デッキでミント・ティーを飲みながら、考えて考えてリクエストした、母の日プレゼントのウイング・チャイムの涼しい音を聞きながら、
次男の世界史の参考書の中にあった、現在の日本人についてのもう一行を考えていました。
“1990年代は経済不況、政治システムの根深い堕落の発覚だけではなく、国民の姿勢が変わってしまった。
現代の若者は順応することも、彼らの親、祖親のように無私にして働くことも、伝統的な社会での役割を受け入れることも好まない。”
実はこの後に、こう続けられています。
“女性が陰で家族を支える役をしてきた日本社会で、男女平等への願望も広まっている。”
“女性が陰で家族を支える役”...
母としての過去21年間、私は“陰で家族を支える役”をしてきました。
キャリアウーマンのアメリカ社会に影響されることなく、まるで遺伝子に組み込まれたかのように日本社会での女性の役をまるでやってきました。
夫が充実な、幸せな日々を送れるために、息子達がいろんな意味で満ちた人生を送れる大人に育つために、勉強したかった分子生物学、なりたかったガン治療研究員をきっぱりとあきらめ、フルタイムで支える役を選んだのです。
子供達がまだ幼い頃、主人に子守をしてもらい、一度だけ友達と飲みに出かけたことがあります。
罪悪感いっぱいで、ちっとも楽しくありませんでした。
同じように小さな子供を置いて出てきた、キャリアウーマンのイスラエル人とネパール人の友達の「一ヶ月に一回、こうして出かけようよ。」という提案に、その場では笑顔で同意しておきながら二度と参加しませんでした。
いくら主人が勧めても、どうしても家族を残して出かけることは私にはできなかったのです。
気がつくと、つき合いの悪い私には友達が数人いるだけです。
家族のことをいつも心配して気を揉んで、私の髪の毛は白髪でいっぱい。
テニス、サッカーの試合中の息子達に姿を見せるため、欠かさずコートやフィールドの側に立って応援した私の顔はシミだらけ。
家族に美味しい物を食べさそうと、快適な生活をさせようと、家事、料理、畑仕事、修理、諸々で手はガサガサ。
「母の日のプレゼント、何がいい?」と聞かれ、「上出来な成績表、貴方達の永遠の健康、ずっと仲良しな兄弟...」と息子達のことばかり頭に浮かびます。
「マジで!」と息子達。
「うーん、ほしい物ねー。」
マジで、自分が何がほしいのかわからなくなってしまっています。
私みたいに自分を失くして家族のために生きるのなんて嫌だと言う女性の気持ち、理解できます。
大して感謝されることもなく、努力を認められることもないこんな役など、したくないのはもっともです。
自分が思うように、自分の可能性を伸ばし、たった一度の人生、自分のための人生を充実させるべきなのかも知れません。
世界史の参考書によると、私みたいなのは流行遅れな女なのでしょう。
顔はシミだらけで手はガサガサだし、“陰で支える役”をしているうちに、私自身の夢や目標は消えていきました。
だけど... 夫と息子達の夢や目標が私の夢や目標となり、夫や息子達の喜びが私の喜びとなっています。
人生、人それぞれ。 充実していれば、それでいい。
息子達からm“ハッピー・マザーズ・ディー!”とハグとキスを受けながら、“流行遅れでもいいわ。”と納得した今年の母の日でした。