一番親しい、パリジェンヌの友達と、地震以来初めてカフェで待ち合わせた。
「もっと早く会いたかったんだけど、旦那がフランスに行っていたから、代わりにしないといけない仕事が山ほどあって... ごめんね。」
彼女は旦那さんと共に、フランス人相手のフロリダ不動産の投資会社を経営している。
東日本の地震、津波はここアメリカの東海岸の夜中過ぎに起こり、ほとんどの人達は朝起きて、テレビのニュースを観て知った。
彼女もすぐに連絡を入れてくれた。
私の家族、友人の無事の確認のため。
そしてまた、電話してきてくれた他の人達と同様に、惨たらしい映像を観て、胸いっぱいの日本への遺憾、哀悼の意を誰かに表したかったのだろう。
彼女は10年以上前に、日本を旅したことがある。
1997年にアメリカでベストセラーになり、2005年には映画化もされた京都の芸者の話、小説「さゆり」を読んで、日本文化に憧れを抱いた数多い外国人の一人である。
旦那さんに40歳の誕生日プレゼントは何がいいかと聞かれ、彼女は日本への旅行をリクエストしたのだ。
インターネットなどなかった時代。
情報集めに困った彼女は、息子のテニスクラブで顔見知りの私に助けを求めてきた。
彼女は単に情報を求めていただけなのに、お節介の私は日程を決め、ホテルの予約をし、通る道まで地図に印をつけてあげた。
それがきっかけで仲良くなり、10年越しの友達なのである。
ご主人と二人、博多、広島、姫路、京都、箱根、東京を訪れた彼女は、日本人の親切さ、礼儀正しさ、精神の強さ、そして、日本の田舎風景の美しさを今でも賛美する。
だから、彼女も、津波が街、村、畑を呑み込んでいく映像に涙が出たと言う。
彼女はまた、
「パリに美味しいベーカリーはあるけど、当たり外れがあるのよ。
でも日本は、どこのクロワッサンもブリオッシュも美味しくて、信じられなかったわ。」
と日本人のグルメさも褒める。
コーヒーを飲むのを止め、突然彼女が聞く。
「タイトル忘れたんだけど、この前観た日本映画で、息子が家に帰って来る度に母親がいう言葉が、
字幕に“WELCOME HOME”と出ていたけど、あれ、何?」
「ああ、“お帰り”ね。 日本では家族が帰ってきたら、“お帰りなさい”って迎えるの。
私も日本に帰ったら、実家の近所の人達も、友達も、皆“お帰り”って言ってくれるのよ。
そう言われてみれば、英語にもフランス語にもそんな言葉はないわね。」
メモ帳を取り出し、大学に出ている息子が帰ってきた時に言いたいと、“OKAERI”と書いていた。
いつも凛としてクールな彼女が、アニメ好きの日本ファンの若者のように、日本語を覚えてはしゃぐ姿が私には面白く、バックからカメラを取り出し、こっそり写真を撮った。
日本への哀悼の意が、彼女をそうさせているのかも...
「アメリカの赤十字社はあてにならないから、信用できる募金先を知らせて。
お金を送るくらいしか、私にはできないことないから...」と、切なそう言う。
彼女は、来週末にワシントンの行われる桜祭りに行く。
ワシントンの水際には、1912年に日本が寄与した3000本の桜の木が並ぶ。
フランス式の両側の頬へのキスをして、
「22年も桜を見ていない貴女の代わりに、私が見てきてあげるわ。」
と彼女は言い、笑いながらお別れをした。
南フランスからの旦那さんのお土産を、おすそ分けしてくれた。
なんとなく、私へのプレゼントも、彼女の日本への哀悼の意からのような気がする。