11/9です。

今日は、原田喧太さんの音頭、プロデュースで、桑名さんの追悼ライブが東京・渋谷の老舗ライブハウス「クロコダイル」で行われています。

おいらも行きたかったのですが、所用で断念です。
再度、もっと多数の方々も出演したいミュージシャンもいらっしゃいますので、もう一度、大きい会場で派手やかに、桑名さんらしく艶やかに、演ってもらいたい、と個人的には思っています。

週刊誌ではもうひとりの息子さんの話しが出ていますが、知っている人は知っていたことなので、おいら達は今更驚くことではないのですが、この時期にこういうスキャンダル的なものを記事にするのは、先方も商売とはいえ、嫌な気持ちです。

今頃は、盛り上がっているかなぁ。


11/5です。

書き忘れていました。すみません。

桑名さんの追悼ライブが9日に東京・渋谷の老舗ライブハウス「クロコダイル」で行われます。桑名さんの実妹の晴子さん、告別式で弔辞を述べたギタリストの原田さんが山河音頭を取って開催されます。

詳しくは原田喧太さんのブログへ。
http://ameblo.jp/kenta-harada/entry-11393252328.html#main


 桑名さんは、還暦を迎える来年までに100本のライブ行うことを目標に、同ライブハウスからツアーをスタート。「最後はまた帰って来よう」と最終公演を同所で行うことを計画していたが、願いはかなわなかった。このため晴子と仲間たちが、追悼ライブとして、桑名さんの思いが詰まった同ライブハウスのステージに立ち、歌うことになった。晴子は「(葬儀後の御堂筋パレードで)あんなに大勢の人に見送られて、兄は幸せです」とファンに感謝。志半ばで逝った兄の思いを胸に、仲間やファンと共に魂の歌を捧げることを誓っていた。


11/4です。

桑名さんが旅立ち、やっと初七日も過ぎ、美勇士さんもアメブロ更新してくれました。
皆さんへの御礼の言葉がありますが、こちらからもたくさんいい曲を聞かせてくれた桑名さんと、がんばって支えた、またこれから歌い繋いでいく、桑名ファミリーへ応援のコメントを出しましょう。
みなさん、お願いしますね。

ブログはこちらです。 http://ameblo.jp/myuji69/entry-11396513683.html



11/1です。

名曲の月のあかり、桑名さんが拘置所の中の窓から見えた月のイメージから、下田さんと一緒に作った歌詞ですね。

桑名さんのヒット曲「月のあかり」の作詞者でシンガー・ソングライターの下田逸郎さんが31日、神戸市内でライブを開き、CD「桑名正博 下田逸郎と唄う 弾き語りライブセレクション」を制作したことを明かにしました。

 桑名さんが倒れる直前まで、たびたび共演していて、「月のあかり」「夜の海」などライブ音源11曲を収録し、会場で販売した。
「40周年のベスト盤とは別に、俺は俺で出そうと思った。俺と桑名の間には歌しかない。歌でつながってた」と語っていました。

欲しいなぁ、買える方法を探さなくては...

 共演した桑名さんの妹の晴子さんは、晩年の桑名さんについて「(疲れで)エネルギーがないのに歌う姿は、まさに命がけ。妹として心配でも、同じミュージシャンとしてその思いを止められなかった」と複雑な内心を明かした。

また下記のように、愛人問題もやっぱり週刊誌に出てしまいます。
仕方ないですね。

10/31です。

もう愛人問題などの記事が出ています。
ファンとしてはそういうのは、まだ待って欲しいものです。

10/31です。

いつもお世話になっている、エフエム世田谷と、水曜MCの小野寺さん、9:25においらのメッセージとともに、月のあかりをかけてくれて有難うございます。
この曲にはまだ泣いちゃいます...

夕べは、満月がキレイでした。
星になった桑名さんですが、満月の月のあかりとともに、照らしてくれていました...


10/30です。

参列が終わりました。
http://ameblo.jp/yasu-c1963/entry-11392387923.html

秋のキレイな夜空の星が、一つ増えましたね。
とても良く輝いています。


桑名さんの葬儀が30日、大阪市阿倍野区の市立葬祭場やすらぎ天空館で営まれ、音楽・芸能関係者ら約1300人が参列した。
その後、桑名さんの棺を乗せた霊きゅう車や遺影のパネルを掲げたオープンカーが同市中心部の御堂筋を「パレード」し、多くのファンらが別れを惜しんだ。

葬儀委員長を務めた歌手の内田裕也さんが乗り込んだオープンカーを先頭にした車列が、同市北区の大阪市役所前から同市中央区の高島屋大阪店前までを徐行運転。
桑名さんのヒット曲「セクシャルバイオレットNo.1」などを大音量で流したり、「桑名正博」の名前のプラカードを掲げたりしながら走り抜けると、「まさやん、ありがとう!」と呼びかける熱狂的なファンの姿も見られた。



