良妻賢母という言葉があるが、その賢母の標本みたいなのが、
この孟母(もうぼ)である。
孟母とは孟子(もうし)の母で、孟子とはいうまでもなく、戦国
時代の”儒家(じゅか)”・・・儒教学者の中心人物で
”亜聖(あせい:聖人孔子に亜(つ)ぐ者)”とまで呼ばれた
鄒(すう)の孟軻(もうか:前371~289年)のことである。

その孟子は幼くして父を失い、母の手一つで育てられた。
彼の母はよく見られる”未亡人”の一つのタイプだが、
自分の情熱のすべてをわが子の成長に賭けて傍(わき)目
もふらない。
どうにかしてわが子を立派な人間に仕上げたいという執念が、
この”三遷(さんせん)の教”とか、”断機の教”とかいう挿話
を生んだとみられないこともないであろう。

”三遷の教”、子供の教育には環境の影響が甚大である、
教育は環境に支配されるということをも示唆する。
その話というのはこうである。

孟子の母ははじめ墓地の近くに居を構えたが、孟子が遊ぶ
にことかいて墓掘り人夫の真似ばかりやらかすので、これ
ではいかぬと市場の傍(かたわ)らに移ると、今度は商人

売り
買いの真似ばかりするようになった。そして最後に学塾
のそばに引っ越すと、「お祭りの道
具を並べ、礼のまねごと」
をはじめたので
、「こういう所こそ、わが子を置くにふさわしい」
喜んだというのである

その孟子がやや長じて、母のもとを離れて遊学していた時のこと、
ある日、孟子が久しぶりに家に帰ってくると、母は機織(はたお)り
仕事の最中だったが、そこが”賢母”である。
きびしい顔つきのままで、
「お前、勉強はどのくらいお進みかえ?」、と問いかけると、

「いやあ、相変わらずですよ」、と答えると、

母はいきなり傍らの小刀(こがたな)を取り上げて、織りかけの布を
ばっさりと切り放ち、「お前が中途半端で勉強をやめるのは、この
 織りかけの布を途中で切ってしまうようなもの
だよ」、

と戒(いまし)めたので、孟子もすっかり恐れ入り、それからは
ますます学問に精を出して、ついには孔子に次ぐ名儒として
知られるようになったという。

(列女伝)