本日は先週取材した三女神社の
本殿まで登って来ました。
では鳥居から。
国道387号線を横切って向います。
そして由来書。
この中で『葦原の中国である宇佐島に
・・・宇佐島とは宇佐郡安心院・・・』とあります。
これが安心院の古代史の常識?
額には『二女神社』となっています。
本殿に行く途中に『横穴墓』があり
ここから須恵器などが出土したそうです。
『横穴墓』は合計32基あるそうです。
本殿までの途中に祠が1社。
ここにも由来書があります。
豪族、筑紫君等がこれら三女神をここに祀ったたようだ。
由来書は由来書であってそれ以上のものではない。
よってすべてを信じることは出来ないと思う。
境内にはこのような石が建っています。
真ん中やや右側にある穴は杯状穴の様に見えます。
三柱石の看板があります。
『三女神天降りの遺跡と伝えられ
地上に突出すること二メートル余り
‘古来試みにこれを穿て石根を見んと欲すれば
宇宙闇然風雨至り大地震動してその声雷の如しと言う。
皮籠石(カワゴイシ)というらしい。
『当社西約100mに皮籠石なる名の字あり
そこに皮籠大明神といわれる当社の末社があったが
明治初期玉垣内に移し祀られた。
奈良時代仁聞菩薩が三女神社に参拝し
ここに皮籠を下ろし前面の岸壁に仏像を刻んだ伝えられる。
また一説には神武天皇東征の時
この石に皮籠を置かれたとも伝えられる。』
以上です。
この三女神社の建っている山は『虎ヶ岳』というそうです。
ここに残っている遺跡などを見ても分かるように
この付近は古代重要な地域だったようです。
そしてここ安心院盆地は縄文・弥生時代は
繁栄した場所であるかと思われます。
それにしても『二女神社』とは・・・。
では今日はここまでとします。
初めての人は参考までにどうぞ。
↓は三女神社その1です。
http://ameblo.jp/yesidomasuda/entry-10191985230.html
↓は三女神社遺跡群です。
http://ameblo.jp/yesidomasuda/entry-10193895783.html