私も新幹線で大阪へ向かっています。

桑名正博さんの通夜が29日、大阪市阿倍野区のやすらぎ天空館で営まれた。

約700人が参列。読経や焼香の後には、妹の晴子さんらが生演奏と熱唱を霊前にささげた。

 穏やかな笑顔でギターを抱える遺影。祭壇の横にはバンド「ファニー・カンパニー」時代から約40年間使ったギター「ギブソン335」や革ジャンなどが並び、「哀愁トゥナイト」など桑名さんがiPadに生前編集したライブ音源が流れた。

 読経や焼香が終わると厳かだった雰囲気は一変。祭壇の上手の特設ステージでライブが始まった。葬儀委員長を務めた裕也さんがチャック・ベリーの曲「ジョニー・B.グッド」を熱唱。「シェケナベイベー!まさやん、ありがとう!」と叫んだ。

美勇士さんは「ライブ会場みたいでしたね」と話し、弔問客の多さに「これだけデカい人やったと気づけて感動した」と続けた。

 棺の中の桑名さんは衣装と同じベスト。デビュー40周年を記念して製作した5色組ギターピックやたばこなどが一緒に納められる模様。

10/29

おいらも明日、大阪に音楽家の諸先輩方々と行きます。
献花とパレードに参列してきます。

今日も追悼として、愛するエフエム世田谷様の朝の番組でも、また昼のアフパラでもキッシーさん、岸田敏志さんが追悼の想いを込めて、リクエストしたロンリネスををかけていただきました。有難うございます。


NHKはあす30日に生放送する『わが心の大阪メロディー』(後7:30~8:43)の企画内容を一部変更し、桑名さんを追悼する「ありがとう桑名正博さん」を放送すると発表した。
同じ大阪出身で1972年デビューの同期でもある盟友・谷村新司が「陽はまた昇る」を歌い上げ、桑名さんの長男美勇士さんと次男の桑名錬さんも会場に駆けつけるという。

 谷村は「彼とは大阪時代に共に夢を追いかけた音楽仲間でした。同じ事務所にいて自分達の歌を多くの人に伝えたいという願いを共有していた1970年の頃。彼の家の庭にある大きな倉の中で、アリスの練習もさせてもらいました。彼のお母さんや妹達がいつもあたたかく応援してくれていた風景を昨日の事のように思い出されます」と追懐。

 生放送に向け「彼に借りたままのTシャツを返すこともないままの別れはつらいです。番組では、心をこめて歌を届けたいと思います。“青春の日々の中にあなたが居てくれたこと・・・忘れません。今はただ桑名正博の存在に感謝の気持ちとありがとう!を送ります”」とコメントを寄せた。



桑名さんの告別式(30日、大阪・阿倍野区のやすらぎ天空館)が音楽葬になるそうです。
葬儀委員長はロックの大御所の内田裕也さん(72)が務めます。

 桑名さんの事務所関係者によると「湿っぽい式にしたくない」という美勇士さんや妹の晴子さんら親族の意向を尊重して、通夜と告別式ではバンド仲間やミュージシャンたちが音楽を演奏したり踊ったりして、にぎやかに故人を送り出す予定だという。

「セクシャルバイオレットNo・1」などヒット曲の数々を、親しかった音楽仲間がその場の雰囲気で演奏するといい、関係者は「状況次第では、通夜の後の演奏はオールナイトになるかもしれない」と話した。

 弔辞は昨年亡くなった俳優・原田芳雄さんの長男でミュージシャンの原田喧太さんが読み上げる。桑名さんがデビュー間もないころから家族ぐるみの付き合いがあり、関係者によると、桑名さんは生前から「もし自分が死んだら喧太にお願いしたい」と“指名”していたという。


10/28です。

桑名正博通夜・お葬式のお知らせ。10月29日19時~通夜。
10月30日葬儀11時半~13時半。
14時半より御堂筋を北から南へリンカーン霊柩車でパレード。
会場は大阪市立葬斎場やすらぎ天空館。



美勇士さんが昨日、大阪府吹田市内のライブハウスに出演した。
桑名さんの名曲「セクシャルバイオレットNo・1」など全10曲を熱唱して、「父の代弁者として、父の曲を歌っていく」と宣言した。

 「ライブを自粛するより歌う方が父も喜ぶはず」と決行したステージ。予定の持ち時間40分を大幅に上回る90分間にわたって10曲を歌った。

 「きょうは追悼ライブなので」と登場した美勇士さんは、桑名さんのバックバンドと父の代表曲「セクシャルバイオレットNo.1」を披露。「親父がかわいがってきた子たちも大勢来てるから」と若手ミュージシャンらもステージに呼び込んで盛り上げた。
「オヤジも天国で聴いてると思います」と精いっぱいの歌声で父への気持ちを伝えた。


