映画『サウルの息子』を観ました。

衝撃的で、胸が苦しくなる作品。(ネタバレあります。ご注意を。)

アウシュビッツ=ビルケナウ収容所に入れられたハンガリー系のユダヤ人・サウル。

彼らは、収容所の特殊部隊・ゾンダーコマンドとして、同じユダヤ人の虐殺を行う。

映画は終始、至近距離のフォーカスでサウルの視点から収容所の状況を描いてゆく。

着替えた後は食事が出る、という言葉で服を脱がされた人々がガス室に入れられて殺され、

その後の服や所持品を回収、その後ガス室の死体を引きずって集め、血に染まる床を掃除する。

焼却され残った灰を、川に捨てる。

あまりに多くの収容者が送られてくるため、穴を掘ってそこに裸にした人々を落とし、銃殺の上燃やす。

そんな、地獄のような風景が続く。

大事なことは、この映画の風景が、実際に行われたことを元に作られたものであることだ。

高校生の時に、オーストリアに旅をして、マットハウゼン強制収容所を見学した。

場所に染み込んだ、恐ろしい歴史。当時訪れた時は、それらが静かにこちらを見つめていた。

しかしこの映画には、その歴史が、こうだったかもしれない、という形で息を吹き返し、

呼吸をし、叫び声をあげていた。

何度も、思い出さなければならないことだが、人類は、このようなこともする生き物である。

私たちは、この平和な日常に暮らしている限り、そんなことに手を染めることは絶対にない、

と思い込んでいるけれど、地獄は常に、口を開けて私たちの隣にいるのである。

たとえその暗闇に飲まれようとも、善意と尊厳の灯火を抱えて進まなければならない。

サウルは、朴訥で普通の人間であるが、その情況の中で、尊厳を求め続ける。

映画は、自由への抵抗よりも、その尊厳を求める心を中心に据えている。

それは、監督が考える、地獄の口をふさぐ、一番大事なものなのだ。


さて、私たちの歴史はどうであろうか。そしてこれからはどうであろうか。

7月10日には選挙が迫るが、私たちが再び、地獄の口へとズルズル滑落してゆかないように、

目を覚まして臨まなければならない。


映画『サウルの息子』は第68回カンヌ映画祭にてグランプリを受賞した作品。

たしかにこれはそれに相応しい作品だ。

さて何のために、何を、どのように物語るのか。改めて考える時期だ。



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