読むクスリ
もしあなたが、あらゆる病院にかかり、様々な検査や治療を受けても、芳しくなければ、原因はストレスかも知れません。
それは例えば、怒り、あるいは悲しみ、イライラ、などです。
怒りや,言いたいことを言えないつらさ、言いたいことを少しでもがまんしていることや自分を責める気持ちが、あなたの症状の原因かも知れません。
例えば、怒りあるいは悲しみがストレスとなり、そのストレスであらゆる症状が引き起こされます.
ここで、よくある誤解は、ストレスは、外から自分に降りかかるという考えです。
常識では、ストレスは自分が作るものではなく、仕事や上司、同僚、部下、親、兄弟、子供、配偶者その他、自分以外の人やものから来ます。でも、これは誤解です。本当は、ストレスとは、自分がもらった他人の言葉や出来事に対する『やだな』と思う自分の心の反応、すなわち自分の気持ちです。宿題が『やだな』と思う子供にとっては、宿題はストレスですし、いやな宿題を出す先生もストレスです。逆に、宿題は楽しい、と思う子供にとっては、宿題も宿題を出す先生もストレスではありません。仕事のノルマがいやだな、それを課す上司もいやだな、と思う人にとっては、ノルマも上司もストレスですが、ノルマは楽しい、それを課す上司も何も問題はないと思う人にとってはノルマも上司もストレスではありません。宿題あるいはノルマはストレスではなく、宿題やノルマに対する自分の気持ちがストレスになります。ストレスはあくまで、自分の心の中で生まれます。
さて、ストレスで咳や痰が出ているのなら、原因なくして、結果無し、ストレスがなくなれば、咳や痰は無くなるということになります。
再度、ストレスとは自分の気持ちです。やだな、と思う気持ちです。ストレスが無くなるということは、自分のやだなと思う気持ちが無くなるということです。ストレスすなわち、いやだなと思う気持ちが消えれば、これが咳や痰の原因なのですから、原因が消えれば、結果である咳や痰も消えます。
原因が変わると結果も変わるのです。
ではどうしたら、原因が変わるか。どうすればやだな、という気持ちが消えるか。消すのは難しいとしたら、減らせるか。
減れば、咳や痰も減りますから、減らせるだけでもいいかも知れません。
減らす方法をお話しする前に、『存在は意識を決定する』という法則についてお話しする必要があります。
私達は、悲しい時は泣く、楽しい時は笑います。常識です。逆もまた真なり、と申しまして、これらの逆、つまり泣くと悲しくなる、笑うと楽しくなることも真実であることが心理学の実験で証明されています。わざと被験者に、つまり検査される人に泣いてもらうのです。5回や10回泣いても悲しくなりません。しかし1分、2分、5分、10分と泣いていると悲しくなってきます。同様に、笑うと、5秒や10秒では楽しくなりませんが、5分、10分と笑っていると、楽しくなってきます。笑うという存在が、楽しいという意識を生み出しているのです。これが存在は意識を決定する、という法則の意味です。泣くという存在が、悲しいという意識を生み出しているのです。これを別の言葉で言うと、行動は、気持ちを支配する、といえます。泣くという行動で、悲しいという気持ちが生まれ、笑うという行動で、楽しいという気持ちが生まれるのです。気持ちを変えたかったら、行動を変えるといいのです。
この原理を使うと、あの人はいやだなと思う気持ちを無くす、あるいは、減らすことができます。怒りを消す、あるいは減らすことが出来ます。怒りが咳や痰の原因ならば、怒りが消えれば咳や痰も消えます。原因が減れば、結果も減ります。
では怒りの消し方です。
怒りはマイナスの気持ちです。怒っていないのは、プラスでもマイナスでもない、ゼロの気持ちです。では①怒っている、②怒ってない、に気持ちが変化したとして、さらに次の気持ちに心が変化するとしたら、それは何でしょう?
マイナスとゼロ以外の気持ちは何でしょう?
マイナスとゼロ以外の気持ちはプラスの気持ちです。
プラスの気持ちとは何でしょう。
プラスとはマイナスの反対、怒りの反対です。
怒りの反対とは何でしょう?
