのに、制度が整っていないためにその技術を求める患者がなすすべなく死んでいく。
これほど悲しい矛盾はありますまい。
というように、この本、命を預かる現場の奮闘、医者と患者のふれあい、そういった感動の後には、何故日本も同じようにできないのか?憤りが沸いてきます。恐らく、それが著者の思惑通りでしょう。