[24637]金正日と文鮮明の意外な関係(『正論』05年3月号掲載論文) by.元統一幹部 2007年10月28日(日) 22時10分

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金正日と文鮮明の意外な関係(『正論』05年3月号掲載論文)






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 韓国にはそれに加えてもう一つ、強力なカードがある。それが統一

教会である。「共産主義はサタン」と見なして「勝共運動」の旗振り 

をしてきた統一教会と北朝鮮は犬猿の仲であったが、それもある時期 

までのことで、どこでどう利害関係が一致したのか、統一教会の北朝 

鮮への浸透ぶりは想像を上回るものがある。
 〇三年四月から北朝鮮は初の国産乗用車「ヒッパラム」(口笛。四

気筒、総排気量一六〇〇cc)を生産し、七月から販売を開始し、九月に

ピョンヤンで開催された「朝鮮国際技術・インフラ展示会」で公開さ 

れたが、それは、九八年一月に「統一教会」系の金剛山国際グループ 

(九四年に香港で設立)が北朝鮮の機械工業企業である朝鮮リョンボ 

ン総会社と投資額五千五百万ドル、七対三の出資比率で設立した合弁 

会社・「平和自動車総会社」によって生産されているもので、社長は 

朴相権・金剛山国際グループ社長である。今では世界指折りの自動車 

メーカーに数えられる韓国の現代自動車は一九七四年にほとんどの部 

分を外部から持ち込んで韓国初の国産車・ポニーを生産し、二十年か 

けてエンジンを含む百%自社開発した。
 それに倣って「第二の現代自動車を」と入れ込んでいるのか、統一

教会関係者によると、金総書記は直接の指示を下して、〇四年から党 

、政府、軍の幹部公用車は従来のボルボ、ベンツから「ヒッパラム」 

に切り替えさせたと言う。
 もっとも、南浦での「平和自動車総会社」立ち上げは、統一教会に

とっても渡りに船であった。八〇年代に統一教会グループは自動車な 

ど多角的な事業に乗り出し、中国広東省恵州に八九年からパンダ自動 

車(朴普煕会長)建設に着手したが、認可を得られず行き詰まった。 

九一年からベトナムでフィアットの乗用車、トラックの組立生産を手 

がけたが、韓国では現代、サムスン、大宇を優先させる政府の方針で 

事業認可を得ることが出来なかった。
 そこで、九七年にソウルで法人登録し、翌年、北朝鮮の南浦に工場

を建設した。「平和自動車」には五年間で三億ドルを投じたと言われ 

るが、統一教会側は、ファイアットと技術提携を強化して部品の供給 

を受け、順次、韓国にある統一重工業による部品の比率を高めていく 

と言う。
 とは言え、北朝鮮の国内市場は貧弱で、各国の大使館や政府機関に

売り込んでいるが数は知れている。統一教会側もそれは先刻承知で、 

北朝鮮である程度実績を積み重ねながら、二~三年後には現在一台1 

万4千ドルの価格を一万ドル前後の大衆料金に落とし、中国、韓国、 

日本など国際市場で勝負に打って出る計算を立てている。
 それ以外にも、統一教会はピョンヤンの中心街の一つ、安山通りに

面する普通江ホテル(七三年開業の九階建、部屋数一六二のA級老舗ホ

テル)を九三年に買収して総支配人に日本人の吉澤誠を就任させた。 

さらに、その隣地六万平方メーターに現在、最新の通信装備を備えた 

多目的会議場の世界平和センターを韓国から技術者や機材を持ち込ん 

で建設中で、金総書記が随時訪れ、設計図にも目を通したという。
 統一教会の創始者・文鮮明は、北朝鮮の平安北道定州出身である。

後述するように金日成の特別の計らいで定州の生家は平和記念公園と 

して保存されているが、生家保存は万景色の金日成生家、朝中国境の 