怒りの反対は感謝です。
怒りは不安定な気持ちです。怒っているとき、私たちは、心の平安を失います。怒っているときは、心は安定から、ほど遠い状態にあります。
逆に感謝の気持ちは安定の極地です。
人間の心が一番安定するのは感謝しているときです。心が最も平安になるのは、有り難いという思いで心が満たされた時です。
怒りの代わりに、有り難いという方向に少しでも心が近づいていけば、怒りは減るのです。
あなたの心は、今、マイナス無限大のところにあります。頭にきているわけです。これで咳や痰が出ています。このマイナス無限大(無限大は∞と書きます)のところから、少しでもゼロの方向に向かって、仮にマイナスを左に、プラスを右に直線を引くとすると、左から右に進む方法が、咳や痰を消す、あるいは減らす方法です。少しでも右に近づくと、その分、咳や痰も減るのです。
怒り 怒りも感謝も無い 感謝
-∞(無限大) ゼロ +∞(無限大)
-----------+----------
ではどうやって左から右へ、マイナスからゼロに近づくか、どうやって怒りを減らすのか?
答は先の「存在は意識を決定する、行動は気持ちを決定する」という法則を使った行動です。
私達は、ふだん悲しいときは、泣き、楽しい時は笑います。同様に、有り難いと思うと、ありがとうございます、というセリフが出てきます。
逆もまた真なり、つまり反対もまた成り立つのでした。すなわち泣けば悲しくなる、笑うと楽しくなるという原理を使うのです。つまり、常識では考えられませんが、ありがとうといえば、ありがとう、と『言う』という行為(行動、存在、在りよう)によって、有り難いという『気持ち』が生まれてくるのです。
しかし今は気持ちはどうでもいいです。お願いしたいのは、ありがとうと言うことです。
ありがとうと言うと気持ちが少しプラスの方向に動くのです。言えば、怒りがその分、減るのです。マイナスがその分、減るのです。
ポイントは、このありがとうというときに
1 相手に面と向かって言わなくてよい、ということです
2 心の中でよい (出来れば声に出して言う)
声に出す方がより効果的です。声に出すなら、家族の人に聞かれたとき、誤解のないよう、気が振れたせいではない、病院に連れて行くには及ばない、とあらかじめお話し下さい。
3 口先だけでよい
4 本気で言わなくてよい
5 心にもないことでよい
6 心をこめて言わなくてよい
頭にきているのですから、心をこめて言えるはずがありません。
7 心と裏腹でよい
8 ウソ八百でよい
9 方便でよい。(嘘も方便です。)
10 私はウソつき、と思ってよい。
11 こんなのインチキと思ってよい。
12 自己欺瞞(じこぎまん)だ、自分を欺しているだけだ、と思ってよい。
13 ありがたいと思わなくてよい
14 形だけでよい、形式だけでよい
15 しょうがない、症状を消すためにあなたが言えというから言うか、でいいのです。
人格者になってほしいわけではありません。
16 余計ストレスが溜まる、と思ってよい。
17 現実と違う、と思ってよい。(実際、現実とは違います。)
18 空理空論だ、念仏だ、観念論だ、と思ってよい。
19 感謝する理由が無くてよい。
理由がないから、あるいは見つからないから、言ってほしいのです。すぐに理由が見つかるなら言う必要はないくらいです。
20 無意味に言うのでよい。
21 やけくそで言うのでよい。
22 怒ったままでよい。
23 怒りが消えなくてよい。消せなくてよい。消さなくてよい。
24 感謝の気持ちを持たなくてよい。
そして、特に強調したいのですが、
25 自分の気持ちを変えようと思わないでよい、のです。
言った瞬間、どこが!!!という声が聞こえてきます。それでいいのです。
ありがとうと言った瞬間、全然!!! という声が聞こえてきます。それでいいのです。
ありがとうと言った瞬間、この嘘つき!! という声が、こんなの自己欺瞞だ!! という声が、こんなの意味ない!!という声が、聞こえてきます。それでいいのです。そんなことをする方がよけいストレスだ、と今は思うかも知れません。でも大丈夫です。ストレスにはなりません。
最終的に声の大きい方が勝つ、気が長い方が勝つのです。
そういう『全然! 』とか、『嘘つき!』 という声を抑えようとしても抑えることはできません。抑える必要もありません。が、そういう声を無視することはできます。全然!とか、どこが!という声は、無視するうちに消えていきます。
ここで招きやすい誤解は、お前は感謝の気持ちを持てと言っているのだな、と。
