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里美で会社をつくる

こんばんは

ゆかちんこと、長島です。

長い冬を越え、春になったかな~と思ったら、
4月に入っても雪が降る日があったり、
日中でも寒い日があったり・・・

暖かくなりかけてからも霜が降ったので、
さくらんぼの花も落ちてしまったり、
竹の子も生りが悪かったり・・・

この連休で、里美は田植えがだいたい終わり、
今度はお茶摘みの季節に突入です。

里美のお水でお茶を淹れると、本当に美味しくて、
乾いた身体に沁みわたっていきます。

今年も美味しいお茶が飲めるかな

今から楽しみです。




田植え前の里美の風景



2014年3月に地域おこし協力隊の任期を終えてからの私は、
「一住民」として里美で家と畑を借りて、
観光物産協会で民泊のお仕事をする傍ら、
福島県の棚倉町で協力隊のアドバイザーをさせていただいたり、
声をかけてくださった大学やセミナーなどで講演をさせていただいたり、
BSフジのテレビに出演させていただいたり、
協力隊時代に里美支部3人で書いていた記事を文庫本にしていただいたり、
今日までにも協力隊時代で行ってきたことの続きを
ゆっくりとですが、させていただいてきました。



ルリエ里美支部の3人で。

(『地方とわたしとつながる世界』 発行:ゆたり出版
http://hontoyutari.com/project/project02_01.html
上記URLより購入できます。ご興味のある方は、是非!)







協力隊だった3年間で行った様々な活動は、
総括してみると、

「地域の方々が大切に守ってきたこの里美を未来に繋げていく為に、
地域にすでにある宝物(人・モノ・コト)を掘り起し、
価値の再認識を地域の方々と共有し、
その価値を守り、より多くの人に伝えて、
里美地区に住んでいてよかった!という想いを
地域の中でじわじわと育むことを目指して、
様々な活動を通してカタチにしていく」

ということでした。




前のブログでも書きましたが、
その3年間が終わったあとの、この1年は、次のステップに進むための1年だったな~と今、振り返っています。


********************************

心が平和になる手の中におさまる暮らしと、
魂が喜ぶ仕事をし続けることができる環境。

それがここ里美にあったから、私はこれからも里美に住み続けたい。

そして何より、シンプルに、里美が大好きだから、もっとこの地に関わり続けたい。

そう思って、今度は2年後、5年後、10年後の目標を立てつつ、
明日からも里美に住みます。
そして、この地でシゴトをして、
これからの未来に、さらにチャレンジを重ねていきます。
大好きな里美で、大好きな人たちと、平和に、幸せに、豊かに暮らしていけるように。


「攻めることで、守る」
「守るために、攻める」

一住民として、これを、実行していきます。


(『5年目の春』より http://ameblo.jp/ykm-satomi3103/entry-12011619345.html)
********************************

3年間の任期終了後の私の次のステップ。

「攻めることで、守る」
「守るために、攻める」

とは、

「社会の課題に積極的に向き合い、前のめりに行動し続ける(=攻める)ことで、地域(里美)の大切な伝統・文化・土地を守り、伝え、誇りと幸福を感じながら生きていく人を増やす(=守る)

「地域(里美)の大切な伝統・文化・土地を守り、伝え、地域(里美)がこの先も住んでいる人が望ましい形でずっと続いていくため(=守る)に、前のめりに行動し続ける(=攻める)



ということです。



どのように、それを実行するのか?



