三女神社その2 | 哲也の敬天愛人ブログ

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天を敬い 人を愛す。

天は我も人も同一に愛したもうゆえ、我を愛する心を持って人を愛するなり。

本日は先週取材した三女神社の

本殿まで登って来ました。


では鳥居から。

国道387号線を横切って向います。


哲也のひとりごと


鳥居の横に三女神社の文字。

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そして由来書。

この中で『葦原の中国である宇佐島に

   ・・・宇佐島とは宇佐郡安心院・・・』とあります。


これが安心院の古代史の常識?


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額には『二女神社』となっています。

三女神社なのに二女神社とは?

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この石段を登って本殿に行きます。

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本殿に行く途中に『横穴墓』があり

ここから須恵器などが出土したそうです。


『横穴墓』は合計32基あるそうです。


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本殿までの途中に祠が1社。

きつねが祭られていましたのでお稲荷さんみたいです。

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石段を登り2つ目の鳥居があります。

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ここの額には『三女神』の文字

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3つ目の鳥居には

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三女神社の文字。

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やっと本殿が見えてきます。

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この石垣の上に本殿が祀られています。

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この山門をくぐると境内に入ります。

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こちらが拝殿。

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ここにも由来書があります。


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豪族、筑紫君等がこれら三女神をここに祀ったたようだ。

由来書は由来書であってそれ以上のものではない。


よってすべてを信じることは出来ないと思う。


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こちらは境内に祭られている貴船神社です。

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そしてこれが本殿。

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境内にはこのような石が建っています。

真ん中やや右側にある穴は杯状穴の様に見えます。


後の穴はゆがんだ穴でした。

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三柱石の看板があります。


『三女神天降りの遺跡と伝えられ

地上に突出すること二メートル余り

‘古来試みにこれを穿て石根を見んと欲すれば

宇宙闇然風雨至り大地震動してその声雷の如しと言う。

後人恐れて觸るものなし” と言い伝えられる。』

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こちらの囲った中には石が祀られている。

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その中にまた四角の石がある。

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皮籠石(カワゴイシ)というらしい。


『当社西約100mに皮籠石なる名の字あり

そこに皮籠大明神といわれる当社の末社があったが


明治初期玉垣内に移し祀られた。

奈良時代仁聞菩薩が三女神社に参拝し


ここに皮籠を下ろし前面の岸壁に仏像を刻んだ伝えられる。

また一説には神武天皇東征の時

この石に皮籠を置かれたとも伝えられる。』


と書かれている。

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本殿右に鳥居がある。

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額には英霊社とある。

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この祠は大東亜戦争の戦死者を祀っている。

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以上です。


この三女神社の建っている山は『虎ヶ岳』というそうです。

ここに残っている遺跡などを見ても分かるように


この付近は古代重要な地域だったようです。


そしてここ安心院盆地は縄文・弥生時代は

繁栄した場所であるかと思われます。


それにしても『二女神社』とは・・・。

では今日はここまでとします。



初めての人は参考までにどうぞ。

↓は三女神社その1です。

http://ameblo.jp/yesidomasuda/entry-10191985230.html

↓は三女神社遺跡群です。
http://ameblo.jp/yesidomasuda/entry-10193895783.html