今思えば、私の信仰の祈りはJW時代(実は今でも正真表明の現役ですが、)よりもはるかに聞き届けられていることをどうしても書かなければなりません。

 

     私は信仰のゆえにすべてのものを後にしてきた一人です。

     (人生を返して欲しいと叫びたい口です。)

 

資産も、財産も何もなし、その日暮らしの職を転々としながら家族5人を養ってきました。

そんな生活ですから、神にすがるしかない、祈りの毎日です。

でも、不思議とそなえられましたし、生かされてきました。

 これがクリスチャンとしての真の生き方だとし信じて疑いませんでした。

 

     それから、組織が変遷し初め、様子がおかしくなってきたので少しずつ組織について醒めた目で見ていくようになりました、でも、生活の方は相変わらずの状態が続く祈りの毎日でした。

 その頃に、思いもよらないアル出来事に遭遇しました。何度か起きる人生のピンチで最大級のものです、

 死を覚悟するほどのものでしたが、祈りは一向に聴き届けられませんでした。

1年も2年も祈り続けたのにその間何もです。ただ平安は与えて頂きました。

 時は過ぎ、ようやく落ち着きを取り戻した頃、「聖書」を知って40年、一度たりとも祈りを聴かれなかったことのない神が、どうしてこの度の最大のピンチに聴いてくださらなかったのか、その方がショックでした。(・・・・最早神は私から離れたと思ったほどです。)

 

 それから幾年か過ぎて、ブログを書き始め、「組織」の崩壊を書き綴っておりますが、生活は以前のままです。

 それでも、私から「聖書」と「神」を切り離すことは出来ませんから、日々の生活の中で、自分の努力を超える分野や相手のある交渉事は「神」に頼らざるを得ません。

 ですから、いつの間にか必死になって祈っているのです。

 

 そうしたら、必ずと言っていいほどその祈りは聞き届けられるのです。

いや、むしろJWにどっぷり時代よりもその頻度は多くなっていますし。しかも祈りの答えは確実に早いのです。

 

 これはどういうことなのでしょうか。

熱心だった頃、一時は神から見放されたと思った時期もあったのに。

逆にすっかり「組織」から目が覚めた今のほうが、神は良く祈りを聴いてくださるとは。

 

 

     「神」とその方に対する祈りの答えは「組織」と一切関係が無いと言う話です。

 

     

 

     

 

     JWの組織にどっぷりと漬かっていた時は、

祈りと信仰は常に組織とともに存在していた。

割り当てやプログラムを果たすこと、研究生や感心のある人を見出すこと、野外奉仕、個人研究・・・・そして日々の生活も。

 

     今は違う、全然違う。

一人の人間として、又家族として、神に信仰を抱き、イエス・キリストの到来を待つ。

ただ、日々の平安を求め、「聖書」を読むことと祈りの日々。

それで十分過ぎるほど満足だ、

 

     たとえ何時死んだとしても、終わりの時に復活がある、だから死は何も恐れるものではない。

 

     これほど穏やかですべてを受け入れるゆとりは、JWどっぷりの時代には全く持ち合わせていませんでした。

 今が人間として、ごく普通の本来の生き方をしているとの、実感を得ています。

 

     3回目の記事をリブログさせて頂きました。

最初から見てくださると嬉しいです。

 

     「ものみの塔」研究記事が「神の言葉」だと信じきっている「JW」の皆さんにとって、是非通らなければならない道です。

 

 組織からの宣伝(プロパガンダ)だけに耳を傾けて、その内部が実際はどうなっているのかに目を瞑り耳を閉ざす事は、けして公正なことでないことは皆さん自身がよくご存知のはずです。

 

     これは脅しでも何でもありません。

皆さん方の心のうちが、実は穏やかでないことは下々の目から見てもお見通しです。

 

 WTの性児童虐待は世界中で取り上げられ、今や白日の下に晒されています。                                                                                                                                                                              にもかかわらず、本部は傲慢にも沈黙と隠蔽をかたくなに守り続けて、平然と成員を騙し続けて、サタンの手先であることを明らかにし始めております。

