第95話 破題僅両句(担当いしはら) | 野記読書会のブログ

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清朝末期に官僚を務めた人物が民国期になって、清朝時代に見聞した事を書いた『清代野記』の現代語訳。
毎週日曜日に4話づつ更新予定。
底本は張祖翼(坐観老人)撰『清代野記』(北京:中華書局,近代史料筆記叢刊,2007年)を使用。中華書局本の底本は1914年野乗捜輯社鉛印本。

破題僅両句

(破題は二句だけ)

河南の懐慶府河県に郝という姓の人物がおり、穀物屋で番頭をしていた。穀物屋の店主には息子がおり、お金で生員の資格を得ていた。郷試の年になり、また今度はお金で郷挙になりたいと思い、郝にお金を集めて省城に行き、替え玉受験をしてくれる人を探すよう命じた。郝自身もまた、その資金で監生の地位を買い、人に替え玉受験をしてくれるように頼んだ。

試験結果が発表されると、店主の息子は落第し、郝のほうはなんとは合格してしまった。そこでまたお金で二次試験の代理受験を頼んだ。自分自身では、よう試験場には入れなかった。三科の後、知県に抜擢され、江蘇に派遣された。かつて人に「私は破題[1] の作り方なんてさっぱりわかりません。破題がたったの二句だけだということすら知りませんでした。」と言っていた。そこに居合わせた人々は皆、単なる冗談だと思った。

光緒の丁酉年(1897)の江南の郷試で、郝は簾差[2] の役目を仰せつかった。大いに懼れて、夜中に病気と偽って郷里に帰ってしまい、これ以降職に戻ってくることは無かった。

これ は河出身の県令の竇甸膏が私に話してくれたことである。



[1]  詩や八股文などの文章を書く際に、本文の内容を簡潔に表した対句をはじめに書く。当時の知識人にとっては基本中の基本。

[2]  科挙の試験官。試験を監督する外簾差と答案の採点をする内簾差がある。