このブログも、とうとう最終回を迎えることができました。

それは、私がこのブログに頼らなくても、生きることができるようになったことを意味します。

最後に何を書けば良いか悩みましたが、「あなたへ」という手紙の形で、綴っていくことに決めました。

それでは、始めます。

これまで私を支えてくださった全ての方々に感謝します。

ありがとうございました。

 

 

~~~

 

あなたへ

 

別の世界であなたが生きているとして。

そこでもし、私と違う人と出会い、幸せに暮らしていたとすれば。

それはそれで、最初はそのことにビックリするでしょう。

でも、次に思うのは、あなたが幸せに暮らしていて良かった、安心したと思う気がします。

あなたが私と離れた世界で、私とは違う人と幸せを感じていたとしても、愛した人が幸せに生きているという事実は、素直に嬉しいからです。私が、あなたが、お互いを愛していた事実は変わらないから。お互いの幸せを、自分の幸せと感じることができる関係だったから。

 

だから、おそらくあなたも、同じことを思ってくれているだろうと考えたくなります。

「ゆうちゃん、大好きだよ。だから、幸せになってね。はるちゃんをよろしくね。」

ある日、あなたの声が聞こえてきました。もちろん、私の頭で作り上げた声です。でも、声の調子や言い方は、久しぶりに聞いた、聞き慣れたあなたの優しい声でした。

 

私は、溢れる涙を止められませんでした。

「チロ、ありがとう。大好きだよ。」

一生懸命あなたに伝えましたが、あなたからの声はもう返ってきませんでした。

 

私は、今もあなたのことが大好きです。

あなたがいなくなったその日から、あなたを思い出さなかった日は一度もありません。

ただ、あなたを思い出すたびに、私は思うのです。

「私は、あなたを救えなかった。」

「あなたがいない世界が、寂しい。」

「もう一度、あなたに会いたい。」

私が思い出すあなたの姿には、必ず悲しさがともにありました。

でも、それが本当の私達の姿だったでしょうか?

けんかもしたね。泣いたこともあったね。分からないこともあったかもしれないね。

でも、それを一緒になって乗り越えてきたよね。

そして、乗り越えた先には、笑顔があったよね。

何より、二人はいつも笑っていたよね。いつも幸せだったよね。

 

これから先も、私はあなたを感じながら生きていくでしょう。

そのときに、もう悲しいことと一緒にあなたを思い出したくはないのです。

思い出すなら、あなたの笑顔を思い出したい。

そして、あなたの笑顔を糧にして、これからを生きていきたい。

そのために、私はもう一度、自分自身の幸せを大事にすることに決めました。

 

 

 

今、私は、とても大切な、愛する人がいます。

その人は、とってもとっても、優しい人です。

その人は、あなたのように、私を一番に考えてくれる人です。

だから私も、その人を一番に考え、支え、愛しながら幸せに生きていきたい。

 

そして、はるちゃんも、その人を好きになってほしい。

心から好きになってもらえるように、私は、その人と一緒にいることが幸せだということを、自分の立ち居振る舞いで示していきたい。

 

 

 

でも、あなたは分かっているよね。

私が、強い人間じゃないことを。

 

自分が弱い人間だからこそ、私は、愛するその人に支えてもらいながら、前に進みます。

決して後ろ向きにならず、私達はあなたの分まで幸せに生き続けると誓い、新しい人生を歩んでいきます。

 

 

 

あなたに出会えたこと、

あなたと生きることができたこと、

とても幸せでした。

 

 

 

これからの私を、私達を、応援してね。

 

 

ママ、ありがとう。

 

 

 

20171017日火曜日(23:02

~おしまい~

はるちゃんへ

 

今、パパがはるちゃんに伝えたいことを書くね。

 

一つ目。

「生まれてきてくれて、ありがとう」。

はるちゃんは、パパやママ、おじいちゃん、おばあちゃん、家族みんなの願いで、この世界に生まれてきました。本当に生まれてきてくれて、ありがとう。

 

二つ目。

「大好きだよ」。