私がそれを実行するために、
今の里美に必要なこと。
今の自分だからできること。

それは、


“里美で会社をつくる”ことでした。

*******************************

「この美しい里を、ずっと守っていきたい。本当に価値があると感じるものを、ちゃんと未来に残していきたい。家族のように大切な地域の仲間と一緒に、働き、暮らしていきたい

里美に暮らすようになって気付いた、自分の中の大切にしたい価値観を表現し、それを地域内外の多くの人と共有し、想いをカタチにしていく。

そのために、
2015年3月13日(サトミの日!)、
協力隊時代から共に活動していた地域の仲間と、
『合同会社
PotLuck Field里美』を設立しました。



地域に暮らす人それぞれの得意を持ち寄りPotLuck=持ち寄る)
里美というフィールド
Field=場、分野)
里美の未来を守るために攻める、という想いを込めました。

PotLuckLが大文字なのは、里美で暮らす人、働く人、関わるみんな、
そして自分にとって
「幸せ」という言葉がキーワードになると思ったから。

里美の人と、幸せに暮らし、この土地を未来につないでいく。
そんな、暮らしと仕事の関係性が限りなくイコールに近づき、
等身大のまるごとの自分で生きていくスタイルを追求したいな、
そう思っています。



『地方とわたしとつながる世界』 発行:ゆたり出版
http://hontoyutari.com/project/project02_01.html
長島寄稿文より抜粋
********************************




なぜ、“会社”なのか?
やりたいことをやるのであれば、
個人で活動していけばいいのではないか?
里美の外から地域を応援するという形もあるのではないか?
形態も、NPOでも、任意団体でも、社団法人でも、いいのではないか?


後から考えると、そういう選択肢もあるよなぁ、と思います。




でも、たった3,4年だけど、
里美に住んで、
この地域が大好きになって、
暮らしの中で様々な課題を実感として手に取るように日々感じていて、

例えば、
「また今日もお葬式だったよ。このままじゃ里美の人間がいなくなっちまう!」

「小学校が合併だって。寂しくなるねぇ」

「あそこの田んぼはもう耕すのを止めたんだ。作っても一銭にもならないし、むしろ赤字だからねぇ」



よく聞こえてくる地域の人のそんな声。

(もちろんいろんな文脈の中の話で、いろんな意味合いが含まれているので
一概には言えませんし、現代の地域や家庭の様々な状況に紐づく多面的な言葉ですが。)



その言葉の裏に込められている、地域の人の想い。



「なんとかしなきゃ、どんどん人が減っちゃう!何とかしたい。もっと若い人が増える場所にしないと・・・・」

「子どもがどんどん減ってしまって、寂しい。このままだと近いうちに子どもの数もゼロになってしまう。どうしたらいいんだろう。何か手を打たないと・・・・」

「先祖代々耕してきたこの大切な土地。本当は今年も耕したい。自分の子ども、孫にもちゃんと引き継いでいきたい。高齢で身体も思うように利かなくなってきているが、耕さない、という決断は、できることならしたくない・・・」


そんな想いを、ずっと感じてきました。



協力隊のときは、
与えられた立場で、
“外部者”の役割を精いっぱいこなすことにいっぱいいっぱいで、
経験もなく手探りで、
失敗も沢山して迷惑も沢山掛けながら、
限られた3年という時間の中で
様々な関係機関との横と縦のつながりを考えながら
活動していました。
もちろん、協力隊だったからこそさせてもらえたこと、できたこと、
沢山ありました。
逆に、協力隊だったからこそ、できなかったこと、しなかったことも
沢山ありました。






そして3年が過ぎ、
私は一住民になりました。

協力隊の任期は3年ですが、それは地域の長い歴史から見ればたったの3年であり、3年で地域の状況が著しく好転したわけでもなく、なにか良い変化が数字として表れているわけでもない。

もちろんそういう状況を目指して3年間目いっぱい活動してきましたが、
それらは協力隊という非常に限定的な役割と立場の範疇を超え得なかったし、
自分の実力も全く届かなくて歯がゆい思いを沢山しました。





その期間が終わり、
ただの市民、一住民となった私は、
協力隊という殻を脱皮したからこそ
失ったもの、できなくなったことが沢山ありました。

でも、
逆に、手に入れたもの、できるようになったことも格段に増えました。





(秋ごろ、稲刈りを待つ里美の美しい風景)