違います。究極の目標ではありますが、今はそれは、忘れて下さい。気持ちはどうにもなりませんから、今は感謝の気持ちを持たなきゃとは思わないでほしいのです。そもそも、そんな気持ちを持てるくらいなら、初めから症状は出ません。感謝の気持ちなんぞ、持たなくてよい、そもそも持てるわけがない、持つ代わりに、口先だけで言ってくれ、というお願いです。
気持ちはどうでもいいのです。お願いしたいのは、行動です。「言う」という行為です。
ありがとう、と口で言う、心の中で言う。ただし、相手には聞こえなくてよい。そう思わなくてもよい。
ある小さな会社の社長さんは、咳が病院に来た理由でした。咳が出た原因は怒りでした。何に腹を立てたかというと、借金を返さない人がいたからです。お金を貸した相手が、不況で倒産。借金を返せなくなりました。不況で倒産はよくある話ですから、しようがないといえばしようがない。しかしその社長さんが怒るのも無理はないと思えたわけは、貸した相手が復活してきたからです。復活したなら返せるはず。しかし、返すそぶりを見せないからです。別の仕事で羽振りがよくなり、返せるはずなのに、道であっても知らん顔。全く返そうとしない。毎月五万、十万が無理なら一万でも二万でも返すのが誠意というもの。でもその人は知らん顔。それで怒り爆発。咳が出始めた、というわけです。
そこで、お願いしました。咳を消すために、借金を踏み倒して平気な顔をしているろくでもない相手に、ありがとう、と言ってくれ、と。
その社長は、
『先生、それは逆でしょう。借金を返してもらえないにもかかわらず、相手を訴えたりせずに、そのままにしている私に向かって、相手が感謝するのがほんとじゃないですか。何で私が、感謝しなきゃいけないんですか。私が向こうに感謝するのでは話があべこべです。』
と反論してもいい場面です。それにもかかわらず、その社長さんは
『分かりました。やってみます。』
と言ったのです。
説明が短時間でしたから、この社長さんが納得したのかどうかは分かりませんでしたが、この提案を、いともあっさりと受け入れたのです。こちらは内心びっくりでしたが、やっぱり社長ともなると違うんだなと感心しつつ、やってもらうことにしました。
効果は果たして出ました。咳はほとんどと言っていいくらい、無くなったのです。
同様に、孫に対して怒り爆発、以来、二年間も続いた頭痛が、この『ありがとう』を、およそ二ヶ月の間、言い続けることで消えたおばあさんがいます。
学生だった独身の孫娘が在学中に妊娠。結婚前の妊娠なんて、今では珍しくも何ともないことですが、大正生まれのおばあさんには学校を卒業する前の娘が、しかも結婚もしないで妊娠なんて許せません。孫には夢がありました。卒業後は、保母さんになる夢が。しかし妊娠を契機に孫はその夢は断念。保母さんになる代わりに、お母さんになったのでした。このおばあさんにとっては初のひ孫となり、とてもうれしいはずですが、孫が保母になるという夢をいつしか自分の夢として生きてきた彼女にとっては、孫が自分の夢を諦めたことは、おばあさんにとっては、自分の夢を壊されたのに等しかったのです。”自分の”夢を壊されたことでこのおばあさんは、孫に腹を立てたのでした。初のひ孫を抱かせてくれたとはいえ、怒りは怒りで持ち続けました。その結果の頭痛というわけです。このおばあさんが、肺癌で入院をしたときに、頭痛の検査をしてもどこも悪くなく、怒りが頭痛の原因と思い当たり、ありがとうの話をして実行してもらったら、二年間続いた頭痛が二ヶ月で消えた、というわけです。
夫と姑に対する怒りで七年間も続いた胸の痛みが一ヶ月で、ほとんど消えたご婦人がいます。
ここで、確認です。怒ってはいけないとは言っていません。怒っていいのです。相手に面と向かって言ってもいいくらいです。でもそれができないから、病気になっているわけで、言えていればそもそも症状は出なかったかも知れません。ですから、怒りを直接、相手にはぶつけられないかも知れません。ならばノートに書けという人がいます。書いているうちにすっきりするぞ、と。ノートの上には、いくら吐き出しても、相手には伝わらず、伝わった結果、反動が返ってきて、余計苦しむ、という望ましくない事態も避けられます。だからノートの上なら安心して吐き出せるかも知れません。そもそも怒っているなら、そう認めざるを得ません。いいの、悪いのといっても始まりません。すでに怒っていることは起こっているわけですから(寒い?) 誰が何と言おうと、その現実は変えられません。ですから平たく言えば、怒ってもいいのです。怒りながら、ありがとうと言ってくれ、と。気持ちを変えることはできませんが、行動は変えられます。行動が変われば、未来が変わります。(本当は未来だけでなく、解釈を変えることで過去も変えられるといえるのですが、話がそれるのでやめます。) だから怒っていい、というのは方便で、理解して頂くために言っているだけで、本当は怒っていいもへちまもありません。怒りを吐き出していい、といえばより正確かもしれません。吐き出してよいどころか、吐き出した方がよさそうです。そしてここが大事なのですが、怒りを吐き出しながら、同時に、ありがとう、と『口先だけ』言ってほしい、と。