笑ってるときも、泣いているときも、怒っているときも、はるちゃんの全てが大好きです。これまでも、これからもずっと、ずっと、大好きだよ。

 

三つ目。

「パパは、ずっとはるちゃんの味方だよ」。

この先、どんなことがあっても、パパはずっとはるちゃんの味方だよ。だから、はるちゃんのやりたいことを、こう生きたいと決めたことを、おもいっきりやってください。

 

 

天国にいるママも、同じことを想ってるよ。

「はるちゃん、生まれてきてくれてありがとう。」

「はるちゃんのこと、ママが一番大好きだよ。」

「ママは、ずっとずっとはるちゃんの味方だよ。」

 

 

これから先、はるちゃんが何を考え、どう生きていくか、パパはすごく楽しみです。

パパも、将来、はるちゃんに「私の親のような父になりたい。」と言われるように、これからも生きていきたいです。

 

冒険は始まったばかり。まだまだ続いていきます。

これからも、よろしくね!

季節の変わり目。

過ごしやすい夜もあれば、そうでない日もあります。

先日、過ごしにくい夜のこと。息子は、日中ずっと外にいたために、ずいぶん虫に刺されました。寝る前に薬を塗って、昼寝もしていなかったので、すぐ夢の中へ…。

深夜1時頃。息子の変化に気づいて目を覚ましました。寝づらそうだったので、少し部屋を涼しくして、トントンと落ち着かせます。

それでも、なかなか熟睡できない様子。しばらく見ていると、虫に刺されたところを気にするように手で触っています。かゆいんだろうと思い、かゆみ止めを塗りました。

すると、最初はビックリしたのかビクッ!と体が動きましたが、すぐにかゆみが引いたのか手で触ることがなくなり、動きも落ち着きました。

そして、ニコッと笑い、そのままスヤスヤと6時を過ぎるまで一度も起きずに寝ていました。

 

起きているときに「薬を塗って」と言って塗ることは、私でなくてもできます。

でも、息子が寝ている中で、しかも泣いてもいない状況で、今息子が何を求めるかに気付けるのは、私が父親だからなんだなと思いました。

もちろん、今回の状況は、行動とその背景を読み解くのは決して難しくないので、私以外でもできると思います。でも、全員ができる訳ではありません。

また、親だからと言って、息子の全てを理解できている訳でもありません、今回は分かりましたが、どうしてその行動が発現しているのか、迷うときはたくさんあります。

 

それでも、息子の一番の理解者でいたいことに変わりはありません。

 

この先いろいろなことがあっても、君の一番近くで、君が自ら人生を歩み始めるまで、ずっと支えていきたい。

 

私と息子、人生の「旅の仲間(田子亜木子・中野尚彦,2015)」として、これからも「冒険(田子・中野,2015)」を楽しみながら生きていきます。

 

引用文献

田子亜木子・中野尚彦(2015)育児日記が語る赤ちゃん心理学1,川島書店.

新しい命を預かり、大切な人を失ってから5年。

 

今、自分の心の中で、大きな大きなテーマに直面しています。

それは…

「もう一度、人を愛してもいいですか。」

 

これまで触れずにいた、ずっと心に閉まっていた感情が、今、扉を開けて出てこようとしています。

 

前回のブログを書いたときから、そのような気持ちが出てきていたと思います。一緒に過ごした時間が楽しいと思える人と出会ったからです。

ただ、そのときは、「人を愛する」までは考えていませんでした。

※参考:「そろそろ」

 

先日のこと、自分にとって身近な家族に新しい命が生まれました。

その赤ちゃんを、息子も抱っこさせてもらいました。

「息子に、お兄ちゃんになってほしい。」

赤ちゃんを緊張しながらも微笑みながら抱っこする息子を見て、私はそう思いました。

 

そして、今度は私が抱っこさせてもらいました。

そのときの自分の気持ちを、今でも忘れられません。

「もう一度、新しい命を授かりたい。」

 

自分の命と引き換えに新しい命をこの世に残し、旅立った妻。

妻の無念を考えると、私自身の命と引き換えにしても、妻に戻ってきてほしいと思ってこれまで生きてきた自分。

そして、息子の父親でありたいと思い、これまで必死に必死に生きてきたこと。