 さすがにこのままでいいのかと云う心配も浮かんでくることでしょう。

 

 皆さんはこっそりと「良心の危機」を読んでいる筈です。

当時の「統治体」成員の、あまりにも人間臭い愚かさと無能さには十分過ぎるほどご存知のはずです。又、その中に神は一つも存在しなかったことも知っているはずです。

 ましてや、彼らの愚かさにそれ以上輪をかけた形で受け継いでいる現在のメンバーに、この「組織」の正常化や改革など、一切望めないことは皆さん自身がよくご存知のはずです。

 いや、むしろ。この終わりの時に「神」によって滅ぼされるには最適な人たちと言い直しましょうか。

 

     この「組織」の滅びは時間の問題です。

 皆さんが薄々心配している「性児童虐待」が、当局によって明るみにされる時が近づいているからです。

 今や、世論に屈した多くの宗教団体が、長い間隠してきた「性児童虐待」を明らかにし、謝罪を余儀なくされております。

 ところが、「WT」だけは、強情にも頑なに当局の捜査を拒否し続け、事実を否定し、「謝罪」しようとはしません。

 神がいつまでもそんなことを許すはずがありません。

神はその結末を「世」と「世の組織」を用いて行動されます。

 例えば、世論の圧力は絶大です。

「WT」が一体何処まで隠し通せるでしょうか。

また、それから生き延びることができるでしょうか。

古今東西、世論に屈しないで生き延びた組織や団体など聞いたことがありません。

 

 いずれ、他の宗教と同様、認めざるをえなくなり、公に謝罪することになるでしょう。

皆さんはその時はどうされますか。

謝罪する時は皆さんも一緒ですよ。

「本部」が謝罪しているのに「支部」が知らないで済むわけがありません。

 

 その時に皆さんの本性がJWのすべての面前で明らかにされるのです。

 本部の悪事を知っていながら隠し通し続けたこと、あるいはその片棒を担いできたことが白日の下に明らかになるのですよ。

皆さんはそれでも立ち行くことができると思いますか?。

 

     この「組織」は、本部が「性児童虐待」があったこと、それを長年「隠蔽」し続けてきたことを公に謝罪した時点で、崩壊する事になります。

 なにせ、「神の組織」と豪語してきただけに、最早その反動はあまりにも大きくて、けして耐えうることはできないでしょう。

 

 今まで信じてきた「JW」は、川の水が一挙に引いていくように「組織」から離れていくことになるでしょう。

 これによって「大いなるバビロン」が滅びるという「聖書」の予言が成就するのです。

 

     支部の皆さんは今からどのように対処してますか。「大いなるバビロン」から出なさいと言う呼びかけに応じていますか。それは急を要することなのです。

 

 今では、多くのJWが、この「組織」が人々を継ぎとめる手段が「教理」でもなければ「真理」でもなく、「神の組織」という架空の存在(偶像)の威を借りて分け与えてきた、数々の特権が正体であることを、見抜き始めてきたことも忘れずに覚えて置いてください。

 そんなの、「神の組織」でもなんでもないと知った時点で人々にとって何の意味もありません。

 

 

 

 

 

     

 

 

 

     

     

 

     今年の大会で、宣べ伝える音信の内容が変わる。という話があったそうですね。

人々を集める業から裁きの音信へと変化する時が近いという趣旨のプログラムだったようですが、大会に出ていないので詳細は知りません。

 「復習のプログラム」で扱われたので、そうだったのかと思った次第です。

その中で、音信が変わる根拠の聖句として、啓示16:21が取り上げられていました。

 

 21 そして,それぞれの重さが一タラントほどもある大きな雹が天から人々の上に降り,人々は雹の災厄のために神を冒とくした。その災厄が異常に大きかったからである。

 

