面白いテーマやるやん!
お茶教室でこれをめっけたのでいってきました。
利休の子供少庵。
この人が京都の三千家の二代目にあたります。
ここから今までつながってきてるわけですが、
この人は利休と血縁関係はないんでございます。
再婚した嫁の連れ子。
(母は利休の娘お亀という噂もあり。)
血縁関係のあるものとしては道安がいました。
それやのに、なんで道安やなく、少庵の筋に流れていったのか。
それが、知りたかった。
自分が納得できる話が欲しかった。
北山の表千家会館は場所がいいですよね。
行きやすい!
駐車場もただ!
美術館を見回っただけでは茶道具だけでしたので、深くはわかりませんでした。
まぁ、こんなもんかな~って思ってたら行った日に表千家会館で市民講座があるってのがわかりました。
村井 康彦氏の講座で。
テーマはこれです!
「少庵と道安」
千家の家督・茶統がなぜ実子の道安でなく養子の少庵(後妻宗恩のつれ子)に受け継がれたのか、という疑問は古くから持たれて来ました。
利休賜死から千家再生までの間になにがあったのか。限られた史料の検討を通して、今年四百年忌を迎えた少庵(1546~1614)の存在とその役割を確かめたいと思います。
これじゃ~~~!!
思わず叫んじゃったよね。
この公演は地下でありました。
とにかく、係りの人に参加したい~~!
って猛アピール!!
そしたら、ちょっと待ってや~~。
となって、、、、。
空きがあるっ!!ってことで奇跡的にはいれました。
ほんまは事前予約が必要で往復はがきで申し込んでって話だったんですが、
当日キャンセルがあったみたいで、その枠で入れました!!
村井先生のお話はとても緻密で面白かったです。
まるで、400年前にタイムスリップしたかのように当時が見えてくる。
当時の資料から、物的証拠をあぶり出し、人間関係もあらゆる方向性から分析していく。
そうして、出てきた内容は先ほどの資料にがっつり書いてあります。
もちろん購入済み。
結局どういう話かと、村井先生の話とはちょっと外れる僕の見解。
大きかったのは
道安には男の子供がいなかったこと。
利休の茶道具は全て、秀吉の指示で少庵の子供である宗旦にいったこと。
鎖国が始まって江戸時代になると貿易国であった堺が急に勢いをなくしてしまったこと。
これらが、要因で道安の筋は100年もせず、絶えてしまう。
利休の死後は千家は二つあった。
堺千家と京都千家。
これは道安と少庵と言い換えられる。
経済的、文化的状況から堺千家は継続ができなくなり絶えてしまう。
逆に京都では宗旦という千家史にみても規格外の大茶人が出てくることとなり。
利休の死後、織部、遠州などに受け継がれていた茶道頭も宗旦の子供から各地の大名から指名されるようになり、そこから現在まで続く三千家となる。
自分のなかで納得。
これで枕を高くして寝れますな!(笑)