今の立場になって、
私が次に挑戦したいこと。

それは、ごくごくシンプルなものです。


「このおばあちゃんの味がずっと続くといいな」

「この美しい里山がずっと残っていくといいな」

「これからも子どもたちの声が聞こえる場所だといいな」

「みんなが幸せに生きていける場所になるといいな」



こういうシンプルな想いを、実際に、きちんとカタチに表して、実現していくこと。





今ならまだ、想いをカタチにできるチャンスが、残っていると思っています。
里美は頑張っている地域の人がまだまだ沢山いるし、
里山も「きれい」だと感じるし、
コミュニティの機能は現代のライフスタイルに合わせながら残っているし、
子どもの数も減ってはいるけど保育園・幼稚園・小学校・中学校は地域の中にあるし、
林業や農業を継ぐために帰ってくる娘息子がいるし、
集まりに行けば必ず地域の未来の話になる。



でも。
地域の現状は待ったなしです。

きっと多くの人が思っているほど、時間はありません。


もっともっと、結果にコミットしたいのです。





「子どもの数が増えたね」

「あの休耕田、最近また耕し始まったね」

「川沿いの竹林、荒れ果てていたけど、今では気持ちのいい風景になったね」
「あそこのおうち、息子さん帰ってきたんだって。まだ20代だって。里美で仕事をするんだってよ」

「あのおばあさんも、あそこのじいさんも、里美に暮らして幸せだった。これ以上の場所は他にないって、みんな言っているよ」


そんな声が、いつかきちんと、聴こえてくるように。





もちろんそこを目指していく上での過程も、とっても大切です。
協力隊の3年間、そして会社をつくるまでの1年間も、ある意味過程だったのかなと思っています。
でも、やはりこの地に暮らすからこそ、
もっともっと、もっともっと、結果にコミットしたいのです。







これが、一住民、無期限の存在になった、私の次のチャレンジです。
一緒に会社をつくろう!と言ってくれた仲間と、
そういう私たちを受け入れてくれる里美という地域の、私たちの、
未来へのチャレンジです。




そのために、会社をつくりました。
今の里美にとって、これからそういう未来を実現していく為に、受け皿となる組織が必要だと感じたからです。

様々なことを実行していく為に、地域側に受け皿的役割の組織が存在していることで、里美としてできることが格段に増えます。


そこで雇用が生まれ、きちんと成り立つということを実証できたら、
また里美で働こう!暮らそう!という人も、増えるかもしれません。



それは、私にとってはごく自然の流れでした。
もちろん「会社をつくる」ことが目的ではなく、それはあくまで手段です。

なんだかとても、身が引き締まる思いで、
会社はつくったけど、
まだそれだけで食べていける状態ではないし、
事業の整理をしつつこれからのことも考える必要があるし、
態勢を整えるためにやるべきことが山積みだし。



でも、
自分の中に「こうしたい!」「これやりたい!」「次はこれ!」という想いがあり、
「今日も里美に暮らせてよかった」という想いがあれば、
これから辛いことや悲しいことがあったときも、
また自分の原点に立ち返りながら、
時に立ち止まりながら、
自分の幸福の感度(ここ、すごく重要!)を大事にしながら
里美で働くコトができれば、
きっと少しずつだけど、前に進んでいけるのではないかと思っています。









今日は会社をつくった経緯と想いを書きました。
少しずつですが、具体的に何をしていく会社なのか、
お話していければいいな、と思います。


まだスタートラインにぎりぎり立ったかな?!という感じ。
会社のHPもこれからです。

里美と共に、生きていく会社に。

これからどんなふうに育てていけるかな。
ここからの1年はまた、
慌ただしく過ぎ去っていきそうです。



一緒にこのチャレンジをしてくれる、
地域の仲間に、感謝をこめて。



2015年5月9日

合同会社PotLuckField里美 
  代表   長島 由佳





春の香りの真んまるだんご

こんばんはゆかちんです(*^_^*)



