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会津を元気に! 侍プロジェクト さくら!

皆様

会津は、元気です!

鶴ヶ城の赤瓦のお色直しが終っていましたが、
震災の影響で、お披露目が遅くなっていましたが、
先日ライトアップも始まり、街に元気を与えてくれています!

徐々に通常の生活に近づいてきています。

しかし、例年の桜祭りは、震災の影響で中止と
なっていました。

でも、確かに自粛ムードが多いですが、本当に自粛することが
良いことなのでしょうか?

仲間と集う!お酒を飲む!笑う!音を出す!

そして、元気になる!

この自然の行為は、本当に全て自粛が必要なのでしょうか?
祭りなどは、1日限りの元気かもしれません。

でも、プラスのエネルギーは、次のことへの
エネルギーにもなります!

そこで、会津若松商工会議所青年部を中心として、
各民間団体が力を合わせて、さくら祭り!

侍プロジェクト さくら

を開催します。


元気な会津を日本中に発信したい。

避難されている方々と地域に元気を届けたい。

風評被害を払拭したい。

会津・福島・東北を元気にしたい。


そんな思いで開催します。

JC様、会議所女性会様、神輿連合会様会津酒造協同組合様、
企業やボランティアグループ、そして、京都府や京都洛北ロータリー倶楽部

また、仲間の掛川YEG様と多くの皆様の善意と元気が集まり開催します。
関係団体の皆様、本当にありがとうございます。

原発の関係で非難している大熊町様が役場ごと会津におります。
その方々もお呼びし、鶴ヶ城で桜、絆の鐘つき、神輿、よさこい、
絵ろうそくと様々なイベントや振る舞いなどを用意いたします。

このブログを見ている方、よろしかったらお越しください!

会津は、元気です!

と き 平成23年4月24日(日)午後2時~午後8時

ところ 鶴ヶ城本丸および周辺



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がんばろう日本!支え合おうYEG!地域に元気を!
                  会津若松YEG 拝


油隊 最終ミッション

皆様

最近更新が滞っており、すみませんでした。
年度切り替えで、本業が・・・・。

本業あっての活動!
何とか取り戻しましたので、更新を!

さて、4月17日に若松での遠征しての支援の
最後のミッションを行ってきました。

福島、宮城と回ってきましたが、岩手に
お伺いできていなかったので、最後の物資を持って、
市ではなく、支援が行き届きにくいと聞いている
町村を中心に回ってきました。

このブログを書いているのは、会長と思われている方が
多くいらっしゃいましたが、メンバーが書いています。

ので、直前会長の荒木からのメッセージが
ありますので、岩手の見てきた様子をお伝えします。

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全国の皆様 お世話になっております。
あの震災から一ヶ月以上が経過しました。
何やらあっという間の気がしますし、何ヶ月も経過した様な気もします。

被災地では沿岸部を除けば、物流もほぼ回復しライフラインは
余震の大きかった地域を除き回復するまでになりました。

震災以前とまでは言えませんがほぼ日常を取り戻しつつあります。
あの半月前までの混乱は何だったのだろうかと思うこの頃です。
もう 世間ではガソリンや日用品不足から来たパニックを
忘れてしまったかの様な平常の生活が戻っています。



しかし ほんの数週間前には「不安」という人間の「心の闇」を垣間見、
そしてモラルと理性の欠如をきたす人々の姿を目の当たりにしました。

今思えば その姿に滑稽ささえ感じてしまうのですが、
あの時の事を思い返すと鳥肌が立ちます。
決して「欲」から来る衝動ではなく、「不安」から来る衝動。
その「不安」という魔物は東日本を約20日間にわたって覆い尽くしました。

通常であればガソリンタンクに半分の燃料が入っていれば
さしあたってそれ程の不安は感じないはずです。
しかし あの時は「もう半分しかない」の心理でした。

普段なら 冷蔵庫に3~4日分の食料品が入っていて、
米びつには半分お米があればそれで足りていたはずですが、
冷蔵庫は満杯にしカップ麺にレトルト、お米は30キロ一袋が
あっても満ち足りない人々。