 父が愛した母アン・ルイスの歌も「六本木心中」「あゝ無情」「ハニー・ドリッパー」と3曲を披露。「母の歌だけでなく、これからは父の曲も歌っていく」と志半ばで旅立った父の遺志を引き継ぐことを誓った。

両親の後を追い、ミュージシャンという道を歩んだが、時には親子として殴り合いのけんかもしたという。しかし、翌日には同じステージで「音楽で仲直りしていた」と振り返った。


 26日に仮通夜が営まれた大阪市内の寺院では、妹の桑名晴子さんやバンド仲間ら10人がが27日朝まで亡きがらを囲み、桑名さんがプロデュースした焼酎「月のあかり」で献杯。
関係者は「まさやんは、月のあかりしか飲まんかったから」と感慨深げに語った。

 桑名さんの遺影は今年1月に自宅で撮影した写真になる予定で「ギターを持った、まさやんらしい一枚」という。また美勇士は「親父は今ステージ衣装着て横たわってます。なんかライブ後に疲れて寝てるみたい」とツイッターで明かした。

父に着せたデニムと白いシャツ、そして黒いベストのステージ衣装。根っからのミュージシャンだった桑名さんに、「天国ですぐライブができるように」と美勇士が考えた最後の“親孝行”。



10/27です。

大阪人の心を歌った桑名さんを1人でも多くのファンに見送ってもらおうと異例の「御堂筋パレード葬」が30日に行われることになった。

美勇士さんは「1日で亡くなるはずやった人が3カ月ももったんですから、十分に奇跡的やと思う。やっぱり桑名正博はスゴい人やったんやな」と気丈に応対。

ステージ復活は叶わなかった桑名さんに、前代未聞の“お別れの場”が用意された。
30日午前11時半から大阪市内で葬儀・告別式の後、午後2時半から大阪のメーンストリート、御堂筋を北から南へ、リンカーン霊柩車でパレードするという。

「浪速のマイケル・ジャクソンじゃないですけど、みんなが好きで昔から愛された人。1人でも多くの人に見送ってもらえれば。これが最後の桑名正博に会える機会だと思うので一緒にお見送りしていただければ」と美勇士さん。

御堂筋パレードは1983年の大阪築城400年を機に2007年まで毎年10月に開かれ、姉妹都市や協賛企業のフロート(山車)が市民を楽しませた。
また、阪神タイガースが優勝した年にも選手が御堂筋をパレードするなど、浪速っ子にとっては晴れの舞台みたいですね。

ファンの声援に見送られ、天国に旅立ちます。
天国からも、月のあかりを照らしてくれるでしょうね。



泉谷しげるさんのブログです。
http://ameblo.jp/shigeru-izumiya/entry-11389588856.html


私のお気に入りのラジオ番組でも追悼の意味合いで、曲をかけてくれた。
今日は、出張放送でその場にてリクエストできなかったのが辛い。
月のあかりを聴くと泣けるしなぁ。哀愁ツゥナイトくらいが良いのかも...


 長男でミュージシャンの美勇士さんはこの日夜、名古屋から、父の亡きがらの眠る大阪市内の寺院に駆け付けた。桑名さんの妻・栄子さんから危篤の一報を受けたが最期はみとれず。それでも「1日もつかどうかから3か月なんて、十分奇跡だと思う。伝説に残ればいいですね。息子として、すごい人やったんだなって思いますね」と、かみ締めるように話した。

 倒れた時点ですでに手術もできない状態だったが、驚異的な生命力で持ちこたえてきた。病室では好物だった大阪名物の「インデアンカレー」の香りを漂わせるなど、意識回復を目指し、関係者が懸命に呼びかけた。しかし、医師は「これ以上の回復は見込めない」と宣告。再び目を覚ますことはなかった。

 「最初は悲しみが大きかったけど、後半になって医療費のこととかあって不安はありました。いつ亡くなるのか分からないということが、家族としては一番つらかったと思う」と美勇士。悲しみを抱えながら27日、大阪府内でのライブを予定通り開催するという。


 家族同様、奇跡を信じていたファンは葬儀場でのお別れは難しいが、妹で歌手の桑名晴子(56)らの発案で、粋な演出が施される。30日の告別式終了後、午後4時に大阪・平野区の火葬場に到着するまでの空き時間を利用し、「御堂筋桑名パレード」と題した“お別れ会”を実施する。

 午後2時30分に梅田新道近辺からスタート。最高級リムジン・リンカーンの霊きゅう車で、桑名さんが愛した大阪の街の象徴ともいえる全長約4キロメートルの並木道を北から南へ走行する。美勇士は「すごく派手な人だったので、声かけられるのが好きなんですよね。皆様に協力してもらいたい」。御堂筋のビル街に「マサヤン、ありがとう!!」の掛け声が響きそうだ。