北東部会寧にある金総書記の生母・金正淑生家しかないから破格の待 

遇である。しかも、統一教会系の旅行社が特別ツアーを組み、その数 

は九二年から百回以上になるという。九七年にはピョンヤンに統一教 

会の教会起工式も行われた。
 にわかには信じがたいかもしれないが、現在、統一教会関係者はほ

とんどフリーパスで北朝鮮に出入りして商業地を思うがままに物色し 

ており、「今のうちに北朝鮮の土地(使用権)を買っておけば、百倍 

に跳ね上がる」と幹部が自慢げに語るように、北朝鮮は今や統一教会 

グループの最大最強の利権と化した観がある。
 
2 太陽政策で息を吹き返した゛文鮮明チャンネル゛

 北朝鮮と統一教会という組み合わせはいかにも奇妙であるが、すべ 

ては一九九一年十二月に金日成が文鮮明と電撃的に会見したことから 

始まる。私は当時、「水の油のはずのあの二人が何故?」と首をかし 

げたものだが、昨年九月、韓国に行って複数の統一教会関係者に話を 

聞く機会を得て、ようやくその謎が解けた。
 発端は一九〇〇年にモスクワで開かれた統一教会系の世界言論人協

会(朴普煕会長=『世界日報』社長)主宰の世界言論人会議にあり、 

そこで文鮮明がゴルバチョフ・ソ連共産党書記長と会談したことから 

、北朝鮮がその実力に注目したと思われる。かねてからパンダ自動車 

は東独や中国の北朝鮮大使館を通して北側に接触を試みていたが、世 

界言論人協会は朝鮮中央通信モスクワ支局長に次回会議をピョンヤン 

で開催することをもちかけ、翌年十一月に北京で朴普煕と北朝鮮の朴 

鐘根・金剛山開発総会社社長が接触し、金達玄副首相が途中から加わ 

って文鮮明への訪朝招待状発行となった。
 そうして九一年十二月六日に文鮮明は韓国政府の許可を得ないで腹

心の朴普煕とともに秘密訪朝し、金日成と会談することになるが、訪 

朝には相当な覚悟を要したようだ。統一教会関係者によると、文鮮明 

は側近に「命をかけて訪北する」と言い残した。だが、金日成から「 

虎の巣窟に来たのか」と尋ねられ「虎の口に入りました」と答えるな 

どすっかり意気投合し、文は金日成を「兄さん」と呼んで「義兄弟の 

契り」を交した、という。
 文鮮明は金日成との会談で、軍需産業を除外した北朝鮮の平和的経

済事業を統一グループが支援することで合意し、三〇万坪の平和公園 

や教会建設、平和自動車設立、普通江ホテルの経営権移譲、金剛山開 

発などを提案した。北朝鮮側は条件として一億五千万ドルの献金を求 

めたが、統一教会側は三十五億ドルの支援を約束した。
 それがどの程度実現したかは不明だが、翌年、文鮮明は北朝鮮から

「愛国者」と称せられるようになったから相当な代償は支払ったこと 

であろう。この時期、北朝鮮はソ連、東欧社会主義圏の崩壊のあおり 

もあって経済危機が表面化しつつあったから、献金は大いに評価され 

たことであろう。
 文訪朝の動機は色々考えられるが、やはり親孝行を果たせなかった

父母への思いと望郷の念が強かったと思われる。文は八四歳で、孫を 

入れると四〇名以上の大家族だ。かっぷくが良く、実際の年より若く 

見え、説法も迫力に満ちているが、すでに後継者として息子を指名し 

、それなりの準備をしている。
 父親が牛一頭を売った代金を盗んで越南し、数十年後、牛千頭を連

れて三八度線を越え父親の墓前に許しを請うた鄭周永現代グループ名 

誉会長のエピソードはあまりに有名であるが、「正しい方向に進めば 

英雄に、間違った方向に進めば逆賊になるだろう」と村中で噂されて 

いた札付きの暴れん坊で、故郷を一人飛び出したと語る文鮮明にも故 

郷忘れがたしの特別な思いがあったようだ。
 文鮮明は、一六歳でイエスに遭って目覚め、ピョンヤンに上がって

布教活動に励んでいたが、四八年に東海岸の興南収容所に入れられ、 