さらにトイレットペーパーは手に入るだけ、水はケース買い、
あっという間にスーパーから品物が消えました。


ガソリンを10リッター入れるのに半日行列し、
それでも足りずに遠方までガソリンを消費し給油に行く、
まだタンクには半分残っているのにも関わらず。

通常であれば十分に流通するはずの油の生産量に達しても
しばらくは油不足が解消されなかった。
日本中の車のガソリンタンクと灯油缶が満タンになり、
各家庭の冷蔵庫が満杯になるまで「魔物」は居座り続けました。

ライフラインの破壊された都市部はパニックを引き起こし
、その脆弱さをすぐにさらけ出した。
電気ひとつ取ってみてもそれは分かる、停電が起きれば
給水ポンプが不動で断水、ガスも同じ状態、
ファンヒーターは灯油があっても使用できない。

重宝された反射式ストーブ、鍋用のカセットコンロで暖を取る家庭、
みるみる溜まって行く汚物、月の光が明るいと感じる人々。
蛇口をひねればジャージャー出ていた水を、
名水百選の物でもないのに行列してポリタンクに汲んだ日々。


津波の被害を免れた地域でもこれらの事が起きました。
人の心理とは恐ろしいと感じました。
「魔物」が去って行くのもあっという間でした。
それぞれが「持てるものを 持てるだけ持った」瞬間に消え失せました。

しかし その「魔物」は、本当に必要としている人々に
物資を行き渡らせる事に関して非常な障害になりました。
「被災者頑張れ」と声高に叫びつつスーパーでカート山積みの買い物をし、
タンク満タンにならなければ満ち足りなかった人々。

しまいには高速道路に上がってきて支援便の車両を
ガス欠にさせてしまうモンスター達。


物資面で行政の人災が起こったのは周知の事実ですが、
我々の一般生活でもこれらの人災が引き起こされていました。



沿岸部の避難所ではしっかりとモラルが守られ、助け合い、
協力し合い、いたわり合いがあった事は幸いでした。
それでも ごく一部の不心得者がいたのは否定できません、
我々もトラックの燃料タンクを壊され油を抜かれる被害にあったりしました。

泥にまみれた紙幣を束で持っている中高生を見たり、
タバコを密売している姿、灯油一缶8,000円で売られている現場も見ました。
しかし あの極限状態でそれは考えられないほど少数でした。
東北人の気質を誇りに感じます。

前置きが長くなりました。
そんな状況で 我々会津若松YEG物資補給隊通称「油隊」は
現在まで走破距離6,500km、補給ピンポイント延べ26箇所、
輸送物資約120t、燃料類21,000リッターを運搬してきました。

初動の物資補給の役割はとうに終えていますが、
今現在の実際の被災地の状況を把握する目的で、
先週末にラストミッションとして岩手県北部へと補給に行ってきました。

今まで被災地を広く回りましたが今回岩手北部には初めて入りました。
久慈から45号線を南下し釜石までのルートを経てきました。
物流は回復してはいますが万が一の事を考え 
今回も「完全自立式」の装備で臨みましたが、
結果不必要な装備を多く持参してしまいました。

今までのキャラバン時に一番頭を悩ませていたのが
「燃料」でしたが、今回は全く不自由を感じませんでした。
逆に積んでいったドラム缶からの給油で余計な手間をかけた結果になりました。

食事も自前の糧食を用意し、発電機&電子レンジ、
カセットコンロで摂っていましたが、今回は使用しませんでした。

今までのキャラバンでは被災地のお店が開いていても
そこで買い物や食事を取ることを控えていましたが、
今回は逆にそこでお金を落とすことが良い事だと判断しました。
それほどまでに確実に物流が回復していました。



久慈では港近辺が着々と片付けられ始めていて瓦礫は整然と積み上げられ、
造船所が立て直され始めていたのが印象的でした。
よくマスコミに報道された国家石油備蓄基地は
まだ手付かずの状態で警備員が立ち封鎖されていました。