桑名正博さんの家族や関係者が集まった大阪・港区の寺には、息子でミュージシャンの美勇士さんも駆けつけました。
美勇士さんは、桑名さんが倒れてから3か月以上に及んだ闘病生活を振り返り、「医者からは、2週間以上もった例を見たことがないと言われていた。やはり桑名正博はすごい、よく頑張ったと思う」と話しました。

そして、今月30日の葬儀のあと、大阪の御堂筋をひつぎを乗せた車でパレードする計画について、「オヤジは派手で破天荒で豪快な人で、大勢のファンに囲まれるのが好きだった。パレードでは、1人でも多くの人に見送りにきてほしい」と話していました。


桑名さんはことし7月15日未明、脳幹出血で大阪市内の自宅で倒れ、意識不明の状態で入院先で治療を受けていました。
桑名さんの家族は当初、回復の見込みは難しいとして、いったん延命の措置を行わない選択をしましたが、ことし8月、桑名さんの呼吸を補助するため気管を切開する手術を行うなど、闘病生活に備えて、家族が治療方針について主治医にたびたび相談していたということです。
しかし次第に呼吸が弱くなり、26日昼ごろ、呼吸不全で亡くなったということです。

通夜は今月29日、葬儀は今月30日に、いずれも大阪・阿倍野区の「やすらぎ天空館」で営まれることになっています。




元奥様の、アン・ルイスさんは来日するかは、まだ不明のようですね。
複雑でしょう、来日はしたいはずですが、諸事情が...

この記事はまだ続けます。
今後も追悼ライブとかもあるでしょう。

また、事実の事ではあるものの、湾曲した、捻じ曲がった報道などが出てくる可能性があります。
それに対して、文句ではなく、考えを述べて行きたいと考えています。



10/26です。

とうとう、桑名さんが逝ってしまった。呼吸不全ということです。
もしも生きていても、このまま植物状態になると、関係者と家族、医師は話していたといい、完全に目を覚ますことは無い、と本当は言われていたようです。

そしてとうとう...  59歳です。

入院先の大阪市内の病院で亡くなったことが26日、分かった。
桑名さんと親しい関係者によると、この日午後、桑名さんが亡くなったとの知らせがあり、長男でミュージシャン美勇士さんは名古屋から急きょ、桑名さんの元へ向かったという。
桑名さんのもとには栄子夫人らが付き添っていた。

通夜および葬儀・告別式は親族のみで執り行うというが、未定という話も。

東京でも何かしらするだろうな。

桑名さんは、恩義のある方です。
30年前に、親戚が芸能事務所にいた関係で、あるアイドルの付き添いで番組見学へ行った時、他のアーティストのギターを引っ掛けて、倒し、壊してしまったときに、丁度、桑名さんがいて、その間の仲裁に入ってくれたのが最初の出会い。

やんちゃではない、優しい桑名さんがいたのですよ。

その後、何年間か、少しだけのお付き合いが東京にいる頃はあったんだけど...

美勇士くんにもアメブロの再開をお願いして、再度更新してもらったが、最近はずっと更新がまた途絶えていたし...

安く売ってもらったストラトは家宝で持っていますよ、まだ。
でもたぶん、自分のものではなく、ストラト好きということを話したので、知り合いから買って、それを売ってくれたのだと思う。
それが優しさなんですヨ。
でもB.C.Richのイーグルを持って弾いている姿、が目に焼きついている...

とにかく残念...


桑名さんは今年7月13日に香川・小豆島でライブに出演。翌14日に妹の晴子と、母澄子さんが住む兵庫県西宮市の自宅に立ち寄った後、大阪市内の別の自宅に帰り、15日未明に体調不良を訴え、倒れた。

桑名さんは7月15日早朝、大阪市内の自宅で倒れ意識不明の状態に。
緊急搬送先の病院では「もって12時間」「医学的に診ても10日から2週間」と宣告され「脳幹出血の程度がかなり悪いものだった。首から下は正常だけど、脳死に近い状況だった」状態。

8月2日には気管切開手術を受け、その後体調は安定していた。

11月14日にはデビュー40周年記念ベストアルバム『GOLDEN☆BEST 桑名正博―MASAYAN 40Years―』が発売される。また今月30日にNHK総合で生放送される『わが心の大阪メロディー』では、盟友・谷村新司と美勇士共演による特別企画「がんばれ桑名正博さん」が放送予定だったが、同局では企画を変更し「現在調整中」としているという。

何とか追悼番組として放送して欲しい気持ちもあるが、仕切りなおして追悼番組を作ってもらいたい...

桑名さん、安らかに...



10/24です。
1ヶ月ほど前から、桑名さんの治療費の問題が家庭内で起こっているようですね。
これ以上は家庭内の事情は言うのは止めますが、私達にできる応援は、11/14のゴールデン・ベストを購入することではないですか?