それでも口先だけであろうが、言えません、というのなら、許すことはできますでしょうか。小林正観は、感謝できないなら赦すことは出来ますか、と。
怒りがマイナス、感謝をプラスとすると、感謝するのは自分の気持ちをプラスに持っていくこと、しかしマイナスからいきなりプラスに行くのが無理なら、まず許すこと、すなわちマイナスからゼロに持っていくことは出来るか、と。マイナスの気持ちをゼロにすることは、結果として、気持ちがプラスの方向に動いたことになります。だから症状は消えないまでも軽くなるかもしれません。
これを再度図示すると以下のようになります。左がマイナス、真ん中かゼロ、右がプラスです。許した状態は真ん中の怒りも感謝もない状態。まずはそこを目指すべく、ありがとうと何度も言う。すると怒りは消えないまでも段々と減っていく。つまりマイナスが減っていく。ゼロになっても、すなわち怒りが無くなっても止めずに続けると、気持ちが感謝の方向へ向いていく。
怒り 怒りも感謝も無い 感謝
-∞(無限大) ゼロ +∞(無限大)
-----------+----------
こういう話で、どうしても誤解されるのは、私が感謝の気持ちを持てといっているのだな、と。繰り返し言います。違います。腹が立っている今、感謝の気持ちを持つのは、無理な相談です。ですから感謝の気持ちを持ってくれ、とは言いません。代わりに、感謝の気持ちを表現する言葉である「ありがとう」を言ってほしい、と。
それでも、どうしても感謝の言葉が言えないなら、次善の策としては、赦す、があると申し上げました。
あるお医者さんは、目の前の患者さんの指が動かないのは、兄との不仲が原因と特定し、その患者さんに言いました。兄を心の中で呼び出し、兄を拝み、『私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました。』と念じなさい、と。実際に許さなくてもいいのです。ウソでも、そのようにつぶやくだけ、念じるだけでいいのです。念じた結果、患者さんの指は動くようになったそうです。
再度、許せなくてもいいのです。口先だけ、許します、でいいのです。
もし感謝の言葉を言えるなら、それを繰り返し、繰り返し。毎日百回、五百回、千回と繰り返し、言ってほしいのです。気持ちはどうでもいい。感謝の気持ちは持たなくていい。ただ、許します、と繰り返し、繰り返し。
でも、おそらく、口先だけの許します、よりも、口先だけの、ありがとうございます、の方が効くことでしょう。
ありがとうと、心を込めて言わなくてよい、口先だけでよい、形式だけでよい、心にもないことでよいのですが、その代わり、一つ御願いがあります。そのお願いとは、回数を重ねてほしいということです。5回や10回では、怒りは減りませんし、有り難いという気持ちも生まれません。50回、100回、五百回、千回、五千回、一万回言うつもりで、ひたすら言い続けてほしいのです。
すると、少しずつですが、先の図のマイナス無限大からゼロを通り越して、プラスに向かう線の、プラスの方向に心が動いていくのです。プラスの方に行けば行くほど、痛みや咳や痰は減るのです。
だまされたと思って、いや、だまされてないと思ってやってみて下さい。
もう一度繰り返します。
気持ちはどうでもいいです。お願いしたいのは、ありがとうと言うということです。
なぜ言うことが大事かといえば、言葉には心をコントロールする力があるからです。
言葉はとてもパワフルです。言刃(ことば)といわれるくらい人を傷つける力がある一方、人を心の底から励まし、大きな慰めとなる力も持っているのです。
ご健闘を祈ります。
もしあなたが、あらゆる病院にかかり、様々な検査や治療を受けても、芳しくなければ、原因はストレスかも知れません。
それは例えば、怒り、あるいは悲しみ、イライラ、などです。
怒りや,言いたいことを言えないつらさ、言いたいことを少しでもがまんしていることや自分を責める気持ちが、あなたの症状の原因かも知れません。
例えば、怒りあるいは悲しみがストレスとなり、そのストレスであらゆる症状が引き起こされます.
