昨日、僕は電車に乗り遅れました。その理由は、終点についても酔っていて起きなかった僕を、周りの人が誰一人として起こすことなく降りていったからです。気がついたら僕はたった一人で車両に残され、藤沢連絡の片瀬江ノ島行きのドアが目の前で閉まりました。学生時代には同様の状況で折り返し、六会日大前まで行ったこともあります。世知辛い世の中です。一言声をかけてくれるだけでいいのに。


そんな体験からふとコミュニケーション不足とコミュニティの危機というテーマを考えてみました。


新自由主義の下で人々は自分の欲求のことばかり考えるようになりました。すると人々から間主観性やリフレクシヴィティ(再帰性、反省性)が失われていきます。間主観性とは他人の喜びや痛みを自分に変換することであり、リフレクシヴィティ(再帰性、反省性)とは自分の欲求を外から眺めて相対化することです。インターネットの掲示板などでは、匿名性をいいことに相手の気持ちを考えない言葉や自分勝手な要求などが氾濫しています。コミュニケーション不足について卑近な例を挙げると、外食しようと店に行くと、食券形式が多くなっていたりします。客は店に入ってから店を出るまで一言も発する必要はありません。

このようなコミュニケーション力の低下は特に都市において、孤立化・セキュリティ意識の過剰化・ゲーテッドコミュニティなどの特徴として現れます。日本では特にそれが顕著です。国民生活白書によれば、「地域から孤立している」と感じている人が5人に1人。内閣府の調査では地域とのつながりが弱いと考えている人の割合が52%。そしてOECDの調査では、「日本人男性は世界で一番孤独。」「友人付き合いやサークル活動はほとんどない。」とされています。


人々の共同性や連帯意識が希薄になるにつれ、個人のアイデンティティが失われていきます。今や社会の各領域にわたって「私とは何か」「自己とは何か」が非常にわかりにくくなっており、その不安を外部からの評価によってさしあたり穴埋めしようとする欲望が顕著になっています。他者を鏡にしなければ、自分の存在を確認できないのです。現代では社会システムによりよく組み込まれるための自己を形成する技術が要求されます。カウンセリング、サイコセラピー、メンタルクリニックなどの専門技術はその例です。


このような現代におけるコミュニティの危機を考えるてがかりとして、「公共性」とはなにかということを考えてみます。

公共性といえばハーバマスの市民的公共圏の議論です。ハーバマスは、近代におけるサロンなど、ブルジョワ階級が自由に議論を交わすような場を市民的公共圏と呼びました。そして公共性を考えるときには、どのようにコミュニケーションがとられたかというプロセスが大事であると主張しました。しかし、彼によれば現代は権力・貨幣を中心とする「システム世界」が言語を中心とする「生活世界」を侵略した結果、コミュニケーションが無くなってしまったといいます。市民が積極的に活動し政治に働きかけるには、生活世界におけるコミュニケーション的行為を媒介として、国家、市場、市民間でコミュニケーションをとることが大切であるとハーバマスは考えます。

ところで、「公共性」の意味は、斉藤純一氏の『公共性』によれば以下の3つがあげられます。すなわち①国家に関係する公的なもの、②特定の誰かにではなく全ての人々に共通のもの、③誰に対しても開かれているものです。しかし、①は形式的意味に過ぎず、②③の実質的意味の公共性こそが大切です。ハーバマスの議論を参考にすれば、②③を達成するにはアクター間のコミュニケーションが非常に重要です。


また、公共性を考える上では、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)という概念も重要ではないでしょうか。ロバート・D・パットナムによると、ソーシャルキャピタルは「人々の行動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴。」と定義されます。簡単に解釈すると「人と人との結びつきを基盤とした協調的行動によって共通の問題を解決していこう」という考えです。ここで最も重要なのは、信頼に裏打ちされた社会的つながり、あるいは豊かな人間関係です。実際にソーシャルキャピタル指数の高い地域では①犯罪発生率が低い②合計特殊出生率が高い③失業率が低いなどの調査結果がでています。


人々のつながりのあるコミュニティの再生のためには、「公共」というものを意識しつつ、人々のコミュニケーションを増やし、ソーシャルキャピタル(絆)を醸成することが大事でしょう。そのためには鳩山総理が打ち出した「新しい公共」の概念のように、政府は一アクターとして相対化され、企業・学校・NPO、市民団体といったアクター全てで公共を担っていく必要があります。有償ボランティアやアトム通過のような地域通貨も検討する価値がありそうです



小難しい話にしてしまいましたが、とにかく終点で起こして欲しい。ただそれだけなんです。