     この聖句がどうしてそのようになるのかはさっぱり分かりませんが、救いの音信から裁きの音信に変化する時、奉仕者にとってそれは挑戦となるでしょう、勇気を持って行いましょう。などと締めくくっていました。

 

      WTは、神の組織だけが救われると、一貫して主張してきたわけですから、裁きの音信も、それが前提になっていると想像するのですが、おそらく。

 「神の裁きが近づいているので、救われるために組織に交わらなければなりません。」とか、「それ以外の者は神によって裁かれます。」と言った内容を想定するのですが、神のお考えやイエス・キリストが地上に遣わされた理由からしてそれは無い、絶対に無いと断言します。

 

 考えて見てください。人類はこの事物の体制の神の支配下にあるのです。コリ二4:4.。

 それは、人間が望む、望まないに関わらず、その生涯はその神によって誤導されてきました。イエス・キリストはサタンを無に帰させるために行動されるのです。

 (その前の節、コリ二4:3の「・・・・良いたよりにベールがかけられ、滅び行く人たち・・・・とは、この時代における天に召される選ばれた人たちから除外される人々のことを指しており、全人類のことを述べているのではありません。・・・・・文脈から。)

 

 WTによると、「神」の言うことを聞かない人間は、たとえサタンから意図せずに騙されていたとしても滅ぼされる対象になり、イエスの贖いも知らない人間は、本人の責任ゆえに滅ぼされることになります。

 そんな「神」などこちらから願い下げです。

 イエスの目的がすっかり何処かへ吹っ飛んでしまってます。

 

 そもそも、「聖書」で述べる「裁き」とは何ですか?。

悪い人間を滅ぼすことでもなく、以前の生きかたによって裁くことでもなく、また、神を知らない人を滅ぼすことでもありません。

 サタンの存在しなくなった世で、人々が復活し、イエス・キリストと人類から買い取られた祭司らによる神の王国による新しい支配体制のなかで、そこで開かれる新しい巻物によって人類が各々どう生きるかを定める千年間の期間のことを指しています。   

 それは公平で、理にかなっており、神とキリストの精神を最大限に集約する期間でもあります。啓20章、21章。

 

     従って、このまま組織に留まっていますと。「裁きの音信」だと言って嘘の音信を伝え周り、サタンに騙されて無知な状態にいる市民を、ただ脅したり、怖れさせたりして、人々に恐怖だけを与えて動き回る害虫的存在に成り下がってしまいます。

 

 そんな器(実は光に変容したサタンの手先に使われる。)として行動したいですか?

 

 それとも、すべての人に死を恐れることのない復活があること、そして、イエス・キリストによる千年統治が近づいたという明るい音信を伝えたいですか?

 これこそ、「聖書」の「真理」なのです。

 

 

 

 

 

     

 

 

     

 

 

     ヨハネ10:16の言葉です。

 

 これが、従来の主張どおり、大群衆に当てはまるとすれば、テモテ一2:5,6で述べている、キリストは・・・・すべての人の仲介者・・・・・で正しいことになります。

 何故なら大群衆は人類の一部だからです。

 

 一方、キリストは油注がれた人だけの仲介者であるならば(89’8/15、質問箱)、この、ほかの羊は、大群集ではなく、イスラエルに属さない「異邦人」と言うことになります。

 

 WTは、この矛盾を成員にどう説明しますか?。

     支部委員ともなれば、日本全国から上がってくる各会衆の報告から、日本のJWの現状を分析する機会も多いことでしょう。実際のところどんな観察をしておりますか?。

 数字的にはあらゆる面での減少がみられ、危機を感じている人もいることでしょうが・・・・・。

  

     しかし、数字だけでは実際に見えてこないものがあることも真実です。

例えば、ある会衆はここ数年、奉仕者数も時間数も若干の減少があるもののほぼ横ばいだとします。巡回も今の現状からすればまあまあだと判定しますか。

 

 しかし、現実はその半分以上が「死んだ」報告であることをどの程度知っているでしょうか。

 

