室岡博「越後の石彫師・高橋三広」と信州伊那石工・伊藤長喜 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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昨日は柿崎まででかけてきました。住宅屋さんのHP用のちょい撮影のついでに、黒川の楞厳(りょうごん)寺まで足を伸ばす予定でいたのですが、雨がものすごく諦めることに。天文3年(1534)に上杉四天王の一人、柿崎景家が建立した禅寺で、謙信の師僧・天室光育(てんしつこういく)を招き、柿崎の学問文化の中心になりました。建立以来、火災にもあわず数多くの文化財が残されているそうですが、今回見学の目的は石工・高橋三広の作品を見たかったからです。

高橋三広は柿崎区黒岩に明治30年に産まれています。越後の大方の山間農家の例にもれず生活は苦しく、農閑期は出稼ぎにでるのですが、高橋家では代々京都方面で石工の仕事をしていたようです。代表作として新潟市不動院の十一面千手観音があげられますが、敗戦をはさんで息子の戦病死や雇主の死によって苦労の末の作品だったようです。また、五泉市妙馥堂の勢至菩薩など写真でみるかぎりなかなかの仕上がりです。これは室岡博「み仏の心を刻む 越後の石彫師・高橋三広」で知ったのですが、本自体は貴重な資料ですが、構成が散漫で一般向け本とは言えませぬ。

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長岡にも作品があるらしいのですが、残念なことにどこにあるのか記載されていません。お狐さまのスケッチも残されているので、どこぞの鎮守で星霜に耐えておられるのかも。ということで、三広詣では諦めたもののまっすぐ帰るのも癪なので、柿崎駅前を流して柏崎の番神堂を久しぶりに覗いてきました。写真上は番神堂内、この裏の奥殿は彫刻でうめつくされていて有名ですが、現在は保存と称してガラスで覆われ趣がありません。

堂は明治4年に焼けた後、7年をかけて再建されたもので、大工棟梁は柏崎町の4代目篠田宗吉で、三階節にも唄われています。

 下宿番神堂がよくできた 向拝(ごはい)向拝の仕掛けは
 新町宗吉 大手柄

彫刻は波と亀、鳳凰と桐、雲と竜のテーマで彫られ、脇野町の甚太郎、出雲崎の篤三郎、直江津の彫富の三彫師が技を競ったといわれています。下の狛犬は、その番神堂に隣接した小さな神社ですが、狛犬の台座に文化七年とあり「信州伊那石工・伊藤長喜」と刻まれています。こぶりな狛犬ですが丁寧で好感が持てる仕上がりです。柏崎の神社は宝の山ですが、地震によって倒れたままの石碑がほとんどです。落ち着いたらゆっくり歩いてみたいですね。