考えはもう見えていますが、治療費に充てたいということでしょう。
それは病気持ちの私にも良く分かる、当たり前の手段だと思います。

でもそれもありますが、純なファンとして11/14を楽しみに待ちましょう。


10/23です。
久々の更新ですね。

桑名正博さんのデビュー40周年記念ベストアルバム「GOLDEN☆BEST 桑名正博―MASAYAN 40Years―」が11月14日に発売されます。
写真に写っているのが、そのジャケットです。

桑名さんは現在も意識不明の状態が続いています。妹で歌手の桑名晴子さんは「安定はしてるけど、体重はずいぶん落ちた。肺炎を起こすと急変する可能性がある。アルバム発売の報告をしたいから元気でいて」と回復を祈っていると語っていました。

ジャケットのセピア色に彩られた桑名の表情について、「ベッドで眠ってる今のアニキの顔そのもの」と語った。


 うつむき、目をつぶっているように見える顔。晴子とCDジャケットのデザインを担当した寺嶋雅志さん(49)、撮影した田村嘉久さん(57)は「これや!」と思った。全員一致でジャケ写に採用した画像は4月24日、大阪市内のライブハウスで演奏中の一枚。晴子は「母も“今の正博みたいやね”と言うくらい、病室で寝てる顔に近い。こんな穏やかな表情で眠ってるんですよ」と語る。

 賛否があるのは覚悟の上だ。「この顔は寂しいっていうファンもいると思うけど、私らには自然な今のアニキらしい写真に思えた」という。

 実はこの写真、珍しくドラムを叩く瞬間を写したものだ。ミュージシャン芳野藤丸(60)の還暦パーティー中に、ほろ酔いの桑名がシンバルを割るほど熱心に演奏。デビュー40周年記念の“100本ライブ”を各地で開催していたころで、田村さんは「相当疲れてたと思うけど、そんなそぶりは全然見せない。僕らが先に音を上げるぐらい豪快に笑い、飲み、仲間を楽しませた」と振り返った。

 当初、CDジャケットは今月上旬に仕上がる予定だったが、担当していたデザイナーが締め切り直前に交通事故で入院。11月14日の発売が危ぶまれる中、晴子が知人の寺嶋さんに「2日間でジャケット作って」と依頼。寺嶋さんは「徹夜の作業でした」と苦笑い。寺嶋さんも田村さんも今回の制作を無償で引き受けた。「まさやんと晴子さんの人柄かな。好きやから力になりたかった」と笑う。


一方、の美勇士(みゅうじ)=(31)は懸命な看護の傍ら、“父の代弁者”として精力的に音楽活動を続けている。12月には闘病中の父にエールを送るため、ホノルルマラソンへの出場を決意。

「最初は担当医から『1週間持たない、こんなに酷い脳幹出血は見たことがない』と言われて覚悟しましたが、3カ月が経ち、状態に変わりなく顔色も悪くなく、すやすやと眠っているだけ。最近、医者の友人たちに『それがどれだけ凄いことかわかるか?』と励まされます。希望がゼロでも、あのオヤジなら奇跡を起こすかもしれない」

 この3カ月をそう振り返る。一方で、「いつ別れの時が来るか」という不安をいつも抱えている。大阪の病院では現在、完全看護体制で、治療費は月50~60万円。経済的負担も家族間の不安要素になりつつある。

 「(夫人の)栄子さんは治療費の工面は年内までしか…と悩み、(妹で歌手の)晴子さんともども、早く逝かせてあげた方が…と。僕はあきらめるつもりはない。思い残すことがなければスッと逝っただろうし、お金の問題だけなら、心残りなく逝く日まで看護し続けたい、だって生きているんです。一部報道で家族間で対立-とありましたがそれは違う。こういうことに対する考えは、家族それぞれで正解はないんです」

 美勇士にも迷いはある。

 昨年9月に結婚し10月に長女が誕生して、自身も父親になった。

 「仮にオヤジの立場なら家族に負担をかけた状態でいいか?と心が揺れ始めました。確かにいつ起きるか保証はないオヤジの医療費を、いつまで払い続けられるかわかりませんし。オヤジの名言で、『働くという字はハタ=周囲をラクにさせる』んだと。それに反する状況の自分を生かしてくれ、と望んでいるか」

 音楽活動の中身もおのずと変ってきた。

 「オヤジの曲を歌ってというオファーが多く、最初の1、2カ月は心情的に厳しいと断っていましたが、9月の名古屋ローカルのラジオ番組で解禁しました。オヤジが歌いたくても歌えない状況という意味での解禁、いつでもカムバックできるようにと。『月のあかり』『セクシャルバイオレットNo.1』とか」

 いま、無言のままの父が、背中を押している。

 「ミュージシャンとして売れないからあと2、3年やってダメなら辞めようと思っていましたが、辞められなくなりました。オヤジを代弁していかないと。オヤジを長年応援してくれたファンに恩返しをしないと。それに歌は残りますから」

