最後は長崎駅から爆心地公園へ | ニッコリ会・下関

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ニッコリ会・下関は
「日本とコリアを結ぶ会・下関」
の略
【目的】
日本と朝鮮半島の和解と
平和を求める活動

 629日、日本での最終ゴール地点の長崎駅から爆心地公園までの行進に参加しました。

心配された前日の雨も上がり、長崎駅前の人工地盤上に午前10時集合して、出発式。木村英人さんの司会で集まった方々と一緒に歌「あなたのための行進曲」(木村さんが訳した日本語歌詞も付いた譜面で)、「原爆許すまじ」「青い空は」をギター演奏をバック歌った。そして李元栄さんの挨拶を受けて、スタートした。

 行進はそこから歩道を進み、約3㎞の道のりは身体障がいをもつ岡本正彰さん(「上関原発絶対反対」のはちまちで)が先頭になると、ゆっくりした歩みとなり、みんなの歌声もギターの伴奏もみんなが聞きながら素敵なまとまった一団になった。街行く人々にリーフレットを配りながら歩くこと約1時間、やがて真っ直ぐ正面に爆心地公園が見え、そのゼロポイントを示す標柱が近づいて来た。一人高齢の方がにこやかに拍手で歓迎してくれていた。ゆっくりとそのゼロポイント標柱前に到着して、そこで慰霊式が始まった。

 木村さんの司会でそこで歓迎をされていた長崎県被爆者手帳友の会会長の井原東洋一さんが歓迎のあいさつをされた。ご自身は爆心から6㎞で被爆をされたとのことで、九州電力で働くようになってからも反核、反原発運動をして来られた方だった。千里の道も一歩からと、ソウルからここまで約千キロを踏破された李さんが11千キロの徒歩巡礼が成功に終わることを信じて、被爆者として期待と激励をして下さった。

続いて、李元栄さんがゼロポイントの標柱に向かい三度額づいて、自ら書き記した巻紙を拡げて抑揚をつけて朗詠した。その前に李さんが配られた紙片にその文の日本語訳が記されていた。その原文がこの日の生命・脱核シルクロードブログにあるが、ハングルなのでその内容は改めて載せたい。

 その朗詠が終わり、振り返り、私が「世界生命憲章・ソウル案」を読むように言われた。

ゼロポイント地点の標柱をバックに立ち、この文を朗読する時、私は自分の背後からの励ましを感じざるを得なかった。この文章は人類の貪欲な利己主義により人類とすべての生命は核による絶滅の危機にあることを知り、そして人類が悔い改めること、そして原発を無くす強制力のある国連機構をつくることをすべての民、とりわけ宗教人に呼びかけている。その内容は長崎の原爆犠牲者の霊魂も支持してくれるという感覚があった。

 

 その後、みんなでもう一度、「原爆許すまじ」「青い空は」「あなたのための行進曲」そして「アリラン」を歌った。みんなの心が一つになって、自己紹介をし合って、脱核、脱原発の思いを共有し、生命・脱核シルクロード巡礼の成功のためのカンパが提起されて、その場で李さんに手渡された。そして生命・脱核シルクロード巡礼を支持するみんなの集合写真を撮った。

そこで散会となった後、李元栄さんは朝鮮人被爆犠牲者の碑に礼を尽くして、写真に納まった。

 

 その後、長崎原爆資料館の館長に面会したり、市内の宗教関係者を訪ねて「世界生命憲章・ソウル案」を手渡し、日本での広島~長崎430㎞、約1か月間の最後の巡礼を終えた。

長崎を終えた李元栄さんのブログは以下の通り。