世界が日本の道徳心、正義感、協調性...を賞賛するなか、支援物資の盗難などと嫌なニュースが、海外在日本人の人達を通してそっと耳に入ってくる。
皆、こんな恥を外国人には知られたくない。
私も、日本人の血が流れていることを誇りにしている息子達の耳に入れたくない。
“きっと、日在外国人の仕業に違いない。”
“ほんの、ほんの一部に、心がひさんだ日本人がいるんだ。”
と自分に言い聞かせる。
二年前、コロンビアの海岸線を旅行中に、信じられない光景を見た。
私達が通りかかる寸前に、ビールを運んでいたトラックが転倒したのだった。
ドライバーが無事なことを祈りながら、渋滞して動かないバスの窓から様子を見ていた。
どんどん人が集まっていき、道路に散らばったビールのビンを集め始めた。
私、「あぁ、皆いい人達ね。 あんなに大勢の人達が協力して...」
主人と息子達、「違うよ! LOOTINGだよ!」
“LOOT” (ルーツ)・・・ 暴動に紛れて物を盗む
そんな動詞は日本語にはない。
そんな日本で育った私は、ドライバーが事故に遭い、危険な状態にある時、運ばないといけないビールを道に落としてしまった時、人々はドライバーを救い、ビールを片付けているんだと思ったのだった。
コロンビアとは言え、カリブ海岸ののんびりとした平穏な地域でのこと。
嬉しそうにビールを運んでいる人達は、渋滞の車から飛び出してきた普通の人達。
気分が悪かった。
「日本では絶対にありえない。」と呟いた。
数年前、ニューオリンズをハリケーンが襲った時も、LOOTINGが問題だった。
アメリカでは災害が起こると、その地域は強制避難となり、一切立ち入り禁止となる。
だから、今の東北のように、災害直後に瓦礫の中を人達が歩く光景はアメリカではありえない。
立ち入り禁止になるのは、人々を壊れた道路や建物から守るという理由もあるが、LOOTINGを防ぐためである。
ハリケーンが向かってきているのに、LOOTINGを恐れて家を空けるのは嫌だと避難しない人達もいて、警察は手を焼いたそうだ。
人々がそれぞれの家に戻っていった後も、LOOTINGを防ぐためのパトロールに多額の費用を使い、夜の決められた時間内の外出は、厳しく禁止とされた。
避難所となったニューオリンズのフットボール・スタジアムは、被災者が物に不満をぶつけて壊し、そこらじゅうをトイレ代わりに使い、いろんな物が盗まれたそうだ。
スタジアムは使用不可で、建て替えの必要があるとも言われていた。
東北の避難所で、支援物資のゴミをリサイクルのために仕分けている様子を、アメリカのレポーターは、こんな事態でも環境のことを考える日本人と驚嘆していた。
被災者の人達が仕事を分担し、協力し、助け合っている姿がテレビに映る。
日本は違う。 日本人は違う。
“LOOTING”という言葉ができるような日本には、絶対にならない。