 父が倒れた約1カ月後には、フルマラソンへの初挑戦も決めていた。

 「何もできず、もどかしい。オヤジが死と直面してがんばっているなら僕も何か…と考えていたら、フルマラソンが頭をよぎりました。ホノルルは時間制限もないし、オヤジへの思いを胸に走ろうと。現地のオヤジの友人たちも走ると言ってくれて15、16人で走ることになりそうです。“桑名がんばれTシャツ”で」

 結婚による“幸せ太り”で89キロあった体重は、プロトレーナーの指導で12キロ減った。約20キロ減が目標だ。食事は1日4食、1食250キロカロリー以内と決め、料理上手な奥さんがサポートする。

 「ホノルルでゴールした瞬間、オヤジが起き上がり『がんばったな!』と言ってくれることが、今の夢です」と語っています。



9/13です。

もうすぐ14日です。
美勇士さんのブログ、お弁当がかわいいデザインですね。
ぺタを見てもたくさんの方がご訪問いただいているようです。
嬉しいですね。

美勇士さんのブログ再開しました。有難うございます。
皆さん、どんどん訪問してくださいね。
http://ameblo.jp/myuji69/


美勇士さんもアメブロにログインできたそうです。
更新があると思いますので、期待しましょうね!

9/12です。

長く間が空きましたが、状況が小康状態が続いているようだ、ということしか知り合いのミュージシャンからも入ってきません。

何もないことは、頑張って生きようとしている、復活しようとしている証拠と捉えています。

美勇士さんも自身の活動にも活発にやられており、今後はどうなるかはマル秘事項なのかもしれませんが、今現在は容態は変わらないと思っていましょう。
なので続けて祈りましょう。

美勇士さんもこのアメブロで自分のブロクを持っています。しかし、当然更新はされていません。
我々としても情報が知りたいので、彼にツイートし、ご返事をいただきました。

アメブロの復活を望んでいるファンが多いです。お父さんのファンの方もです。重ね合わせてしまうからですね。また再開してください。お願いします。 のようなツイートに、
     ↓  ↓
ありがとうございます!すいません、アメブロ放置で。。。純粋にパスワードがわからなくて、この一ヶ月家にいることが少なかっただけでーす!いかんせんアメブロからもらった指定のパスワードなんで、覚えらんなくて。

というご返事です。再度、

落ち着いたらで大丈夫です。アメブロの方でも忘れた方用の対応がありますので、まとまってゆっくりとできるときにお願いします。

と伝えましたので、ファンの方々、待ちましょうね。





8/24です。

全然、状況がわからずじまいですね。
美勇士くんは、ライブ活動であちこちへ回っています。
そのことから、ある程度は安定していると思います。

昨日、内田裕也氏が一言だけ言いました。
桑名さんは小康状態が続いたままだということです。

でも生命力が強いですね。
皆さん、祈りと期待をしましょう!


8/13です。

久々に美勇士くんがツイッター等で、桑名さんのことを語りました。

おやじが倒れてから今で丸一ヶ月!最初は12時間と宣告され、次に3日、2週間以上持った人は見た事ないと院長から言われ、、、一ヶ月。桑名さんの生命力はナメたらあかんで~。

我々も同じ気持ちですね。
目を覚ましてもらいたいです。


8/11です。

またこれっと言った情報はなし。
音沙汰無いのは、大丈夫な証と捉えています。

先日、是方博邦さんが話していました。
神戸のほうへライブに行った際に、病院までは行ったのですが、丁度面会を規制していた時だったので、お会いできずに戻ってきたそうです。
でも何かを感じたので大丈夫と祈っているということ。

3年半、桑名さんとティアドロップスで一緒にやり、多くを学んだ、とお話しされていました。


8/8、9、10です。

特に情報はないですね。


8/7です。

ハッピー・バースデー 桑名正博!

美勇士くんが桑名・アン元夫婦について語りました。

脳幹出血で意識不明の重体に陥った直後から、美勇士くんは病室で1日も離れずに看病し続けている。
前妻であるアン・ルイスさんとのあいだに生まれた、一人息子が今まで決して表にならなかった2人の秘話を静かに語り始めました。

「ロスに住むアンに電話して、『オヤジが倒れた』と伝えたら、驚いていましたけど、涙を流すことはなかった。正直、冷たい人だと思いましたよ」

だが直後、アンさんのフェイスブックに『praying…』というひと言が書き記された。
美勇士はそれにヒントを得て、『桑名正博祈りプロジェクト』を立ち上げたと言うことです。

現在、美勇士くんのもとには、老若男女問わず、海外からも、数万通に及ぶ激励メッセージが届いているといいます。
ある日、眠い目をこすりながら、毎日送られてくるメールに目を通していると、ふと『Prayers』というタイトルが目に入った。アンさんからのメッセージでした。

