日本100名城 No.57 篠山城
晩夏の城巡り 山陰の旅 (その2)
■平成24年(2012) 9月2日(日) (1日目) 気温 30.4℃
晩夏の城巡り 山陰の旅 (その1) 晩夏の城巡り 山陰の旅 ~プロローグ~からの続き
実は篠山城址へは2度目の訪問。前回は月曜日だったため、復元された大書院が休館
日だったので100名城スタンプを押せず、満を持しての再訪です。
篠山城址へは、篠山口駅から神姫バス「篠山営業所行き」に乗ること約20分。
「二階町」バス停で下車、徒歩約10分です。
篠山城は慶長14年(1609)の築城。豊臣方の拠点である大阪城を
包囲すると共に、豊臣家にゆかりのある西日本の諸大名を牽制
するために築かれました。篠山は西日本と大阪を結ぶ要衝の地
だったためです。
美しい石垣と内堀。
切り出した石をそのまま積み上げた「野面積み」の石垣。
石垣の向こうに大書院の屋根の一部が見えています。
石垣の間の坂を上ってきたところで振り返るとこんな感じ。
石垣には石の採取・運搬に携わった大名の家紋が刻まれています。
大書院の入口。
明治以降も取り壊されること無く、昭和19年まで残っていましたが、惜しくも火災
で消失してしまいました。しかし、その後復元の機運が高まり、平成12年(2000)に
復元された大書院が完成しました。
ごろんと寝転がると・・・
天井に映された映像を見ることが出来ます。ごろんとしている人がいました。
大書院の裏側。
大書院の裏手は本丸跡。
天守台のてっぺん。篠山城は築城の途中で天守閣の建築が中止されたので天守台
だけが残りました。
天守台からの眺め。
眼下には小学校が建っています。
篠山城址の北側に見える白い建物は篠山市役所。そこにはライブカメラが設置して
あって、自宅などから居ながらにして篠山城址を見ることが出来ます。
大書院の全景。
日本100名城スタンプ
晩夏の城巡り 山陰の旅 (その3)に続く。
平成24年9月10日 (記)
これまでの記事
晩夏の城巡り 山陰の旅
(その1) 晩夏の城巡り 山陰の旅 ~プロローグ~
■平成24年(2012) 9月2日(日) (1日目) 気温 30.4℃
晩夏の城巡り 山陰の旅 (その1) 晩夏の城巡り 山陰の旅 ~プロローグ~からの続き
実は篠山城址へは2度目の訪問。前回は月曜日だったため、復元された大書院が休館
日だったので100名城スタンプを押せず、満を持しての再訪です。
篠山城址へは、篠山口駅から神姫バス「篠山営業所行き」に乗ること約20分。
「二階町」バス停で下車、徒歩約10分です。
篠山城は慶長14年(1609)の築城。豊臣方の拠点である大阪城を
包囲すると共に、豊臣家にゆかりのある西日本の諸大名を牽制
するために築かれました。篠山は西日本と大阪を結ぶ要衝の地
だったためです。
美しい石垣と内堀。
切り出した石をそのまま積み上げた「野面積み」の石垣。
石垣の向こうに大書院の屋根の一部が見えています。
石垣の間の坂を上ってきたところで振り返るとこんな感じ。
石垣には石の採取・運搬に携わった大名の家紋が刻まれています。
大書院の入口。
明治以降も取り壊されること無く、昭和19年まで残っていましたが、惜しくも火災
で消失してしまいました。しかし、その後復元の機運が高まり、平成12年(2000)に
復元された大書院が完成しました。
ごろんと寝転がると・・・
天井に映された映像を見ることが出来ます。ごろんとしている人がいました。
大書院の裏側。
大書院の裏手は本丸跡。
天守台のてっぺん。篠山城は築城の途中で天守閣の建築が中止されたので天守台
だけが残りました。
天守台からの眺め。
眼下には小学校が建っています。
篠山城址の北側に見える白い建物は篠山市役所。そこにはライブカメラが設置して
あって、自宅などから居ながらにして篠山城址を見ることが出来ます。
大書院の全景。
日本100名城スタンプ
晩夏の城巡り 山陰の旅 (その3)に続く。
平成24年9月10日 (記)
これまでの記事
晩夏の城巡り 山陰の旅
(その1) 晩夏の城巡り 山陰の旅 ~プロローグ~