最近、朝は小鳥の声で目覚めます。
まさに、そのままの言葉の通り。。
そんな朝はとても気分よく一日を始められます。


田んぼの土手には春の山菜が芽吹いていて
せりは混ぜご飯にしたり、
アサツキは酢味噌和えにしたり、
菜の花はからし和えにしたり、
毎日の食卓が春の新しい緑色で埋まっていて
お腹の底から力が湧いてくるような
不思議な感覚です。
なんとも嬉しい春の恵み。


(土手にびっしり生えているヨモギ。モチグサとも呼ばれる)


竹の子も顔を出し始めたので
初収穫できる日を今か今かと待ち望んでいます。

春だなぁ~・・・





と、いうことで、よもぎ団子も作りました。
初めて一人で作ったので、
ちょっと不安だったけど、
去年の今頃地域のおかあさんに教えてもらった手順を思い出しながら挑戦


よもぎをすり鉢で擂る工程や、
茹であがったばかりの団子を口の中に含む一瞬に
ちゃんと緑色の香りがして、
とっても爽やかでした。


よもぎ団子は個人的にすごく想い入れがあって、
去年、作り方を教えてもらった時のことをFBに載せていたので
以下、抜粋。



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よもぎ団子、教えてもらいました。

私は小さい時からおばあちゃんと一緒に暮らしていたんだけど、
福島県出身のおばあちゃんは、
私たちと一緒に横浜の住宅街に住んでいた時も、
公園の端っことかでよもぎを摘んではお団子作ってくれていたなぁ・・・


作ってくれていたことは覚えているんだけど、
作り方や、
そのときのおばあちゃんの表情や、
手の感じはもうほとんど憶えていなくて、


でもその時の葉っぱっぽい香りや、
緑色の鮮やかさとかは記憶の片隅に憶えている。


今日教えてもらったよもぎ団子は、
その時の記憶をふわふわじわじわと思い起こさせてくれて、
私が大学を卒業する頃に亡くなったおばあちゃんに、
もう一度会いたくなりました。


願ってももう会えないおばあちゃんは、
記憶の中でちゃんと生きていて、
春の香りや、夏の空の鮮やかさなんかと共に、
ちゃんと毎年蘇ってくる。



ずっと一緒に暮らしたおばあちゃんは、
私の一番の守り主だっていうことを、
昔教えてもらったことがある。



迷ったときや悲しいことがあった時に、
今でも夢の中に出て来ては励ましてくれたり笑いかけてくれたりするっていうのを考えると、
確かにそうだなぁと、
感覚で確信している。



里美にいると、
季節の香りや彩りが鮮やかで、
大好きなおじいちゃんおばあちゃんに囲まれて生活しているせいか、
そういう胸の奥ががきゅーっとなるような感覚に
とても敏感になる。



それって、大事なものを想い起させてくれる大切な時間だったりして、
だからここで暮らすコトは、心地いいのかなーなんて思ったりもする。


今日はよもぎ団子を教えてもらったおうちのおばあちゃんに、
たくさん昔の話を聴けました。

日立の方を空襲した飛行機が里美の空を通過するときの音が不気味だったこと、

日立で焼け出された家族が大子町の方に身寄りを頼ってぞろぞろと徒歩で逃げていくのに遭遇したこと、

葉っぱを背負って見つからないようにカモフラージュし、土手にしがみついてやり過ごしたこと・・・




「ちゃんと、話しておきたいって、思うようになったんだよ」



90になるおばあちゃんの想いを、
どうやって受け取っていこうか。伝えていこうか。残していこうか。
記憶にとどめていこうか。



(当時の様子を一生懸命話してくれた、ハマばあちゃん)


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もうすぐ五月。
里美の空には、
気持ちよさそうに、春風にそよそよと
大きな鯉のぼりが泳いでいます。