ここで、よくある誤解は、ストレスは、外から自分に降りかかるという考えです。
常識では、ストレスは自分が作るものではなく、仕事や上司、同僚、部下、親、兄弟、子供、配偶者その他、自分以外の人やものから来ます。でも、これは誤解です。本当は、ストレスとは、自分がもらった他人の言葉や出来事に対する『やだな』と思う自分の心の反応、すなわち自分の気持ちです。宿題が『やだな』と思う子供にとっては、宿題はストレスですし、いやな宿題を出す先生もストレスです。逆に、宿題は楽しい、と思う子供にとっては、宿題も宿題を出す先生もストレスではありません。仕事のノルマがいやだな、それを課す上司もいやだな、と思う人にとっては、ノルマも上司もストレスですが、ノルマは楽しい、それを課す上司も何も問題はないと思う人にとってはノルマも上司もストレスではありません。宿題あるいはノルマはストレスではなく、宿題やノルマに対する自分の気持ちがストレスになります。ストレスはあくまで、自分の心の中で生まれます。
さて、ストレスで咳や痰が出ているのなら、原因なくして、結果無し、ストレスがなくなれば、咳や痰は無くなるということになります。
再度、ストレスとは自分の気持ちです。やだな、と思う気持ちです。ストレスが無くなるということは、自分のやだなと思う気持ちが無くなるということです。ストレスすなわち、いやだなと思う気持ちが消えれば、これが咳や痰の原因なのですから、原因が消えれば、結果である咳や痰も消えます。
原因が変わると結果も変わるのです。
ではどうしたら、原因が変わるか。どうすればやだな、という気持ちが消えるか。消すのは難しいとしたら、減らせるか。
減れば、咳や痰も減りますから、減らせるだけでもいいかも知れません。
減らす方法をお話しする前に、『存在は意識を決定する』という法則についてお話しする必要があります。
私達は、悲しい時は泣く、楽しい時は笑います。常識です。逆もまた真なり、と申しまして、これらの逆、つまり泣くと悲しくなる、笑うと楽しくなることも真実であることが心理学の実験で証明されています。わざと被験者に、つまり検査される人に泣いてもらうのです。5回や10回泣いても悲しくなりません。しかし1分、2分、5分、10分と泣いていると悲しくなってきます。同様に、笑うと、5秒や10秒では楽しくなりませんが、5分、10分と笑っていると、楽しくなってきます。笑うという存在が、楽しいという意識を生み出しているのです。これが存在は意識を決定する、という法則の意味です。泣くという存在が、悲しいという意識を生み出しているのです。これを別の言葉で言うと、行動は、気持ちを支配する、といえます。泣くという行動で、悲しいという気持ちが生まれ、笑うという行動で、楽しいという気持ちが生まれるのです。気持ちを変えたかったら、行動を変えるといいのです。
この原理を使うと、あの人はいやだなと思う気持ちを無くす、あるいは、減らすことができます。怒りを消す、あるいは減らすことが出来ます。怒りが咳や痰の原因ならば、怒りが消えれば咳や痰も消えます。原因が減れば、結果も減ります。
では怒りの消し方です。
怒りはマイナスの気持ちです。怒っていないのは、プラスでもマイナスでもない、ゼロの気持ちです。では①怒っている、②怒ってない、に気持ちが変化したとして、さらに次の気持ちに心が変化するとしたら、それは何でしょう?
マイナスとゼロ以外の気持ちは何でしょう?
マイナスとゼロ以外の気持ちはプラスの気持ちです。
プラスの気持ちとは何でしょう。
プラスとはマイナスの反対、怒りの反対です。
怒りの反対とは何でしょう?