朝鮮戦争の最中に国連軍により解放されて越南し、五四年に「統一教 

会」を設立した、と回顧している。奇しくも金日成との会談の地はそ 

の興南で行われ、生き別れした姉達との再開を果たした。
 私は事実上朝鮮南北の橋渡し役を果たしている統一教会固有のロジ

ックを知りたいと思い、その教義にじっくりと耳を傾けたが、「統一 

原理」は金日成の「チュチェ(主体)思想」と考え方が極めて似通っ 

ているというのが実感であった。原理原則を立て、それを形而上学的 

に体系付けようとする思考や方法論は李朝時代の儒学=朱子学を彷彿 

させるものがあり、とりわけ゛血統゛を特別視するのは(チュチェ思 

想は首領・金日成の゛血統の継承゛を謳い、統一原理は原罪贖罪のた 

めにメシア・文鮮明の血を受ける゛血統転換゛が必要とする)は朝鮮 

の伝統的な゛血の論理゛そのものである。そう考えれば、金日成と文 

鮮明が宗教や思想を超えて認め合ったのはそれほど不思議ではない。
 文の秘密訪朝に当初、韓国政府は激怒し、国家保安法違反容疑で逮

捕する動きを見せた。だが、北朝鮮との貴重なチャンネルを温存した 

方が得策と判断し、不問とした。
 そうした中、一九九四年のいわゆる朝米核危機が起きるが、カータ

ー元米大統領の訪朝で事なきを得、南北首脳会談が日程に上った。だ 

が、同年七月、金日成が金永三韓国大統領との首脳会談を一ヵ月後に 

控えて急死し、事態は二転三転する。金永三大統領が葬儀参加を見合 

わせたため、北朝鮮側は゛非礼゛と激怒し、南北関係は再度冷え込む 


 その辺りを見抜いて巧く立ち回ったのが文鮮明で、金日成追悼式に

名代として朴普煕『世界日報』社長を送り、後継者の金正日に弔意を 

丁重に伝えた。朴普煕は米市民権を有しており、韓国政府の渡航許可 

がなくとも訪朝が可能であった。金正日はその義理堅さに痛く感じ入 

り、以後、新年の贈り物を欠かさず送ってくる、と文鮮明は側近らに 

誇らしげに語る。朝鮮の伝統的観念からすれば、父親の金日成と義兄 

弟である文鮮明は金正日にとって「義父」同然ということになるのだ 

ろう。
 爾後、義理と人情で結ばれた北朝鮮トップとのチャンネルが統一教

会グループの強みとなる。金泳三大統領への北朝鮮の怒りは解けず、 

南北関係は膠着状態に陥り、統一教会の野望も挫折したかに見えた。 

だが、一九九七年の韓国大統領選挙で野党の金大中候補が勝利し、対 

北朝鮮融和を大胆に掲げた太陽政策を打ち出したことで息を吹き返し 

た。
 実は、〇〇年六月に世界を驚かせた歴史的な南北初の首脳会談もこ

のチャンネルが物を言うのである。南北宥和ムードが高まった00年 

二月、南浦で平和自動車起工式が行われる。その際に、朴普煕『世界 

日報』社長、朴相権・平和自動車社長らは金容淳労働党書記と南北首 

脳会談について協議し、韓国政府の密使派遣→金大中・金正日頂上会

談となる。
 これは統一教会の存在感を南北当局に認めさせる大きな実績となり

、金大中政権は、平和自動車事業など統一教会グループの北朝鮮進出 

に数々の便宜を図る。だが、特定グループ偏重は良くないと判断した 

のであろう、金剛山や開城開発権は現代グループに移した。 

 統一教会は毀誉褒貶の激しい団体で、日本での評判は芳しくない。 

日本の統一教会は八〇年代に活動の重点が経済へとシフトし、無理な 

献金活動を繰り広げた。印鑑、壷、多宝塔、人参、絵画宝石などのい 

わゆる霊感商法がはじまり、やがてメディアの批判を浴びる。統一教 

会の最盛期はソウルのオリンピック競技場で三万組の国際合同結婚式 

が行われた一九九二年と言われるが、それを境に勢いは下り坂に入り 

、財政状況は悪化した。これについては海外本部に上納金として一兆 

円近く送金したとの説もある。
 韓国でも、文については既成観念に囚われない革命的宗教家とか、