今回のキャラバンで気が付いた特徴でもありますが
「被災地観光」の人々が多く出ていたのがやけに目に付きました。

残骸をバックにポーズを取り記念写真を撮る人々の多いのには驚きます。

それでも良いのかもしれません、どんな目的にせよ
外貨を落としてくれる人がいるのは経済的な観点から見ればありでしょう。

市街地ではお店がかなりの店舗数で営業しています、確実に復興の足音を聞くことが出来ました。


陸中野田、野田玉川と小さな村落にはやはり人気がありません、
沿岸部は破壊しつくされて内陸部に避難をしています。
マスコミに多く登場した譜代村では避難所には人が
いなくなっていました、集団でよそに避難をしたという事を地元の方から聞きました。


田老ではグリーンピアにそこそこの人が避難をしていました、
避難所のアリーナでは埼玉県から来たボランティア団体が
無料バザーを行っており、衣服や靴などを並べていました。

しかし 物資は豊富なようでそれほど盛況な様子では
ありませんでした。
実際に集積所の状態を見せていただきましたが
体育館に山積みの物資がありました。
手厚く物資支援が行われている様子が見受けられ安心しました。


宮古市の街中ではかなり瓦礫の片付けが進んでおり
復旧の兆しが感じられました。
しかし ライフラインはまだ回復しておらず、
駅を境に左右で街中の印象がかなり変わります。

街の片方では大型スーパーが開店しており買い物袋に
ネギや大根を入れた主婦が普通に歩いていますが、
片方は信号も点いておらずほとんど人気が無い状態です。

テレビに良く登場していた、水に浸かった服を洗って
安く販売している洋服屋さんも元気に営業していて
沢山のお客さんが買い物をしていました。

宮古でもしっかりと復興の足音を聞いてきました。

ガス爆発で大きな被害を出した山田町
酷い有様で一面焼け野原になっていました。
いまだに自衛隊の姿が多く見受けられ、
片付けはまだ先の話のようです。
物資は手厚く来ていると地元の「社協」の職員は言っていました。
火災を免れた在宅被災者の生活はどうなのだろうかと感じましたが、
情報不足で我々では補給の場所や手段が分からず通過せざる得ませんでした。

大槌町には前もって情報収集をしており、
在宅被災者がかなり難儀をしているという話を
繋がりのあるボランティア団体から聞いていました。

本当に街中が海岸に面した中規模の街でまさに壊滅状態でした。

震災初動時に町民1万人の安否が不明と
伝えられたのもうなずけました。
街中はどこもかしこも津波でやられており、
高台にあるわずかな住宅地が残っている有様です。

ここでは自衛隊がサーカスなどで見られる
特大のテントを張り補給所を形成していました。
完全に街の機能は失われ支援物資に100%依存を
している生活が続いています。

買い物は車で釜石まで出かけなければ何も購入できません。

町中が流されていますから車も当然流されており、
そうとう難儀をしているのは確実です。
今回持参した物資の残り全てをここに補給することに決めました。

レトルト、缶詰、カップ麺、菓子、飲料水など食料品を4tトラック一台分、野菜果物類をハイエース一台分、衣類、靴、オムツ、粉ミルク、衛生用品を2tパネルトラック一台分、米1.5t。

かなりの量をラストミッションということもありそろえてきました。
米の内500キロは北大阪YEGからいただいた物です。

県の払い下げ物資、単会独自に集めた物資、YEG物資の残り、
相談役に用意していただいた野菜類、全てを今回はもって来ました。

大槌町の中で○○町という約180世帯の住む地区があり、
そこは町内の70%が水に浸かりはしたが流されてはいない地区で、
在宅避難者の多い所です。

ちょうどこの日に大部分のライフラインが復旧し
避難所から大勢の人々が帰ってきた日でした。
自治会館に伺い支援物資補給の旨お話したところ
町内会長さんに初めは断られました。

