荊原 権八地蔵 平井権八その1 | ご近所の神社訪問記

ご近所の神社訪問記

近場の神社や、気になる神社の紹介です。
神社のいわれ、神様やそこに住んでいた昔の人などに思いを馳せてみます。たまに岩や石のことも紹介します。


荊原権八延命地蔵


所在地

埼玉県鴻巣市荊原(ばらはら)


補足

「権八地蔵とその物語」
 権八は、姓を平井といい鳥取藩士であったが、同僚を殺害したため脱藩し江戸へ逃れた。その途中金に困り、久下の長土手で絹商人を殺害し大金を奪い取った。
  あたりを見廻すと地蔵様を祀った祠があった。
 良心が咎め己の罪の深さに、いくばくかの賽銭をあげて「今、私が犯した悪行を見ていたようですが、どうか見逃してください。また、誰にも言わないでください。」と手を合わせると、地蔵が「吾れは言わぬが汝言うな。」と口をきいたと伝えられている。
 この話から、この地蔵は「物言い地蔵」と呼ばれるようになった。権八はその後捕えられ、延宝八年(延宝七年とも)に鈴ヶ森の刑場(東京都品川区南大井)で磔の刑に処された。(案内板より)


権八1
 
荒川土手の下。


権八2

中には、口をきいたとされるお地蔵様

権八3


一言
荊原には「権八地蔵」という、モノを言うお地蔵様がいらっしゃいます。
実は「権八地蔵」は久下や勝願寺にもあるそうなのですが、物語の内容は同じです。

平井権八は鳥取藩士ということで、以前から気になっていました。
浄瑠璃や歌舞伎では白井権八のモデルとなり、とても有名な方のようです。
実在の人物、とはあるのですが、本当に物語のようなことがあったのでしょうか。
考えてみました。

ウィキによりますと、事件は数え年の18才のとき起こったようです。
原因はさておき、とにかくカッとなって同僚を斬ってしまったらしい。
そこで冷静になって自首すべきところ、逃げてしまった。
江戸へ。

鳥取から江戸へ?
17才の男子が一人で?
通行手形も持たずに?

と、ここが大いに疑問です。

関所を通らずに山越えをしながら江戸まで行く・・。
しかも武士の恰好で・・。

無理じゃない?

・・もう物語はここで行き詰ってしまい、その後も矛盾点が盛りだくさんです。

物語には、最期に小紫という女性が、権八の墓の前で後追い自殺をした、とあります。
吉原で働いていた方のようです。

・・吉原って、確か逃亡防止の為、厳しく外出禁止だったのでは?

なんだかいろいろと創作された気がする権八という方が、可哀そうになってきました。
物語が先行して名所も生まれ、二人のお墓もあるそうです。
鳥取県人の名誉の為にも、ちょっと違うんじゃない?と声を大にして言いたいです。

『日本書紀』なども、日本の正史として、広く民衆に浸透してきた時期があります。
物語の内容に「そうじゃないのに・・」と快く思っていない神様もいらっしゃるかもしれません。

しかし今では、藤原が権威付けの為に創作したものだと多くの人が知っています。

世の中の流れや傾向がそうであっても、鵜呑みにしないで、自分の頭で検証し、考えてみる。

これは大事だと思います。