『私があなたにこんなことを言うとは夢にも思わなかったけど、いっぱいのありがとう』

強がりなアンさんが、ローマ字で伝える魂の叫びだったようです。
隣で目を閉じたままの桑名さんに、すぐさま読み聞かせた。
すると、ふだんは穏やかな桑名さんの心拍数が上がった。

これは間違いなく、アンさんの気持ちは届いた瞬間だったのだ。
美勇士くんは涙を流した。

「感動しかなかったです。最初に電話したとき、息子に悲しみを悟られたくなくて、冷静なフリをしていたんだなって。本当は、アンは桑名を尊敬していて、好きだから結婚したという気持ちがずっと残っています」

当時、泥沼離婚が報じられ、世間から、絶縁状態と思われていた女と男は、回り道をしながら、夫婦時代よりも深い仲に変わっていたようです。

「アンから始まった僕らの祈りが、必ず桑名に届き、再び起き上がることを願っています」


この記事を見ながら涙腺が爆発しているおいらです。



8/6です。

桑名さんを激励するサプライズライブが5日、大阪市内で開催されました。
別途記事にて。



このたび桑名正博Inori Project発足!  masahiro_inori@yahoo.co.jp
みなさん、励ましのメールをお願いします


8/5です。

今日、5日に行われる桑名さんのバースデーライブ「生きてるうちが花なんだぜ」(大阪・なんばHatch)の模様が、桑名さんの病室にインターネットの動画サイトで生配信されることが4日、分かりましたた。

 「生きてる―」は元々、桑名さんの40周年&バースデーライブ。先月15日に脳幹出血で倒れ、意識不明の状態が続いているが、美勇士くんらが出演することで決行。
回復を祈る出演者の歌声が桑名さんの耳に直接届けられることになった。
事務所関係者によると、「Ustream」で配信されるが、残念なことに、一般公開は予定していないという。

 桑名は2日に呼吸器のチューブを胸部に移すための気管切開手術を受けたが、4日も容体に大きな変化はないという。


8/4です。

美勇士くんのインタビューです。

緊急搬送され「持って12時間」、「医学的に診ても10日から2週間」と宣告されてから3週間。
その生命力に「さすが桑名正博」という美勇士くん本人だが、余命宣告を受けた当初は「絶望しかなかった」という。
医師からは「脳幹出血の程度がかなり悪いものだった。首から下は正常だけど、脳死に近い状況」と説明された。
一時は「ピクッと動いた」など復調の兆しもみられたが「脚気といった反射神経と一緒。聞こえることも感じることもない状態なんです。ただ心臓だけで生きてる状態」だと話した。

 親交のあった数多くの著名人が見舞いに訪れ、ファンから絶え間なく声援が送られる。同じ症状から奇跡的に回復したという実例が記された応援メールが届き「見守るしかない」と決心。「0.0001%でも可能性があるならば、寄り添って行く。だって、何かやってくれそうじゃないですか。この1分、1秒を生きていることが、すでに医学的にはおかしいこと。だから、奇跡は続くと信じてます」。

 身内やスタッフらの助けを借り、24時間体制で桑名さんを看病できる環境も整ったことから、本格的にライブ活動も再開している。美勇士くんは「きょうのライブを機に、自分の生活も戻していく。僕らにも家庭や生活があるし。本人(桑名)が頑張っている以上、僕らも頑張らないと。これから、1個1個のライブが、親父にメッセージを飛ばしていくライブになる」。

 中止になった50本近い桑名さんのライブについては「別の形で、できることを考えてやっていきたい」と語った。

 7月22日のライブでは桑名さんの「月のあかり」や母アン・ルイスさんの「Honey Dripper」を涙ながらに披露して病床の父にエールを送った美勇士くんだが、この日のライブでは両親の曲は封印。
ギターをかき鳴らして熱いパフォーマンスで会場の観客を沸かせていた。



8月5日桑名ライブ、出演者は当日サプライズ! 

脳幹出血のため入院中の歌手、桑名さんが8月5日に大阪・なんばHatchで予定していたバースデーライブについて、妹で歌手の晴子さんがプロデュースする「サプライズ・バースデーライブ」にタイトルと内容を変更して開催することが26日、正式決定しました。

晴子さんや美勇士くんをはじめ、10組超のアーティストが出演予定。顔ぶれも当日のサプライズにし、事前に発表しないといいます。
「見舞いに駆けつけてくれたり、大阪にゆかりのある顔ぶれになるだろう」と関係者。
一方、誕生日の7日に長野・軽井沢で予定していたバースデーライブは中止となった。

