その昔、聖天子の聞こえ高い帝・堯(ぎょう)のころの話である。

堯は位に即いてからひたすら心をかたむけて、天を敬い人を愛する政治を行い、

天下の人々から慕われた。

太平無事の月日が積み重なっていつしか五十年が過ぎた。


あまりの平和さに、堯の心はかえって一抹の不安がよぎった。

「いったい天下は今本当にうまく治まっているのだろうか?

 人民たちは本当にわしを天子にいただくことを願っているのだろうか?」


堯はそのことを自分の目で見、耳で聴いてじかに確かめようと思いたって、

ある日のこと、目立たぬ衣服に身をやつし、こっそり町なかに忍び出た。

とある四辻を通りかかると一群の子供たちが手をつないで遊びながら、

こんな歌を歌っている。


 我が蒸民(じょうみん)を立つる 爾(なんじ)の極(みち)にあらざるなし

 識(し)らず知らず 帝の則(のり)に順(したが)う


 (天子さま 天子さま 私たちがこうやって暮らすのはみんなあなたのお蔭です

  天子さま 天子さま 私たちがこうやって何も知らずに気にもせず 

   みんなあなたを頼ります)


子供たちの無邪気な歌声は堯の胸のなかまで沁み込むように響いた。


「ふうむ、そうか。子供たちまでがわしの政治を・・・」

堯は満足げに呟いたが、ふとまた新しい疑問が心のなかをかすめる。


「だが待てよ、子供たちの歌にしては少し出来過ぎてはいないかな。

 あるいは誰か大人の入れ知恵かもしれんぞ。」


心の不安を追い散らすかのように、堯は歩調を早めて先に進む。

いつしか町はずれまで来てしまっている。ふとかたわらに目をやると、

白髪の老百姓がひとり、食べ物で口をもごつかせながら、

木独楽(ごま)遊び(撃壌:壌(きごま)をぶつけ合って勝負を決める遊び)に

夢中の有様、お腹(なか)を叩いて拍子を取りながら(鼓腹)、

しわがれた声で呟くように、だが楽しげに歌っている。


  日出でて作(はたら)き  日入りて息(いこ)う  

  井を鑿(ほ)りて飲み  田を耕して食う  帝力我に何かあらんや


  (日が出りゃせっせと野良仕事  日ぐれにゃねぐらで横になる

   のどの渇きは井戸を掘ってしのぐ 腹の足しには田畑の実り 

   天子さまなぞおいらの暮らしにゃ あってもなくてもおんなじことさ)


今度こそ堯の心は隅から隅までパッと明るく晴れ上がった。


「そうか、これでいのじゃ。人民たちが何の不安もなく鼓腹(はらづつみ)をうち、

 撃壌(きごまあそび)をして自分たちの生活を楽しんでいてくれる。これこそ

 わしの政治がうまくいっている証拠というものじゃわい。」


宮殿に帰りを急ぐ堯の足どりは、さっきと違って浮き浮きと軽かった。


(十八史略)