島崎藤村「エトランゼエ」と大正2年のパリ | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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連休前に読書本を揃えようと、図書館本を予約したりネット古本も少し落札して用意万端です。折よく牧逸馬(谷譲次)の一人三人全集を4冊まとめて5,000円で落札、昭和の初代流行作家の作品を読んでみよう。変わったところでは島崎藤村「エトランゼエ(大11)春陽堂」が手に入った。藤村が姪に手を出し妊娠させるなど困りはて、3年ほどパリに逃げだしたおりの(といっても、帰国して3年ほど経ってから書かれた)紀行文です。小口を断裁してないのが珍しい。500円で落札したが、美本なれば普通は高額稀覯本の部類です。

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 島崎藤村:エトランゼエ(大11)春陽堂

明治末から大正にかけて日露戦争に勝ったことで円高になっていたのと、藤田嗣治などの活躍からかパリ留学が流行った。大正2年島崎が渡欧したパリで多くの画家たちと交遊している。ざっと拾いだしてみると山本鼎、小杉未醒、満谷国四郎、川島理一郎、桑重儀一、小林万吾、長谷川昇、和田三造、藤田嗣治、袖木久太、安井曾太郎、藤川勇造など。本文は名字だけだがおおかた知れる。山本鼎が仕切って帰国する小杉未醒の送別会をやっている。

藤田は「こんなところでギリシャ踊が踊れるか」と断っているが、端唄「鎗錆(やりさび)」やら勧進帳、越後獅子など歌って故国を偲んでいる。なるほどコロニーができていて、言葉が通じなくてもパリにさえ着ければなんとかなったようだ。藤村は新年が来ようにも門松は立たないし「餅つきの音がしないので」妙に物足りないなどと書いていて微笑ましい。