所属事務所によると、桑名の容体は意識不明のままで、予断は許さないが、大きな変化はなく比較的安定しているといいます。


8/3です。

今のところ変化はないようです。


8/2です。

手術の詳細とその後です。

手術は、のどと胸の間を切開し、呼吸器具を直接、気管に挿入するもので、所属事務所の担当者は「術後も血圧、脈拍に大きな乱れはなく、顔の血色も良く安定している」と、成功を報告しました。
今回の手術は、長期闘病を見すえ、呼吸機能の確保をはかった形です。
栄養については点滴での補給が続き、数日前から栄養のカロリー量を増やしているということ。

またこの日、入院後3回目となる脳のCTスキャンも撮影。
先月15日に倒れた当初は「最長でも2~3日しかもたない」と言われていたが、血圧や心拍数、脈拍などが奇跡的に回復し、依然として意識は戻らないものの、安定した状態が続いています。
ただし、この日の脳部の撮影結果について、主治医は「1回目、2回目と変わりはない」と説明したという。

このあたりが少し残念です。


美勇士くんからの、手術後の情報です。

無事に気管切開手術終わり、安定してます!これで喉も守られるし、本人も楽になったと思う!今日までにたくさんの千羽鶴も届いてます、ありがとう。
そして明日は初台ドアーズでライブ!出番は20時40分!おやじが倒れてから初めての東京でのライブだ~!

良かったですね。私らも安心しました。


昨日、泉谷しげるさんが桑名さんについて語りました。
「桑名はやんちゃくんだから、倒れる2日ぐらい前にもおそらく酒飲んでたのかもしれない。ロックとしては格好悪いと思うが、身体には気を遣わないとダメなんだよな。なんでいいヤツがそういうことになるのかね」と泉谷さん。
「奇跡を起こしましょう。絶対大丈夫だから。死んでも認めない。絶対殺さない!桑名、ガンバレ!」と闘病中の桑名に熱い言葉を送ってくれました。



8/1です。

31日の会見でもあるように、明日、気管切開の手術です。

難しいものではないと言うことですが、医師からは当初、「年齢的に持って2週間」との厳しい見通しを伝えられていたというが、その2週間が経過。そのため30日に医師と家族が相談し、8月2日に気管切開手術を施すことを決めたという。
現在、桑名さんは口と鼻から呼吸器のチューブを通しているが、負担を軽減するため、のどからチューブを通す手術になります。


エフエム世田谷の番組でも、ニュースを取り上げてくれました。
そして夜の海をかけていただきました。小野寺さん、いつも有難うございます。

7/31です。

美勇士くんと主治医の会見の内容です。

まず大事なことは、。「相当強い心臓と精神力の持ち主」と驚く主治医に、口から入れている呼吸器の代わりに気管を切開して喉の下部から管を通すことを勧められ手術の承諾書にサインしたという。

美勇士くんは「病院側も『もっと頑張るだろう』ということで、このまま長期戦。医学を越えた何かが起こるかも」。関係者によると、今回の措置には「桑名さんの声を守る意味もある」という。

今月15日に倒れ、脳幹出血で重体になっている桑名さんについて美勇士くんが31日、大阪市内の病院で会見をしました。

入院当初、美勇士くんは医師から「12時間もたない」と言われ、峠を越えると「3日もたない」と告げられた。
ところが「それが1週間、2週間ときて、もう、16日頑張っています。
僕らはもう、本人が旅立つのを待つしかないと思っていましたが、お医者さんが『見たことがない』という2週間も過ぎました。希望をもっているところです」

と、率直に現在の心境を語ったのです。

また、桑名さんは肺炎を発症したものの、すでに回復傾向にあることも判明。
医師からは「相当に強い精神力、相当に若い心臓の強い力がある」とも説明を受けたといいます。
ただ残念なのは、「この状態から起き上がった人はいない」とも言われ、冷静に受け止めてもいる。見舞客が「足が動いた」などと話したことには「残念な訂正の報告ですが、あれは本人の意思で動かしている者ではなく、体の反射のようです。お医者さんは『かっけ(の検査)と同じようなもの』と言っていました」と話しました。

でも、「諦めずに奇跡を信じて声を掛け続けていく」と語りました。

美勇士くんによると、桑名さんは8月2日、呼吸器を直接挿入する気管切開の手術を受け、入院後3回目の脳のCTスキャンを撮るといいます。

少しでも何か奇跡に繋がることが判明するように祈るばかりです。

8月7日の桑名の誕生日を前に、大阪市内で同月5日、親交のあるミュージシャンが集まり、回復を祈るライブを行います。
本来決まっていた、自身の公演ですが、中止することなく、開催されます。

我らもがんばって祈りましょう。



みなさん同じ気持ちです。頑張れ、桑名さん!


やはり容態に変化はないようなことを知り合いが話しております。
安定と言うのもおかしいですが、悪い方向には行っていないようですが、
いつ、容態が変わるか分からないので、不安ですね。

チーム世田谷のやっちゃん 好き勝手なテキトーブログ