大概のドラマは最後はみすゞの死で、美しい景色をバックに終わる。

早い話が、放蕩三昧のどうしようもない元夫(正式な離婚手続きは踏んでいなかったらしく、戸籍上は夫婦のままだったらしいが)から娘のふさえを自分の母の元で育てようと、いわば抗議の意味合いも含めて自死という道を選んだ…という事だった。

…気にかかるのはふさえは勿論のこと、周りの人間のその後である。

ネットで色々見て見たが、きちんと書かれている本があると、とあるブログに記されていた。
タイトルは「金子みすゞふたたび(今野勉著)」

その著者によると、みすゞの夫であった宮本氏は彼女の死から5年経った昭和9年に再婚したそうだ。
相手もバツイチ子持ち。
再婚後に産まれた宮本氏のご子息によると、宮本氏はご子息にいつもみすゞの写真や、童話集を見せたり語ったりしていたという。
ドラマでは創作を禁じたりする場面もあるが、ドラマを鵜呑みにしてこの話を聞くと、ギャップに驚かされる。
みすゞの自死のショックで、生まれ変わったかのように良い人になったのかもしれないが、終生芝居やマージャンは大好きだったそうだから、もしかしたら、後世の人達に必要以上に悪者にされていたのかもしれない。
どうしようもない、チャラチャラした人間だったのは本当のようだが。
昭和19年には、宮本氏は父親とともに、みすゞの弟の上山雅輔の芝居を見に大阪へ行き、そこで雅輔と再会、以後終生まで交流が続く事になった。
やはり、どうもドラマで宮本氏は悪く描かれ過ぎている感じがすると、このブログ主も指摘している。

今日の石井ふく子プロデュース(まだまだご健在なのね…!)では、宮本氏(劇中では親族の方に配慮してか、名前は変えられているが)の苦悩っぷりも所々描かれていたように思うので、さほど嫌な感じは受けなかった。

一方、娘・ふさえはどうなったのか。

みすゞの死後、結局ふさえはみすゞの母の元へ預けられる。
祖母は、母の死因を話そうとはしなかった。
ふさえを思っての事もあったのだろうが、当時の時代背景として、自死者を出した家というのは、周りから白い目で見られるということもあったという。
しかし、ふさえは15歳の時に仏壇からみすゞの遺書を発見、母の死の真相を知ってしまう。

思春期という難しい年頃の娘のショックは、考えるだけで胸が痛くなる。
とても辛かったと思う。

その後、ずっとふさえは思い悩む。
「どうして母は自分だけ残して居なくなったのか、私は母に捨てられたのか」と。
ふさえは、金子みすゞ生誕100年を記念して出版された「南京玉」の巻末で「母は、やはり愛なく結婚して、私を産んでそして私を捨てたのでしょう。母が死んだのは詩人だったからではないでしょうか。」と。
…母に対して愛を求め続ける気持ちと嫌悪する気持ちを持ち続けて70年程。
この時のふさえさんはもう、母から捨てられたのではなく、母を嫌う気持ちを捨てたのだろう。

今も、ふさえさんはご健在のようで、ご家族と共に幸せな日々を過ごされているようだ。

ふさえさんの苦悩の元となった、なぜ、みすゞは自死を選んだのか。

宮本氏が終生みすゞの写真や詩集を持ち歩いていたこと、雅輔との関係が時間は掛かったものの、修復出来ていることからして、多分、抗議の為の自死ではなく、夫から移された病気による人生への絶望、娘を奪われた悲しみがあまりに大きく、かなり精神的に追い詰められていたのではないか。


…まぁ、この辺りをドラマで描こうとすると、双方の親族に迷惑が掛かるから、実現は難しいだろう。

ただ、みすゞは間違えなく娘・ふさえを愛していた。

その証拠に、ふさえをあの世へ連れて行かなかったのだから。