船越神社

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この前、雲ひとつないとても気持ちの良い日だったので、旦那と少し出かけようかという事になりました。

欲しい物があったのですが、近くの100均は売り切れていたので、行ったことのない場所の100均を調べて姫路方面に行ってみることにしましたDASH!

その100均にお目当の物が売っていたので、用事は即終了。

それからどうしようはてなマークとなり、100均の駐車場で近くの神社を検索してみました。

そうすると、船越神社が出て来ました。
そして、そこに行くことに🏃

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少し小高い山の上にある神社⛩
着いてからネットで調べても祭神等何も分からないあせる

案内板の様なものがあり、よく見てみると
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史蹟(土器山・かわらけやま)
 永禄12年(1569)黒田官兵衛孝高は播州姫路城を攻略せんとする、竜野藩主赤松下野守政秀を迎え撃つために此処土器山に布陣した。時に官兵衛は24歳、正室幸圓“こうえん”は17歳のときのことである。
 龍野城を出た赤松軍勢は、龍野街道(古代山陽道)一路に青山桜峠にさしかかり、はるか東に望む姫路城を手中に治めんと意気を挙げ菅生川を渡りたむろした。
 官兵衛は元来御着城小寺政職の家臣にあらずといえども旗下に属せしかば其職を勤めんと、官兵衛の父職隆の立場や義理恩義をわきまえ、赤松政秀をむかへ打った。官兵衛の胸中では何より姫路城中で生まれ育った郷愁の念が深く刻み込まれていた。それ故に何が何でも姫路城は指一本も他人にふれさせたくなかった。此処土器山東方1里足らずに姫路城を控えその防戦。敵方より味方の不意を窺いて襲来り急に囲み込むという戦法が功じて勝利する。姫路の城をこよなく愛した官兵衛の功績を賛美して史蹟とする。



黒田官兵衛が合戦の時この山に陣を構えていたという事だったみたいです。
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旦那は大河ドラマをやる前から、黒田官兵衛が好きで、今日は黒田官兵衛関連で呼ばれたみたいです。

ここでたくさんの命を落とした方がいたので、感謝の祈りをして、ここに留まっている御霊が光りに還る様に祈りました。

とても気持ちのいい風がブワッと吹きました。

そして、帰ってからまたお風呂でじっくりと見てみるとお湯の中でも足が寒気の様にゾワゾワします。この感覚が多分留まっている御霊だと思いました。

銀?の龍が見えてきました。
龍がお手伝いをしてくれた様なビジョンが見えてきました。足のゾワゾワはおさまりました。

黒田官兵衛は青山合戦と呼ばれる戦をしています。青山は近くの場所なので、こんな場所がまだまだありそうです。調べて行ってみようと思います。

今日も読んでいただきまして、ありがとうございました。

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