5年目の春

みなさまこんばん

なんと、1年ぶりのブログへの書き込み、
どうやって書き始めたらいいか、すっかり戸惑ってしまったゆかちんこと長島です。

なんだか今日はなんとなくこの1年を振り返りたくなって、
だーっと簡単にですがつらつらと書いてみることにしました。



協力隊という3年間の任期を終え、
そのまま里美地区に住み続けること1年。
里美に来てから、5回目の春を迎えました。


春と言っても里美はここ数日寒さが戻り、
ほころびかけた桜の蕾も縮み上がってしまうような冷え込みです。



(里美地区大中町付近・東側農道から西の山々を望む)



この1年は、本当にあっという間でしたが、
私にとっては大きな一歩を踏み出す為の、
準備期間のような時間でした。



(郵便受け兼表札。地域の方に3年前に作っていただいたのですが、
色が剥げてしまったものをまた別の方が補強・塗り直してくれて、
今でも玄関前に立って来訪者を出迎えてくれます)


2014年4月下旬。
2年間お世話になったおうちから、
6LDK庭付き・畑付きの民家に引っ越し、
地域の方のご好意に甘え、少しずつ改修しながら住み始めました。


(畑の師匠。今日も私が仕事で留守中に、玄関前にお米としいたけを置いて行ってくれていました)


隣のじーちゃんばーちゃんと交わす、気候や近況などの
たわいもない会話が日々の楽しみに加わりました。




(春の訪れを知らせてくれるふきのとう。ある日帰宅したら、
玄関先のふくろうちゃんの頭の上に置いてありました)


いただいたふきのとうをふき味噌にしたり、
畑で収穫した野菜を食べる、
協力隊の時にも少しだけ携わることができた畑仕事、
そしてその恵みで食卓を彩ることも、
今年もすることができました。



(栃木にいちご狩りに行きました)


おかあさんたちに誘ってもらって、
バスに乗って1日旅行もしました。




(里美の振興公社主催イベントにて里美の肉を食べました!)


指が変な形に曲がってるよ。。と言われながらも
里美で育った牛の美味しいお肉も食しました。
そして司会もさせていただきました。(里美のしごと!!)





(毎月第二日曜日one-day cafe里美の休日会場である荒蒔邸前にて)


協力隊1年目から地域の方々と続けている月1回のカフェも、
協力隊時代ほどではないものの、
顔を出すことができ、珈琲を淹れたり、ホールに出たりしました。



(里美地区小中町の茶畑にて)


お茶の季節には、手摘みでお茶を摘んだり、
摘んだ後置いておくと熱をもってしまう大量の茶葉を
両手でひっくり返しながら熱を逃がす作業のお手伝いをしました。
里美を感じる体験メニューへの調査も兼ねていました。




(里美御膳レストラン【初夏バージョン】にて)


昨年から開催している季節ごとの里美御膳レストランも、
今年は3回開催することができました。




(打ち合わせ風景)


一つ一つ、想いをカタチにする作業を地域の仲間と行っています。
この時のミーティングの時に作っていた製作物、
もうすぐお目見えできます。




(里川地区で行った漬物教室)



雪降る里川地区に登り、この道うん十年のおばあちゃんに、
大きな漬物樽で漬ける、大根の糠漬けを教えてもらいました。
これもまた、里美を伝える風景を切り取れたら、という思いでお願いしました。



(スタードームの中で、集落の鳥追い祭り)


夏に庭先に試作として作ったスタードームにシートをかけて、
その中で集落の鳥追い祭りをしました。
中でバンザイする様子を外から撮るとなんだかとってもいい感じ。







ここまで書いている内容は、
この1年間であったことのほんの一部。

辛いことや苦しいこと、
悩むこと、迷うこと、
楽しいこと、嬉しいこと、感動すること。



4年目も、相変わらず沢山の感情が日々胸の中を駆け巡りますが、
でも4年目も里美で過ごせたことは、
本当にとっても幸せでした。



1年前、協力隊が終わった日の自分の書き込みを読み返していました。
以下、抜粋。


******

日付は変わってしまったけど、3月31日、協力隊最後の日でした。

想い起せば3年前、新しい場所での生活と仕事に対する不安と、
そして「何か残さなければ、来た意味がなくなってしまう」という思いを胸に抱え、着任初日から焦りに焦っていました。