怒りの反対は感謝です。
怒りは不安定な気持ちです。怒っているとき、私たちは、心の平安を失います。怒っているときは、心は安定から、ほど遠い状態にあります。
逆に感謝の気持ちは安定の極地です。
人間の心が一番安定するのは感謝しているときです。心が最も平安になるのは、有り難いという思いで心が満たされた時です。
怒りの代わりに、有り難いという方向に少しでも心が近づいていけば、怒りは減るのです。
あなたの心は、今、マイナス無限大のところにあります。頭にきているわけです。これで咳や痰が出ています。このマイナス無限大(無限大は∞と書きます)のところから、少しでもゼロの方向に向かって、仮にマイナスを左に、プラスを右に直線を引くとすると、左から右に進む方法が、咳や痰を消す、あるいは減らす方法です。少しでも右に近づくと、その分、咳や痰も減るのです。
怒り 怒りも感謝も無い 感謝
-∞(無限大) ゼロ +∞(無限大)
-----------+----------
ではどうやって左から右へ、マイナスからゼロに近づくか、どうやって怒りを減らすのか?
答は先の「存在は意識を決定する、行動は気持ちを決定する」という法則を使った行動です。
私達は、ふだん悲しいときは、泣き、楽しい時は笑います。同様に、有り難いと思うと、ありがとうございます、というセリフが出てきます。
逆もまた真なり、つまり反対もまた成り立つのでした。すなわち泣けば悲しくなる、笑うと楽しくなるという原理を使うのです。つまり、常識では考えられませんが、ありがとうといえば、ありがとう、と『言う』という行為(行動、存在、在りよう)によって、有り難いという『気持ち』が生まれてくるのです。
しかし今は気持ちはどうでもいいです。お願いしたいのは、ありがとうと言うことです。
ありがとうと言うと気持ちが少しプラスの方向に動くのです。言えば、怒りがその分、減るのです。マイナスがその分、減るのです。
ポイントは、このありがとうというときに
1 相手に面と向かって言わなくてよい、ということです
2 心の中でよい (出来れば声に出して言う)
声に出す方がより効果的です。声に出すなら、家族の人に聞かれたとき、誤解のないよう、気が振れたせいではない、病院に連れて行くには及ばない、とあらかじめお話し下さい。
3 口先だけでよい
4 本気で言わなくてよい
5 心にもないことでよい
6 心をこめて言わなくてよい
頭にきているのですから、心をこめて言えるはずがありません。
7 心と裏腹でよい
8 ウソ八百でよい
9 方便でよい。(嘘も方便です。)
10 私はウソつき、と思ってよい。
11 こんなのインチキと思ってよい。
12 自己欺瞞(じこぎまん)だ、自分を欺しているだけだ、と思ってよい。
13 ありがたいと思わなくてよい
14 形だけでよい、形式だけでよい
15 しょうがない、症状を消すためにあなたが言えというから言うか、でいいのです。
人格者になってほしいわけではありません。
16 余計ストレスが溜まる、と思ってよい。
17 現実と違う、と思ってよい。(実際、現実とは違います。)
18 空理空論だ、念仏だ、観念論だ、と思ってよい。
19 感謝する理由が無くてよい。
理由がないから、あるいは見つからないから、言ってほしいのです。すぐに理由が見つかるなら言う必要はないくらいです。
20 無意味に言うのでよい。
21 やけくそで言うのでよい。
22 怒ったままでよい。
23 怒りが消えなくてよい。消せなくてよい。消さなくてよい。
24 感謝の気持ちを持たなくてよい。
そして、特に強調したいのですが、
25 自分の気持ちを変えようと思わないでよい、のです。
言った瞬間、どこが!!!という声が聞こえてきます。それでいいのです。
ありがとうと言った瞬間、全然!!! という声が聞こえてきます。それでいいのです。
ありがとうと言った瞬間、この嘘つき!! という声が、こんなの自己欺瞞だ!! という声が、こんなの意味ない!!という声が、聞こえてきます。それでいいのです。そんなことをする方がよけいストレスだ、と今は思うかも知れません。でも大丈夫です。ストレスにはなりません。
最終的に声の大きい方が勝つ、気が長い方が勝つのです。
そういう『全然! 』とか、『嘘つき!』 という声を抑えようとしても抑えることはできません。抑える必要もありません。が、そういう声を無視することはできます。全然!とか、どこが!という声は、無視するうちに消えていきます。