無理もありません
いきなりどこの誰かも分からないヒゲ面のおっさんが
トラック4台分の物資をあげる」と申し出たのですから(笑)

「自衛隊が細々と補給をしてくれているだけの集落に
そんな夢のような話がある分けない、お前ら何者だ?」


「後で代金請求するんじゃないだろうな?」

分かっていただけるまで数分かかりました。

しかし 商工会議所の支援物資と話が分かっても渋い顔をされました。
理由は「公平に分配する能力が自分たちには無い」といったことでした。
今までも支援物資の分配に関して何らかのトラブルが発生していたのでしょう。
「あの人はもらったのに、自分はもらっていない」といったことで
揉め事が起こるのは困るということです。
そこで 我々の手で直接手渡しする事にしました。
初めてとる手法でした。

持参した拡声器で町内中を回り、中央広場で配布をすると広報して回りました。

最初の内 町内の住人は「胡散臭いヤツが来た、新手の詐欺か」といった反応でした(笑)
全く信用されませんでした。
しかし あっという間に広場には人が押しかけ
配布するのにパニック状態になってしまいました。

この手の補給手法は初めてでしたし、
想定もしていなかったので対応に苦慮しました。

身の危険を感じるほどの狂乱状態となってしまいました。
十分に経験を積んでいると思っていたのに
集団の切迫した心理を甘く見ていました。
事態を収拾するのに拡声器を使い一括するしかありませんでした。

「あんたらいいかげんにしろ!俺たちも福島県の被災地から来てるんだ!同じ被災者同士だぞ」

「仲間同士で取り合いやってどうするんだ、自分さえ良ければいいのか!」

「近所に体の不自由なお年寄りとかいるだろ、その人たちの事を考えてやれよ」

「今 キャベツ1ケース持って行ったあんた!今すぐ返せ!一人1個だ」


べらんめえ で仕切りはじめてやっと落ち着き始めました。

トラブルはあったもののなんとか無事に配布を終わることが出来ました。
色々な人がいました、「私はこれだけでいいから、他の人にあげて」
という人もいれば、平然とケース単位で持ち去る人もいました。

良い事をしたはずなのですが、後味の悪い思いを感じました。

あのような配布の状況を作らなければ、
ケース単位で持ち去る人も出なかっただろうし、
そんな心理も働かなかったと思います。

今後 あの集落で
「あいつはあの時に一人で物をいっぱい持っていったんだ。
あいつはろくなヤツじゃない」
などと後ろ指を差される人が出ない事を祈るだけです。

おそらく 今回のようなケースは
もっと大きな規模の集団の中で行っていれば起こらなかったと考えられます。

隔絶された数百人規模で切迫した状態から生まれた事だったと思います。
ラストミッションで大きな失敗をしでかしてしまいました。 
これに懲りて調子に乗って行き当たりばったりの手法をとるのは
今後慎みたいと思います。

それでも 確実なのはその集落が、その日は自宅で温かいご飯を
全員が食べられたことです、野菜も食卓に乗ったことでしょう。

しかし 我々がやったことなど焼け石に水で
ただの自己満足に過ぎないかもしれません。

無理に補給をしなくても、今ではしっかりと最低限の物資は
どこの地区にも行き渡っており、半月前のように「飢える」という状況は
脱しているのは確実だからです。

今まで何度も報道やネットの情報に振り回され現実との相違を経験してきました。

そして自分の目で見て肌で感じた事しか信用しなくなりました。

今回のフィールドワークではっきりと分かりました、
飢えている被災者はごく一部を除きいません。
やっと システムが末端まで機能し始めました、
震災から一ヶ月強の月日が流れてです。

近代国家であるはずの日本という国においてそれは遅かったのか?

近代国家だからこそこれくらいの月日でなされる事が可能だったのか?


