ご近所の神社訪問記

近場の神社や、気になる神社の紹介です。
神社のいわれ、神様やそこに住んでいた昔の人などに思いを馳せてみます。たまに岩や石のことも紹介します。


テーマ:
虫井(むしい)神社

所在地

鳥取県八頭郡智頭町大呂967

祭神
瀬織津姫命、須佐之男命、速秋津姫命。天之御中主命・大山祇命を合祀

氏神
三瀧大明神(蔵王権現) 荒海大明神 妙見大菩薩(妙見社)

補足
虫井神社ハ其昔遠ク人皇第十二代景行天皇ノ御宇人文未ダ聞ケズ皇威八荒二輝キ初ムルヤ此地ニ在リテ因幡国ヲ統治セル当神社三人ノ御兄弟(荒海、都々良麻、里人)ハ率先シテ皇化ニ浴シ部下住民ヲシテ皇室ニ忠良ナル臣民タラシメ皇其ノ振起ニ效シ爾来千八百年地方ノ氏神トシテ遠近ノ崇拝厚ク古クハ三代実録所載元慶七年因幡国正六位上虫井ノ神ニ従五位下を授クトアリ・・・(神社御由緒より)

ご近所の神社訪問記-虫井1
虫井神社の由緒書き。


ご近所の神社訪問記-虫井2
山形郷16ヵ村の総氏神で、郡中の大社です。


ご近所の神社訪問記-虫井3
周りと調和した、落ち着いた雰囲気。


ひと言
古市神社の神様がマムシを追放したという、大呂山とはどこか。
最初は古市から南東に3キロほど下った所にある大路山かと思いましたが、もっとぴったりの所がありました。それがこの智頭町大呂にある虫井神社です。
虫とは古来マムシのことで、虫井とはマムシがいたという意味かと思います。この辺りを虫井谷と呼びます。
写真を撮った時期は初秋でした。今の時期は雪に覆われて、参拝は難しいでしょう。

この虫井神社は創設も古く、郡の大社でもあり、辻褄が合わない気もしますが、古市神社の氏子さんの言い伝えには、もっと別の意味があるのかもしれません。
この虫井神社の由緒を見てみます。

遠く景行天皇の時代、まだ国内が平定されていない頃、この地に因幡の国を統治する三人の兄弟がいた。荒海、都々良麻、里人である。この兄弟は部下住民を率いて皇室に忠義をつくし、良く働いた。云々・・。

『因幡誌』によりますと、三神が最初に降臨したのは近くの夷住山(訛ってキスミ山とも言う)だそうです。
そして因幡一ノ宮宮司伊福部系図には「大己貴命より14代の孫武牟口命が、景行天皇のとき日本武尊に従って征伐した。すなわち、稲葉の夷住山にいる荒海が朝命に従わないので征討するという。時に、荒海・里人・都々良麻が榊の弓八枝を献じて降伏した」とのこと。

虫井神社の由緒書きは、これを受けて書かれたものに思えます。
本当はどうだったのかわからないから、後世に残された文献を鵜呑みにするしかなかったのかと思います。
他の神社の縁起など、その神社に都合のよいことしか書かれていません。多くの歴史書も、同じようかと思います。虫井神社もたびたび兵火にあいました。その度に何もわからなくなっていったことでしょう。そして残ったものを信じるしかない。紙に書かれた文字にはそんな怖さがあります。

不思議なことに山形郷16ヵ村の総氏神としながら、他の村では氏神様の名前がばらばらです。しかも複数です。たとえば近くにある同じ式外社、犬山神社のように、須賀神社のように、一つの氏神様で統一されていないのです。
これは記録に残すまでの段階で、すでに人の出入りが激しかった為ではないかと思います。『日本後記』(808年)によると「因幡国八上郡の莫男駅、智頭郡の道俣駅 馬各二匹・・」という記録があり、智頭は昔の交通の主要な土地でした。

またこの神社は花かご祭りが有名です。沢山の竹籤に五色の色紙を巻き付け造花とし、その年の担当の者が背中の籠にしょいます。そして裸足にふんどし姿で歩いて神社に奉納し、氏子はその竹籤を1本ずつ貰って帰り、厄除けとするというものです。ぜひ見てみたいですね。
って、前も言ってた気がする・・。

それにしても三人一度に降臨した神様って、なんだろう。確かに蟲という字は虫が3個入っていますけれども。


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