ここで招きやすい誤解は、お前は感謝の気持ちを持てと言っているのだな、と。
違います。究極の目標ではありますが、今はそれは、忘れて下さい。気持ちはどうにもなりませんから、今は感謝の気持ちを持たなきゃとは思わないでほしいのです。そもそも、そんな気持ちを持てるくらいなら、初めから症状は出ません。感謝の気持ちなんぞ、持たなくてよい、そもそも持てるわけがない、持つ代わりに、口先だけで言ってくれ、というお願いです。
気持ちはどうでもいいのです。お願いしたいのは、行動です。「言う」という行為です。
ありがとう、と口で言う、心の中で言う。ただし、相手には聞こえなくてよい。そう思わなくてもよい。
ある小さな会社の社長さんは、咳が病院に来た理由でした。咳が出た原因は怒りでした。何に腹を立てたかというと、借金を返さない人がいたからです。お金を貸した相手が、不況で倒産。借金を返せなくなりました。不況で倒産はよくある話ですから、しようがないといえばしようがない。しかしその社長さんが怒るのも無理はないと思えたわけは、貸した相手が復活してきたからです。復活したなら返せるはず。しかし、返すそぶりを見せないからです。別の仕事で羽振りがよくなり、返せるはずなのに、道であっても知らん顔。全く返そうとしない。毎月五万、十万が無理なら一万でも二万でも返すのが誠意というもの。でもその人は知らん顔。それで怒り爆発。咳が出始めた、というわけです。
そこで、お願いしました。咳を消すために、借金を踏み倒して平気な顔をしているろくでもない相手に、ありがとう、と言ってくれ、と。
その社長は、
『先生、それは逆でしょう。借金を返してもらえないにもかかわらず、相手を訴えたりせずに、そのままにしている私に向かって、相手が感謝するのがほんとじゃないですか。何で私が、感謝しなきゃいけないんですか。私が向こうに感謝するのでは話があべこべです。』
と反論してもいい場面です。それにもかかわらず、その社長さんは
『分かりました。やってみます。』
と言ったのです。
説明が短時間でしたから、この社長さんが納得したのかどうかは分かりませんでしたが、この提案を、いともあっさりと受け入れたのです。こちらは内心びっくりでしたが、やっぱり社長ともなると違うんだなと感心しつつ、やってもらうことにしました。
効果は果たして出ました。咳はほとんどと言っていいくらい、無くなったのです。
同様に、孫に対して怒り爆発、以来、二年間も続いた頭痛が、この『ありがとう』を、およそ二ヶ月の間、言い続けることで消えたおばあさんがいます。
学生だった独身の孫娘が在学中に妊娠。結婚前の妊娠なんて、今では珍しくも何ともないことですが、大正生まれのおばあさんには学校を卒業する前の娘が、しかも結婚もしないで妊娠なんて許せません。孫には夢がありました。卒業後は、保母さんになる夢が。しかし妊娠を契機に孫はその夢は断念。保母さんになる代わりに、お母さんになったのでした。このおばあさんにとっては初のひ孫となり、とてもうれしいはずですが、孫が保母になるという夢をいつしか自分の夢として生きてきた彼女にとっては、孫が自分の夢を諦めたことは、おばあさんにとっては、自分の夢を壊されたのに等しかったのです。”自分の”夢を壊されたことでこのおばあさんは、孫に腹を立てたのでした。初のひ孫を抱かせてくれたとはいえ、怒りは怒りで持ち続けました。その結果の頭痛というわけです。このおばあさんが、肺癌で入院をしたときに、頭痛の検査をしてもどこも悪くなく、怒りが頭痛の原因と思い当たり、ありがとうの話をして実行してもらったら、二年間続いた頭痛が二ヶ月で消えた、というわけです。
夫と姑に対する怒りで七年間も続いた胸の痛みが一ヶ月で、ほとんど消えたご婦人がいます。
ここで、確認です。怒ってはいけないとは言っていません。怒っていいのです。相手に面と向かって言ってもいいくらいです。でもそれができないから、病気になっているわけで、言えていればそもそも症状は出なかったかも知れません。ですから、怒りを直接、相手にはぶつけられないかも知れません。ならばノートに書けという人がいます。書いているうちにすっきりするぞ、と。ノートの上には、いくら吐き出しても、相手には伝わらず、伝わった結果、反動が返ってきて、余計苦しむ、という望ましくない事態も避けられます。だからノートの上なら安心して吐き出せるかも知れません。そもそも怒っているなら、そう認めざるを得ません。いいの、悪いのといっても始まりません。