どちらなのかは分かりません。
いまやっと国中が次のフェーズに移ったのは確実です。

そして「油隊」の役割も終わりました。
これからは地域ごとに自分たちの町の復興を考える時です。

会長としての書き込みもこれで最後になります。

直前会長としてあと2年は青年部に在籍を致しますので
これまで通りよろしくお願いいたします。

また 佐藤有史新会長をよろしくお願い申し上げます。

全国の皆様 本当にお世話になりました、ありがとうございました。

この1ヶ月すばらしい経験をさせていただきました。

YEGネットワークのすばらしさ 一生忘れません!

頑張ろう日本! 
  頑張ろう東北!
    頑張ろう福島!
 
 頑張ってます会津!

会津若松商工会議所
青年部直前会長  荒木孝康


三角形の良い形! 炊き出し募金を募集!

皆様

先日、オペレーション地産地商を掲載したところ、多くの方から
前向きな意見をいただきました。ありがとうございます。

煮詰まっていない状況でしたが、
やらなければという思いを強くしました。

オペレーション地産地商は、
経済循環を通して、商売の活性、雇用の促進、
被災者に対して今出来ることを行うことを目的としています。

いろいろな方法があると思います。

被災地では、多くの課題がありますが、
2つを解決することができます。

被災者:
 ・おにぎりとスープばかりで栄養バランスが悪い。
 ・冷たい食事が多い。
 ・雇用の不安がある。あるいは、少しでも仕事をしたい。

被災地の経済(会社等):
 ・経済循環がとまっている、あるいは非常に滞っている。
 ・飲食店は、自粛ムードでお客様が来ない。
  結果、休業あるいは、従業員を休ませている。
 ・福島限定の内容で、地元の野菜が風評被害で売れない
  →業者、農家全てに大打撃!


この現状を踏まえて、まず会津若松で、以下の通り
考えましたので、ご協力いただける
ところがありましたら、ご連絡ください。

炊き出し募金
「がんばれ」を、「おいしい」に変えて届けよう!

募金は、10万円で、約200~300食の炊き出しを
地元の業者と、地元の野菜・肉を使って、炊き出してきます。

※現在、原価と炊きだせる数量は、計算しています。
 概ね、200食~300食は出せると考えています。

支援のイメージ図
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これは、以下の3つを解決する支援方法です。

支援をする側:
・何かをしたいが、必要な物資がわからない、
 物資の次の支援方法がわからないが解決できる! 
顔が見える支援ができる!

募金を運用して炊き出しをする側:
・地元の食を通した流通・商流がまわる!
・地元で消費が行え、関連する飲食店、会社が
 仕事を行える!
・住民の雇用が生まれる!
・地元のボランティアが、炊き出し以外の
 ボランティア活動が行える!

被災者:
温かくて美味しい食事が取れる!
栄養バランスが良くなる!

炊き出し募金に協力していただける方への約束
・地元の飲食店に調理をお願いをします!
・パートさんなどに、しっかり給料を払います!
・最低限の利益(適正利益)を取ります!
・地元の食材を、地元の業者を通して仕入れます!
 福島産であるものを出来る限り揃えます!
・温かく、美味しい食事を提供します!
・届けたときの様子を掲載します。
・この仕組みを他の地域に積極的に伝えます!

ご賛同いただける方・団体様は、以下からご連絡ください。

・本ブログのコメント欄・メッセージ欄などでも構いません。
・当青年部の佐藤会長あるいは、荒木直前会長へご連絡ください。

あるいは、当青年部の事務局へご連絡下さい。
http://www.aizu-cci.or.jp/yeg/
折り返し、青年部メンバーより連絡させていただきます。

まだ、仕組みを作りながらになりますので、
皆様方からもご協力を得ながらになると思います。

会津若松には、原発避難者と、大熊町が行政機能も含めて
避難されています。

大熊町
http://blog-okuma.jugem.jp/

長期の仮設住宅などに入るまでは、このような
形で支援をしていければと思っています。

手探りのところも多くありますが、まずは、行動
被災者支援・経済振興の両輪をまわせるようにしたいと思います。

がんばろう日本!支え合おうYEG!地域に元気を!
                  ブログ執筆者 拝
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