佐々木味津三「右門捕物帖」新潮社版 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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佐々木味津三:右門捕物帖:昭和13年新潮社

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佐々木味津三:右門捕物帖:装幀小田富弥

佐々木味津三「右門捕物帖」状態のいい新潮社版なのでご落札。佐々木味津三は、この「右門」と「旗本退屈男」の作者で知られるが、当初純文学を志したこともあって、死後の代表作に「右門」といわれると思うと憂鬱だと語っていた。今になれば純文学も大衆文学もあったものではないが、当時の大衆小説の有り様をよく伝えている。唖ではないかといわれるほどの「むっつり右門」こと近藤右門に、岡っ引おしゃべりの伝六コンビが、あば敬こと与力のあばたの敬四郎をライバルに活躍する。

文章は「…ました。」という説話体で、嵐寛寿郎主演の無声映画における弁士を連想する。朝起きるたびに胸の上に生首が据えられている謎(生首の進物)といった、ネタは割合派手なもので、岡本綺堂・半七捕物帳→林不忘・釘抜き藤八→佐々木味津三・右門捕物帖→野村胡堂・銭形平次→横溝正史・人形佐七&久生十蘭・顎十郎という系譜を眺めると、右門あたりから活劇プロットが派手になる。半七から右門まで15年弱で到達する。

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佐々木味津三:右門捕物帖:新潮社上下巻

装幀画は小田富弥、中面挿絵は弟子の中一弥に描かせているが、中一弥が開花するのは戦後になってからである。日本の捕物ミステリはホームズ、怪盗ルバンの翻訳物に刺激されて登場したというのは前に書いた。さて、ピアノ講師をされていた知人が亡くなって昨日が葬儀だった。内々でということなので出席は遠慮したが、私より少し年かさが上くらいだったから無念を残す。もっとも優秀な生徒さんを幾人も残されたから、寿命の長短を嘆くには及ばないか。