第五話 文宗の批答その一(担当いしはら) | 野記読書会のブログ

野記読書会のブログ

清朝末期に官僚を務めた人物が民国期になって、清朝時代に見聞した事を書いた『清代野記』の現代語訳。
毎週日曜日に4話づつ更新予定。
底本は張祖翼(坐観老人)撰『清代野記』(北京:中華書局,近代史料筆記叢刊,2007年)を使用。中華書局本の底本は1914年野乗捜輯社鉛印本。

咸豊の末年、天下は極度に腐敗し、ほとんど収拾のつかない状態であった。そのため文宗[1] は酒と女に溺れ自らを害した。当時、若い女優で朱蓮芬という者がいた、容貌は役者の中でもピカ一で、昆曲が上手で、歌声の優美で清らかなことこの上なく、さらに詩を作るのがうまく、楷書が上手であった。文宗は彼女を寵愛し、しじゅう彼女を宮中に呼び寄せた。陸御史という者がいて彼もまた彼女をひいきにしていた。彼女にしじゅう会うことが出来なくなったので、遂に文宗に直言し厳しく諫めた。経書を引用し、長々と数千言におよんだ。文宗はこれを見て大笑いし「陸都老爺がやきもちを焼いている。」と言い、手ずからその奏に対して「犬が噛んでいる骨を人に取り上げられたようなものだ、どうして恨まない訳があろうか。欽此。」 と返答を書き、罪に問わなかった。文宗はこのように風流で滑稽であった。わたしは丙子(1876)に都におり、合肥の龔引孫比部がの話を私に聞かせてくれた。龔もまた蓮芬をひいきにしていた。


[1] 咸豊帝