「地域おこし」なんて言葉を使うことすらほとんどなかった生活から一転、自分自身を「地域おこし協力隊」なんていう使い慣れない言葉で紹介をする度、「地域おこしってなんだろう」なんていうこともちゃんと考える余裕もないまま、慌ただしく3か月くらいを過ごして・・・

外部者としての自分。
20代女性としての自分。
両親の子どもである自分。
企業で働いていたただのOLであった自分。
「期間限定」の存在である自分。

いろんな自分と向き合った時、初めてその意味を心の底から考えることができて。


3年経って、
なんとなくだけど、でも確かな手ごたえとして、いくつかの実体験と共に、確信として、その意味をこの手の中に感じることができるようになった。


協力隊としての日々は、毎日が新しいチャレンジの連続で、
とても刺激的だったし、
地域に向き合うことで自分に向き合うことができる、
手の中におさまる暮らしを送ることで自分を好きになれる、
仕事と稼ぎとシゴトの関係性を感じることで地域社会とのつながりを意識できる、
今自分のいる場所が、最高の人生を送ることができる場所だと気づくことができた。

3年前、長年の夢だった国際的なフィールドでの平和構築の分野の道へ進むための第一歩として選んだ移住と転職。


3年経った今、
自分がずっと追い求めていた人生の本当の目的だったり、
心の平和を保つことだったり、
心地のいい暮らしだったり、
色んな気付きを得る中で、
これからも地域というフィールドでチャレンジを続ける道を選んだことは、必然だったと思う。


そして協力隊最後の日は、
この3年間自分の両親よりも長い時間を一緒に過ごした地域のおとうさんおかあさんのおうちで、
3年間必死になってしがみついてきた地域の「食」の豊かさというものに囲まれて、
3年間酸いも甘いも知り尽くした仲間と共に過ごせたこともまた、
この3年間で得られた大きな財産だったと思う。


先日行った里美支部の活動報告会で流すために、
地域住民の仲間におんぶにだっこで作ってもらったスライドショーも、
地域への3年間の感謝と、
今後一住民となる私たち協力隊OGを含めた地域住民で、これからの里美地区にどんな未来を見ていくのか、ということを共有するためのものにすることができた。

心が平和になる手の中におさまる暮らしと、
魂が喜ぶ仕事をし続けることができる環境。

それがここ里美にあったから、私はこれからも里美に住み続けたい。

そして何より、シンプルに、里美が大好きだから、もっとこの地に関わり続けたい。

そう思って、今度は2年後、5年後、10年後の目標を立てつつ、
明日からも里美に住みます。
そして、この地でシゴトをして、
これからの未来に、さらにチャレンジを重ねていきます。
大好きな里美で、大好きな人たちと、平和に、幸せに、豊かに暮らしていけるように。

「攻めることで、守る」
「守るために、攻める」

一住民として、これを、実行していきます。

この3年間、すぐ近くで、遠くで、支えてくれた人に感謝の意を込めて。

********



協力隊を終えたことときみたいに、
この1年を総括することは、今の私にはまだできません。

でも、最後に書いている、
「攻めることで、守る」
「守るために、攻める」

これを実現させるために、ゆっくりとですが、
準備してきました。

まだちゃんと整わないけど、
きっと近いうちに少しずつ、カタチにしていきたいと思っています。

カタチにすることに、こだわっていきたいと思います。




4月1日に気持ちを入れ替えて新生活を始める、というような
区切りのいい感じにはならなかったけど、
もう少ししたら、しっかり総括したいなーって思います。





気ままに書きすぎました・・・

おやすみなさい


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