 奉仕者は1日に数件の訪問と時間つぶしの牛歩活動。

 車での幾人かの奉仕では、お茶タイムは優に1時間は下らない。霊的会話など一切無し、

 もっぱら噂話か井戸端会議。

 スタンド奉仕は時代錯誤のマネキン展示。ただ、奉仕者の自己満足を満たすだけ。

 

 集会は半分かそれ以上は実際何の目的で集会に行ってるのか解からない人たちばかり。

 ただ、出席することによって救われると思い込んでいる義務感だけの人が大半です。

  その証拠に、何らかの事情で、今日は集会が休みという連絡が入ると、間違いなく全員が大喜びします。何かから解放されたような気分になるのでしょうね。

 少しの病気や用事でもで正当な理由付けが出来たので正々堂々と休む事にしています。

 

      ですから、JWのほぼ6~7割以上は、集会を行かないですむなら其れに越したことはない。割り当てが無くなって欲しい。奉仕も今日は休みになってほしいが本音です。

 

 JWの生き方だけが本物って、それはないわということ気付いてしまったということです。

 

ですから、半分以上は「組織」にとっても「死に体」の人数なんです。

 そんなの、出席者の目を見れば明らかです。

 「真理」に燃えてきらきら輝いていた時代はすっかり遠い昔の話しです。

 今では、秋刀魚の死にかけた目しか見る事ができません。

 

 尤も「巡回訪問」とか少しの刺激は多少なりとも成員の目は光りますので、巡回はそういう目しか見る機会しかありませんから真実を見通せません。

 成員の普段の目の光を洞察できなければ、成員が今霊的にどんな状態なのか、何も見えてこないのです。(実際、集会に対する自分の本音など、巡回に話す人など誰一人おりません)

 

 

 ネットで、米国のある王国会館の現状の様子が映像で紹介されていましたが。120~30の席数に、わずか15人ほどの出席者数。

 日本も「死に体」の人数を除外していくと、全く似たような数字になるのです。

 

今、会衆で「組織」にしっかり着いて行ってる人は、まず長老夫婦、次いで僕の幾人かの夫婦。そして目覚める機会を失った幾人の古株。

 ザット数えて20人から30人と言うところ。

 そうすると、日本のいわゆる正統の「エホバの証人」の人数は6万から9万人というところが実数でしょうか。

 それが現実の姿なのです。

 

 

 

 

     普通に疑問に思うのですが。

 

 支部委員ともなれば「個人研究」「聖書」の通読と理解と言った点で、一般のJWよりは長けていると思うのですが、沈黙したまま何を考えてているか訳がわかりません。どうして声をあげる人が出てこないのか不思議でなりません。

 

 例えば、毎回の研究記事の中に「聖書」とかなりかけ離れた解釈や注解が必ずと言っていいほど登場するのに、それをそのまま放置していているのでしょうか。理解できません。

 

 毎週のワークブックにしても同じです。「野外奉仕に励む」などのプログラムでは、その通りに行えば、この日本から一人でもJWに関心を持つ人が見つかると、本当に信じて映像を流しているのですか?。(JWが幾ら増えても組織の人間を集めるだけのことで、「真理」を述べ伝える神のわざとは無関係です。お解かりいただけますよね。)

 

 カレブが王国会館を走って、しかられるているビデオは「真理」の教えに欠かせない映像なのですか?。

 

 「神の言葉の宝」でも、律法の国民に書かれた事と、霊的イスラエルに与えられた記述とをごちゃ混ぜにして、現代の平に「聖書」の言葉を無理やり理解させようとする。

 これではいつまでたっても、「真理」を理解することはできませんでしょう。大丈夫ですか。

 

 「ものみの塔」の記事が、もう書くことがないのか、あまりにも世俗化されてきて、神や組織に従順の記事ばかりで、さすがにここまで来れば平もウンザリしてきて次第に心が離れてきているんですが・・・・・・・・えっ、そんな事気付いていない?。

