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++  エピソード日本史 ~人物で繋ぐ日本の歴史~ 
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ vol.025━2007.01.29━…‥*



 ◆◇ 蘇我入鹿 《ソガ(の)イルカ》…

 蘇我馬子の孫。鞍作臣とも呼ばれた。
 皇極天皇即位の時から、父・蘇我蝦夷に代わり国政をとり、
 政治不安が深刻化する中で、極めて強圧的な政治を行ったとされるが…。

 《*鞍作臣:クラツクリ(の)オミ》
 《*皇極天皇:コウギョク天皇》
 《*蘇我蝦夷:ソガ(の)エミシ》



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■ 実は天皇だった??蘇我入鹿
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後に伝説となる聖徳太子は、622年突如眠るように死んでしまいます。
また、王朝を我が物とし、独裁を極めた蘇我馬子が626年に亡くなり、
聖徳太子を摂政として重用した推古天皇も、628年に亡くなります。

推古天皇が後嗣を決めていなかった為、
次期天皇を誰にするかが重要な問題となっていました。


候補は二人。
敏達天皇の子・田村皇子《タムラ(の)皇子》と
聖徳太子の子・山背大兄王《ヤマシロ(の)オオエ(の)オウ》です。

蘇我馬子と推古天皇が重用した聖徳太子の子・山背大兄王は、
祖父に用明天皇を持ち、血筋も問題ありません。

しかし、蘇我馬子の子・蘇我蝦夷《エミシ》は田村皇子を推します。
そして、馬子の孫・蘇我入鹿が山背大兄王を自害に追い込みます。
この時、一族22人全てが自刃します。

ここに、聖徳太子の血筋が全て絶えてしまうのです。


時は643年の事。
歴史的クーデター“大化の改新”の入鹿殺害事件・乙巳の変の2年前の事です。

《*大化の改新:タイカのカイシン》
《*乙巳の変:イッシのヘン》


蘇我入鹿は、父・蝦夷と共に、天皇家を上回る権力を示していたようです。
例えば蝦夷は、入鹿には最高位の位を授けるだけでなく、
その弟には、蝦夷の父・馬子が滅ぼした物部の名を与え物部大臣と呼ばせます。
さらに、蝦夷の邸宅を上の宮門、入鹿の邸宅を谷の宮門と名づけ、
子供たちを王子《ミコ》と呼ばせたというのです。

《*上の宮門:ウエのミカド》
《*谷の宮門:ハザマのミカド》

新しい氏姓を授ける権利は本来天皇の権限。
そして、宮門《ミカド》は帝《ミカド》のことで、
王子《ミコ》も皇子《ミコ》であって、本来天皇の事です。

もし天皇が別にいて、蘇我氏がこういう状態にあったとしたら、
世も末、多くの人々が嘆き悲しんだことでしょう。


しかし、ここで考えなければいけない事があるのです。
これらの記述が残されているのは、日本書紀。
蘇我氏が滅亡する大化の改新後、作られた日本の正史です。

歴史は勝者の歴史とよく呼ばれます。
武烈~継体の時と状況が、かぶります。

蘇我氏は歴史の敗者です。
本当に、天皇家を蔑ろにしていたのかは、疑問です。


ここで考えられるのが、蘇我天皇説です。
実は、物部守屋を滅ぼした蘇我馬子から、蝦夷、入鹿と蘇我王朝として、
それぞれが天皇、もしくは別の大王として君臨していたのではないか?
という説が考えられるのです。

もし、そうであれば、新氏姓を授けることも、
自分をミカドと称し、子供をミコと呼ばせる事も、
そして、隋書に記されているタリシヒコという王の名も
不自然でなくなってくるのです。


すると、蘇我入鹿が聖徳太子の子・山背大兄王を滅ぼした事件は、
山背大兄王と皇位継承争いをし、入鹿が勝ったという事実にもなるのです。

つまり、蘇我入鹿が天皇だった可能性が生まれてきます。


蘇我氏の専横が極まったのではなく、
蘇我馬子・蝦夷・入鹿が天皇として君臨していたという事。

もしそうだとすると、日本最古の女帝・推古も、
古代の偉人・聖徳太子も存在が疑われてきます。

蘇我氏の善政を隠す為に聖徳太子という存在を、
そして天皇家の系譜を調整する為に、推古という女帝をでっち上げた。

全ては蘇我氏を滅ぼさんがする為。


事実はいまや全て闇の中。
もしこの事実が解明する可能性があるとすれば、
2005年11月に発見された蘇我入鹿邸宅から、
蘇我馬子と聖徳太子が編纂したとされる天皇記・国記が出土した時でしょう。

《*天皇記:テンノウキ》
《*国記:コッキ》



さて、話を日本書紀の方へ戻します。

時は645年6月の事。
朝鮮の三国(新羅、高句麗、百済)の使者がやってくる事になっていました。
当然最高権力者である、蘇我入鹿も出席することが決まっています。

この使者たちを朝廷に呼び、三国の調の儀式を行いました。

この儀式に参加することになっていた入鹿は、
いつも肌身離さず持っていた剣をはずさせられます。

時の天皇・皇極が大極殿に現れます。
そして、閉じられる宮門。


入鹿の従兄弟の蘇我石川麻呂《イシカワマロ》が上表文を読み上げます。
しかし、石川麻呂は声が震えて、うまくしゃべれません。

すると入鹿は石川麻呂に尋ねました。
「何を震えているのだ?」

石川麻呂は答えました。
「帝の御前で、緊張していまして…」


辺りは雨が降り出していました。
そして、次の瞬間、歴史は動きだすのです。



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一人の人物が飛び出してきました。

三国の調の儀式が行われる大極殿に血が飛び散ります。
倒れこむ蘇我入鹿。そして、苦しみながら天皇に尋ねます。

「私が一体何をしたというのですか…。どうかお答えください…。」

驚いた天皇は切りつけた人物に問いかけました。
問いかけられた人物は、答えました。

「入鹿は皇族を根絶やしにし、皇位を簒奪しようとしていました!」

こう答えた人物、そして入鹿を切り付けた人物。
彼は、後に天智天皇と呼ばれる中大兄皇子でした。



┏━◇  次回の予告  ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

 歴史は繰り返す、中大兄皇子

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━━[編集後記]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いよいよ、歴史は大きく動き出しました。
飛鳥時代は、この入鹿の死を持って終わったといってもいいでしょう。
この入鹿殺害事件を乙巳の変と呼び、この後行われる国家の改革を含めて、
「大化の改新」と呼びます。いわゆる古代の構造改革ですね。
時代は、もう少しで奈良時代に入ります。
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