すでに怒っていることは起こっているわけですから(寒い?) 誰が何と言おうと、その現実は変えられません。ですから平たく言えば、怒ってもいいのです。怒りながら、ありがとうと言ってくれ、と。気持ちを変えることはできませんが、行動は変えられます。行動が変われば、未来が変わります。(本当は未来だけでなく、解釈を変えることで過去も変えられるといえるのですが、話がそれるのでやめます。) だから怒っていい、というのは方便で、理解して頂くために言っているだけで、本当は怒っていいもへちまもありません。怒りを吐き出していい、といえばより正確かもしれません。吐き出してよいどころか、吐き出した方がよさそうです。そしてここが大事なのですが、怒りを吐き出しながら、同時に、ありがとう、と『口先だけ』言ってほしい、と。
それでも口先だけであろうが、言えません、というのなら、許すことはできますでしょうか。小林正観は、感謝できないなら赦すことは出来ますか、と。
怒りがマイナス、感謝をプラスとすると、感謝するのは自分の気持ちをプラスに持っていくこと、しかしマイナスからいきなりプラスに行くのが無理なら、まず許すこと、すなわちマイナスからゼロに持っていくことは出来るか、と。マイナスの気持ちをゼロにすることは、結果として、気持ちがプラスの方向に動いたことになります。だから症状は消えないまでも軽くなるかもしれません。
これを再度図示すると以下のようになります。左がマイナス、真ん中かゼロ、右がプラスです。許した状態は真ん中の怒りも感謝もない状態。まずはそこを目指すべく、ありがとうと何度も言う。すると怒りは消えないまでも段々と減っていく。つまりマイナスが減っていく。ゼロになっても、すなわち怒りが無くなっても止めずに続けると、気持ちが感謝の方向へ向いていく。
怒り 怒りも感謝も無い 感謝
-∞(無限大) ゼロ +∞(無限大)
-----------+----------
こういう話で、どうしても誤解されるのは、私が感謝の気持ちを持てといっているのだな、と。繰り返し言います。違います。腹が立っている今、感謝の気持ちを持つのは、無理な相談です。ですから感謝の気持ちを持ってくれ、とは言いません。代わりに、感謝の気持ちを表現する言葉である「ありがとう」を言ってほしい、と。
それでも、どうしても感謝の言葉が言えないなら、次善の策としては、赦す、があると申し上げました。
あるお医者さんは、目の前の患者さんの指が動かないのは、兄との不仲が原因と特定し、その患者さんに言いました。兄を心の中で呼び出し、兄を拝み、『私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました。』と念じなさい、と。実際に許さなくてもいいのです。ウソでも、そのようにつぶやくだけ、念じるだけでいいのです。念じた結果、患者さんの指は動くようになったそうです。
再度、許せなくてもいいのです。口先だけ、許します、でいいのです。
もし感謝の言葉を言えるなら、それを繰り返し、繰り返し。毎日百回、五百回、千回と繰り返し、言ってほしいのです。気持ちはどうでもいい。感謝の気持ちは持たなくていい。ただ、許します、と繰り返し、繰り返し。
でも、おそらく、口先だけの許します、よりも、口先だけの、ありがとうございます、の方が効くことでしょう。
ありがとうと、心を込めて言わなくてよい、口先だけでよい、形式だけでよい、心にもないことでよいのですが、その代わり、一つ御願いがあります。そのお願いとは、回数を重ねてほしいということです。5回や10回では、怒りは減りませんし、有り難いという気持ちも生まれません。50回、100回、五百回、千回、五千回、一万回言うつもりで、ひたすら言い続けてほしいのです。
すると、少しずつですが、先の図のマイナス無限大からゼロを通り越して、プラスに向かう線の、プラスの方向に心が動いていくのです。プラスの方に行けば行くほど、痛みや咳や痰は減るのです。
だまされたと思って、いや、だまされてないと思ってやってみて下さい。
もう一度繰り返します。
気持ちはどうでもいいです。お願いしたいのは、ありがとうと言うということです。
なぜ言うことが大事かといえば、言葉には心をコントロールする力があるからです。
言葉はとてもパワフルです。言刃(ことば)といわれるくらい人を傷つける力がある一方、人を心の底から励まし、大きな慰めとなる力も持っているのです。
ご健闘を祈ります。