逆に、宗教家ではないと否定する声もある。また、ビジネスの手腕を 

評価する声もあれば、思いつきで動くから失敗すると指摘する声もあ 

る。
 韓国での事業展開は多様で、リトルエンジェルス芸術学校や鮮文大

学を創立し、他方で、二年前に韓国有数の龍平のスキー場を買収し、 

一大リゾート地として開発している。このスキー場は例の「冬のソナ 

タ」の舞台となった例のホワイトスキー場で、日本や台湾からの観光 

客が急増している。
 統一教会グループの存在感を改めて示したのがヘリコプターの草分

けとされる米シコルスキー社の韓国誘致であった。私がソウルを訪れ 

ていた時期、統一教会グループが経営権を持つ米紙『ワシントン・タ 

イムズ』系のヘリコプター運行社・WTAが米シコルスキー社と共同で金

浦市に二億ドルを投じて五万坪規模の工場を建設、ヘリコプター部品 

の開発と生産をする覚書を京畿道知事と交した。
 WTAが資本をシコルスキー社が技術を提供し、地域の販売権はWTAが

持つとするもので、行く行くはヘリコプターの完成品を一貫生産する 

計画と見られ、工場を誘致する京畿道は無論、韓国政府も大きな期待 

を寄せている。統一教会に詳しい筋によると、統一教会は北朝鮮のレ 

アメタル開発などに山間僻地の離着陸が容易なヘリコプターを活用す 

る意図があるという。
 シコルスキー社が技術の流出を伴う金浦工場建設によく応じたもの

だが、その秘密は「世界宇宙開発の最先端を行くNASAの技術陣にも信

者が少なくない」(統一教会関係者)との言葉にありそうである。信 

仰の力で事業を拡張する、などという芸当は統一教会ならではであろ 

う。キッシンジャー元国務長官の補佐官を勤め、共和党の大統領候補 

としてブッシュと争ったことのあるヘイグ元NATO軍司令官が一時、統

一教会系の国際団体の総裁に就任していたことが物語るように、その 

国際的人脈は多岐にわたる。
 新たに「世界平和超宗教超国家連合」を立ち上げ、自ら総裁に納ま

った文鮮明は「ビジネスも人類共生」というスローガンを掲げ、国際 

投資団の投資誘致にも積極的である。シコルスキー社との覚書交換と 

前後して「統一教会」グループは米国の建設会社など国際投資団を歓 

迎する盛大な宴をソウルのリトルエンジェルス芸術会館で開き、朝鮮 

半島を縦断する国際ハイウェー構想や日韓海底トンネルなどの巨大プ 

ロジェクトをアピールし、投資を募っていた。
 南北分断の状況では絵空事、と思われてきた一連の国際プロジェク

トがここにきて投資家の関心を集め始めたのは、統一教会が北朝鮮に 

太いパイプを持ち、平和自動車などで実績を示していることが次第に 

知られてきたからに他ならない。
 文鮮明名代として金正日総書記と会談した朴普煕『世界日報』社長

が昨年十一月に不動産取引問題に絡んで失脚し、ポスト文を巡って内 

部が揺れているとの情報もあるが、カリスマ的な指導者を失った組織 

がほぼ例外なく辿るように、統一教会グループもいずれ宗教団体とし 

ての統一性を維持するのが困難になり、次第に巨大な国際企業グルー 

プに変貌していくものと思われる。 










3 北朝鮮の゛新しい風゛=市場化が追い風に 

 統一教会が元来、水と油の関係であった北朝鮮にこのように深く食 

い込めたのは、北朝鮮に゛新しい風゛が吹き始めたことが大きい。人 

民宮殿など北朝鮮の公共施設で故金日成主席のものと並べてあった金 

正日総書記の肖像画が外されていることが話題になるなど、昨年、北 

朝鮮で起きた一連の゛異変゛も、実はこの風と関係がある。
 すなわち、〇二年七月一日実施の「七・一措置」で闇市場が公認さ

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