 本当に気付いていないんですか?、皆さん大丈夫ですか。

たしかに、井戸の中にいると水が少しずつ変わっても気づきにくいですものね。

 

 日本中から集まった寄付が月々総額で幾らあって、そのうち幾らを本部に送り、残りはこう、こう、このように使われました。という報告をずーっと待っているのですが(私は約40年以上待ちました。)いつ行うのですか。今すぐですか。

 

     続きます。

 

      中野っちさんが、上記の質問箱で米国のJW関連のブログが盛り上がっている様子を取り上げてくださいました。

 中にはイエス・キリストは人類の仲介者ではなくなったと教えている、と言う人もいれば、イヤ単なる言葉の表現の取り方だと言う人もいて結構賑わっておりました。

 

     さて、問題の質問箱ですが。

 

  □ テモテ第一 2章5節および6節は,イエスのことを『すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えた仲介者』と述べていますが,イエスは霊によって油そそがれたクリスチャンだけの仲介者ですか,それとも全人類の仲介者ですか。89’8・15 30P

 

  「神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであって,6 この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです。」テモテ一2;5,6.。

 

 パウロは、この書簡をテモテに書き送る際、圧政的なオオカミが会衆に入り込み(サタンによって撒かれた雑草らによるものですが・・・)人々を大いに惑わすことを警告されました。

 パウロは、彼らを守るため、テモテをエフェソスに残しました。そのためには無駄な系図を誇ったり,異なった教理を教えたりして人につかせようとすることがないよう、信仰においてキリストに強く結びつかせることが必要です。そのためにあらゆる人について、また王たちや高い地位にあるすべての人々について祈願と、祈りととりなしと、感謝が捧げられるよう・・・・・・」にと、クリスチャンとして平穏に過ごせるよう祈ることを強めました。

 

 これ等の文脈からして、パウロはイエス・キリストが全人類のための贖いとして命をなげうってくださった方としてテモテに強調しています。

 

     ところがこの回答者は質問に真正面に向き合って答えるのではなく。「仲介者」と言う言葉に焦点をおいて答え始めました。その言葉を説明するために、ヘブライ9:16やガラ3;19-22のから引っ張ってきて、律法契約に対応する霊的イスラエルの当事者間の法律用語の言葉として意味を長々と説明しようしておりました。ですから、次のように結び付けるしかないのです。

 

     したがって,テモテ第一 2章5,6節は,「仲介者」という語を多くの言語に共通の広い意味で用いているのではありません。イエスが神と全人類との間の仲介者である,と述べているのではないのです。むしろ,新しい契約の法的な仲介者(もしくは「代理人」)としてのキリストを指しており,これが聖書におけるこの語の限定的用法なのです。(質問箱から)

 

     この回答の仕方は実に不適切で別な意図が感じらます。

 確かにギリシャ語の「仲介者」という言葉は「法律用語」的意味あいを持つものでしょうが、パウロはその事を意識して語ったのではないことは、先の文脈を見ても明らかです。

 もし、パウロが、圧政的なオオカミから彼らを守るために、その点を強調してこの言葉(仲介者)を用いたのであれば、ヘブライ人に宛てた手紙と同じ論議を進めてからでなければ、彼らを論破することはできないでしょう。

 ところが、それらに一言も触れていないということは、この「仲介者」と言う言葉は、広い意味で使われる仲立ちとか仲介と言う意味合いで語ったと取るのが自然です。

     

     この回答者がフレッド・フランズ(組織派)か、あるいは彼の息の掛かった人が書いたならなら十分ありうる答え方ですが、もしレイモンド・フランズ(イエス・キリスト派)が回答していたならもっとずっと違った回答になっていたと私は思いました。

 

     私が申し上げたい点は、「聖書」は文脈に沿って、素直な気持ちで読まなければならない、と言うことです。

 それ以外の読み方は人間の罪からくるかあるいはサタンからくるものではないかと思っております。