人が死ぬ寸前に思う三つのこと | グローバルに波乱万丈


普通、TED TALKSは、その分野では世界でリーダーのような学者達のスピーチなんですが、

ニューヨークで開かれたミニTED TALKSでの、救急士の人のがあるんです。

交通事故などの被害者を、病院につくまで救急車の中で手当てをするのが仕事であり、

処置のしようのない、死を直面した人達を見てきた彼の話、和訳すると...



「私、死ぬのですか?」 と訊かれた時、本当のことを伝えると、

恐怖に戦きながら死なせることになるのではないかと、慰めの嘘をついてきました。

でも、五年前、交通事故のバイクの運転士に訊かれた時、事実を伝えたのです。

驚いたことに、その運転士は動揺することなく、恐れることなく、ただ静かに横たわり、

彼の目からは、平穏、受け入れが感じられたのでした。

その時、後数分しか命がない人に嘘をつき、慰めるのは自分の役目ではないと、悟ったのです。

それ以来、死を直面する人達をたくさん見てきましたが、

皆、同じように、死を受け入れ、平穏な様子なのです。



そのあとの反応には、三つパターンがあります。

一つは、宗教や文化背景に関係なく、許しを求めるのです。

罪しろ、単に後悔にしろ、罪悪心が共通な思いなのです。


処置しようもないほどの心臓麻痺が起こったある老人の紳士は、

「自分の時間に欲を出さず、もっと子供達や孫達と過ごせばよかった。」 と、

死を目の前にし、唯一求めたものは許しでした。



二つ目のパターンは、自分は覚えていてもらえるのだろうか、ということです。

それが、愛する人達であろうが、私達、救命員であろうが、

誰かの心や思いの中に残り、生き続けたいという望みなのです。

今まで数えきれないほど、死を寸前にした人に、「私のこと、覚えていてくれますか?」

と訊かれたことがありました。



三つ目は、一番深く心打たれる反応です。 

死んでいく人は、自分の人生は意味があったのか?

意味ないことに費やし、自分の人生を無駄にしなかったか? と自分に問うのです。


五十代初期の女性が、高速の交通事故で押し潰されて、車の中に挟まり、

消防員が救助しようとする間、私は車に潜りこみ、手当てを始めました。


私との会話の中で、彼女が言ったのは、 

「生きているうちに、まだまだしたいことがあった。」 でした。

彼女は、この世に自分が存在した印をつけてないと、感じたのです。

でも、手当てしながらの会話によると、彼女は二人の孤児を養子にとって育て、

二人とも医大に進むということでした。

彼女のおかげで、そんなチャンスはなかったはずの子供二人が医者となり、命を救うのです。

彼女を車から出すのに45分かかり、それまでに彼女は亡くなってしまいました。


...そんな話です。



私の前夫は、交通事故で植物人間状態となり、

そんな人達のためのクリニックで、一年半ほど過ごしました。


前夫や他の患者さん達は、ある意味、この救急士の彼が見てきた人達のように死を目の前にし、

そのまま宙ぶらりんになったような状態でした。


回復の希望も消え失せた最後の数か月は、病室のベットの横に座り、

前夫や、50代の男性、ティーンの男の子など、他の患者さんさん達、

「もし思考力が残っているとしたら、何を思っているのだろうか?」 と、考えたものです。

「自分だったら、何を思うのだろうか? 心残りで苦しみたくなどない。」


ですから、この三つの反応の話は、私は理解していたことであり、

この二十年余り、心得てきたことでした。



私は、精一杯二人の息子達に愛情を注ぎ、一番に息子達の気持ちを思いやり、

惜しむことなく、息子達のために、自分の時間、努力を費やしてきました。

後悔や罪悪感はありません。


ですから、私は息子達の心、思いの中で、

自分達を心から愛してくれた母親として残り、生き続けることは、確信があります。



実は、このTED TALKSの救急士の人の話、長男が教えてくれたのですが、

デジタルアーチストである息子は、

世の中の子供達が何かを感じ、考え、良い人間に育つ影響を与えるアニメーションを、

創作することが夢なのです。

その夢のために、来月、その分野のメッカであるカリフォルニアに向かいます。

それが、自分がこの世に存在した印をつけることのだと言います。


そして、もう一つの息子の印は、

将来、自分より良い人間に、自分の子供達を育てることなのだそうです。

その子達が、また更に良い子供を育ててくれ、

自分がこの世に存在したことで、社会にプラスになればと嬉しいと。



24歳でそんなことを考えれる長男と、長男に負けないほど心の優しい次男を育てた私は、

しっかりこの世に印をつけたように思えます。



一生懸命、心を込めて子供を育てたことで、

私は、心残りのない最期が送れるような気がするのです。 

なんと幸せなことなんでしょう。