そのようなことから、自分はもう人を愛するということは「しないんだ」とこれまで生活してきましたが、それは、「しないように」自分に言い聞かせてきたんだと思いました。

 

それが、ここ最近の変化で、人を愛する素晴らしさを思い出し、もう一度「人を愛したい」という気持ちが湧き上がってきました。そして今、その気持ちを自分でどう調整したら良いか分からなくなっています。

 

でも、人間なんだから、「人に憑く」のは、当たり前なんですよね。

冷静に考えてみると、今の自分の方が人間らしいと思います。

 

今後については、全くの未定です。

解決しなければいけないことも、たくさんあります。

でも、まずは、自分の気持ちをそのまま受け入れることにします。

「生きたくても生きられなかった人の分まで、今生きている自分がこの世界で思いっきり幸せに生きる」と考えるまでには至っていませんが、そう思って生きられるようになったら、また新しい世界が待っているような気がします。

2017年8月18日金曜日の夕方。

誰もいない喫茶店で、ハーブティを飲みながら、久しぶりにブログを書いています。

別にそういうことが趣味という訳ではなく、たまたま雨が激しく降ってきて、空いていると予想して入った喫茶店に結果的にお客さんが一人もいなかったというだけの話です。

ハーブティを選んだのも、せっかくだからコーヒー以外でと思っただけなんです。

そして、今ブログを書きながら懐かしいある歌手(女性)の曲が流れています。なかなか良い雰囲気です。元気が出ます。

 

 

本題です。

 

このブログを始めたのは、2012年7月1日でした。

ママが旅立って、2週間が過ぎたあたりです。

あの頃は、悲しみを抑えに抑え、ただ、息子を育てることを自分の全てと思っていた頃でした。その覚悟のようなものを、外にも発信したかったと思ってブログを書いたと思います。

外に発信したいと言いましたが、ブログを書き続けた理由を改めて考えると、結局は自分のためのものでした。

自分がどんなときに何を考えたか、どう行動したか、どう生きたかを綴ることを目的にこれまで続けてきました。

特に、どう生きたかについては、そのときに振り返るというよりは、子育てを終え、あの頃の自分を思い出すようなもっと先のこととして考えていました。

 

時間を今に戻すと、今、子育ての真っ最中です。

息子はまだ5歳。

一人で生きていけるようなるまでには、まだまだ時間が必要です。

子育てはまだまだ続きます。

 

ここで、ブログとともに5年を過ごしてきた中で、これまで大変だと思ってきた「子育て」というものは、言い換えると「私が背負っていたもの」と解釈できることに、少しずつ気付きました。

それは、私が負ってきたものです。

・子どもを育てる

・仕事を続ける

・仕事と育児を両立する

・子どもに父子家庭だと理解してもらう

・子どもに自分の母を肯定的に捉えてもらう

・家族と子どものバランスを取る

・周りに自分達の状況を理解してもらう

・自分が子どものことをしっかり決めて判断する

・自分がしっかり生きる

・子どもに自分のことを好きになってもらう

・最愛の妻を失った現実と向き合う

などなど。

思い出しきれない多くのものを背負っていたのだと思います。

 

それを、5年かけてちょっとずつ下ろしてきました。

まだまだ、下ろせないものもあります。

「下ろした」のではなく、「下ろした気分になってきた」だけかもしれません。

しかし、自分の気持ちが2012年と変わって来たのは事実です。

だいぶ、生きやすいようになってきました。

 

それを表すかのように、最近は、ブログの更新も減りました。

 

ブログの更新の頻度と、自分の負っているものは関係があったのかもしれません。

 

 

これまでの5年を振り返り、これから先、どう生きていくか。

自分の気持ちを整理する上でも、このブログを完結させようとする気持ちが高まってきました。

 

そろそろ、完結を迎えそうです。

 

結論はもう少し考えてから出します。

 

 

昨日途中で終わってしまい、次の日になっての更新となりました。

子どもの夏休みの最後の土日です。

これから、出かけます。

 

さあ、出発。