森山良子さんの「さとうきび畑」を

どうしても最後まで聴くことができません。

歌うこともできません。

 

涙がぼろぼろ零れて

どうしても最後まで

辿り着かないのです。

 

私の中に

沖縄の記憶がある訳ではないのに

見聞きしてきた戦時中の話のあれこれが

妙に鮮烈に頭の中に蘇ってきてしまうんだな。

最初はそう思っていたけれど

何か違うかも知れないな……と

思うようになったのは

ごく最近のこと。

 

初めてこの歌を

最初から最後まで通して聴いた時、

私の腕の中には実は

お腹いっぱいおっぱいを吸って

ご機嫌な赤ん坊が、息子が居ました。

子守歌を

風に途切れさせずにいられないお母さんは

幼子と一緒に

どれほどの哀しみや虚しさを

その腕に掻き抱いていたのだろう……、

私の反応はどうもそこに端を欲して、

戦地に散った父の面影を捜す姿に

あってはならない息子の姿を

投じてしまうのかも知れません。

 

偽善。

と言われても、仕方がないのだけれど。

 

 

そうやって重ねながら聴いた時、

繰返し綴られる「ざわわ」の響きは

終わりのない祈りのようです。