ミリオンダラー・ベイビー

…やられました
イーストウッド監督だからハッピーエンドでない事は分かっていたのだけど、言葉を失うほどの重さ。
○幕の内一歩+おしん=マギー
ヒラリー・スワンク演じるマギーは、パンチはあるが技術は乏しく既に30代、傍から見ると「よ~頑張るね~」というキャラ。ウェイトレスをしながら、客の残した食事を食べてまで清貧の暮らしを続け、溜めた小銭はパンチングボール購入にあてる。
テレビはない、と言い放ち、ただひたすら「強くなりたい」とイーストウッド扮する老トレーナーに迫る。
タイトルに挑戦できることになった場面での喜びよう、何か教えてもらおうとして、イーストウッドを期待感一杯の表情とともに目で追うその姿、清貧のファイター像を完璧に表現している。
美人とかカワイイ(英語になってますよねこの言葉)、ではなく、色っぽいでもなく、この上なく「美しく」見える。
今まであまり知らなかったのだが、上手いね、この人。
○はるか一世紀前からコンビを組んでいたかのうような二人
相対するイーストウッド扮する老トレーナー、フランキー。現在はジムを細々と営むが、ストイックさ故に我慢させすぎたせいで、折角長年手塩にかけて育てたランカーにタイトル挑戦直前で逃げられる。
そんなとき、マギーに出会う。女30代で今からは無理だ、と最初は突っぱねるのだが、マギーの熱心さに徐々に支援をし始め…ついにはタイトル挑戦までこぎつける。
理解し合えず別離した娘の姿を、マギーに投影していたのだろうか、もはやトレーナーとボクサーの関係を超えた、家族、親子とも言うべき二人を、かつてはボクサーだったジム住み込みの雑用係、モーガン・フリーマンが静かに見守りつつも暖かい手を差し伸べる。
もはや最強のヒューマンドラマコンビと化したクリント・イーストウッド+モーガン・フリーマン。ジムに出入りする他のボクサーとのやりとりひとつひとつが、マギーのことに関して、険しい表情で朴訥となされる会話、それら全てが印象深い。
○名映画たる所以
後半。致命的ネタバレになるのであまり書かないが、やられた。完全に。
前半が一夜の夢だったかのように、動→静。
あまりにも救いようが無い現実を、そしてその現実に対してそれぞれが取った行動をみせつけられ、人生の意味とは何か?自分は納得の行く人生を送っているか?について、これでもかというくらい考えさせられる。
間が絶妙なんですよ。間が。
静かにゆっくりと進む物語が、考えるペースとシンクロしたとき、自然に涙が出てくる。決して単純な悲しさではなく、何とも言えない、表面的な知覚や感情を超えた、何かだ。
音楽もイーストウッド作。これがまた、どこか暖かくも物悲しい旋律で、いやはや脱帽。凄い多角的才能だ。
観てから一週間たちますが、まだ尾を引いてます。久々に、わざわざ思い出さなくてもふとしたときに映画のシーンがフラッシュバックする作品に出会った。
重苦しい作風のせいか、アカデミー賞総なめも若干賛否あるようだが、自分は全面的に同意。これはこれで世紀を超えて残すべき作品でしょう!
っていうか、誰かクリント・イーストウッドを改造人間にしてもう30~40年映画創れるようにしてやってくれ~
いやあ、映画ってすばらしいですね。