壁に項垂れる板野と山本。
それを見下ろすかのように悠然と構える戸島。

「ともちん、悪いけどついてきてもらうね」

一瞬の内に戸島が目の前に現れる。
肩に置かれた手を板野は払いのけた。

「やめてッ!」

「………ありゃりゃ、これじゃあ力づくも仕方ないね」

戸島は不敵に微笑む。
板野は戸島から放たれる異様な空気を察していた。
確信はない。確信はないが戸島は何かしらの不思議な何かを起こしている。
自分たちには考えられない否、持ち得ないものを持っている。
危険はわかっていた。だから目を凝らし片時も気を緩めなかった。
しかしそれは突然起こる。

「ぐわぁッ!?」

板野が再び壁へと吹き飛ばされる。
瞬きも目を逸らしてもいない。
それなのに気づけば吹き飛ばされていた。

「無駄だって」

戸島が小さく微笑む。

「どーんなに考えたって無駄」

「…うるさい」

板野は再度立ち上がる。
ボロボロの体をふらつく足元を無理矢理動かして。

『諦めたらそこで終わりだよ』

誰が言ってたっけ…
あぁ…たかみなか
ったく…こんな時ばっかり浮かんでくる…
あーあ、知らない間にうざくなったな私

いつも無気力だった。
どんなことにも熱くなれず気持ちは覚めていた。
それなのにみんなといてAKBにいて何かが変わったのかもしれない。
少なくとも諦めることは知らない。

「うりゃあッ!」

手元に転がっていた湯飲みを戸島に向かって投げた。

「往生際悪っ」

戸島の背後にスタンドが現れた。





「え…?」

まただ。また…。
板野の目の前に戸島が現れる。
困惑と動揺が板野の投げた湯飲みが割れる音で我に戻った。

「ごめんね、ともちん」

「…………った」

「え?」

「……わかった」

板野が呟く。
その眼差しは僅か数センチ先の難敵へと向けられる。

「戸島花…あなたの力がわかった」

板野の言葉に戸島はニヤリと笑みを浮かべた。

「瞬間移動や高速移動じゃない…まして漫画みたいに時間を止めているわけでもない…」

戸島は沈黙のまま聞いていた。

「意識…意識を止める力…」

戸島が目の前に現れた後、湯飲みが割れた。
それはすなわち湯飲みと同時に戸島も動いていたということ。
つまり戸島が何かをしていたのではなく、板野自身が何かをされていたのだ。

「せいか~い」

戸島は悠々と拍手を送る。

「そう、わたしの能力は無意識中の無意識。つまり対象の意識を数秒失わせる」

板野の予想は当たっていた。
しかし力が判明した戸島に焦りはなかった。
もしかして、そう考えたのは初めからだった。
最初にここへ現れた時もまるでずっといたような感覚。
自分が気づかなかったかのような感覚だった。
だから確かめた。確証を得るために。
身を呈して湯飲みを投げ再び戸島に能力を使わせた。
だがその努力も水の泡だと気づく。

「わかったからってどうにかなる訳じゃないでしょ」

残酷に告げられる。
わかりきった事実を。

諦めない。諦めてはいない。
ただ今の状況は絶望だった。
どうにもすることはできない努力や奇跡の範疇外。
思わずと仲間の顔が浮かんでくる。
これを走馬灯というのだろう。
思い出が涙と一緒に溢れてくる。

彼女の脳裏に過ったのは戦友であり旧友の姿。
ここまでたくさん迷惑をかけた。
見放さずいつも見守ってくれた。
前田敦子がいなくなって身心共に枯れ果てかけた彼女を支えなければいけないと誓った。
それなのに…。

「ごめんね………たかみな…」

ふいにあなたへ送る最後の言葉。











.
「ちょっとジュース買ってくるね」

峯岸が城を誘う。
嬉しそうに頷くと腕にしがみつき峯岸について行った。
二人の後ろ姿を眺めながら板野が微笑んだ。

「人なつっこいんだね、城ちゃん」

「いやぁ、板野さんたちが優しいからですよ」

山本も笑みを浮かべる。
彼女はいつも東京での仕事は一人だ。
慣れない土地に、周りは面識の少ない先輩ばかり。
初めは寂しく不安が多かった。
それでも気にかけて話しかけてくれたり隣にいてもらえた。
温かい優しさで今ではとけ込めるようになっている。

「ほんまよかったです」

山本は小さく呟いた。
それは上手く馴染めた城に、そして目の前にいる大先輩たちに対する敬意だった。

「そしたら予習だけしとこ」

山本が台本を手に取る。
ページをパラパラと捲っている時だった。
板野が突然声を上げ地面に転がった。
頭からは少し血が垂れている。

「大丈夫ですか?!」

山本が駆け寄る。
板野は痛みに悶えていた。

「彩ちゃん…逃げて…」

板野が必死に呟く。
第一声のそれに山本は驚いた。
その言葉の意味が分からない。
一体どういう…そう考え込んだ一瞬だった。

「え…?」

抱き抱えていた板野の体がない。
消えていた。ここにあったものが無くなっている。
辺りを探すと板野は壁際でもたれ掛かるように項垂れていた。

(ありえへんッ……こんなことありえるわけがないッ!)

瞬間移動した板野を凝視していたほんの一瞬だった。
体に走る衝撃。痛み。
山本自身も板野と同じ壁際に移動していた。
否、壁へと吹き飛ばされた。

「やっほーい」

突然元いたところから声がする。
聞き覚えのない声。
傍らの板野に目をやる。
そこにいた板野の視線は一直線に声の主に注がれていた。
怒り、困惑、驚きを乗せて。

「わたしたちに何をしたの…?」

「何って、ちょっと突き飛ばしただけだよ」

板野が睨み付ける。

「そんなに恐い顔しないでよ」

「惚けないでよ…………戸島花ッ!」

「ガオー」












「よいしょっと」

峯岸は自動販売機のボタンを押す。
出てきた缶ジュースを城に渡した。

「ありがとうございます」

城は受け取ると温かいそれで手を温めた。
峯岸は板野たちの分も買い取り出した。

「持ちますよ!」

城は峯岸から缶ジュースを受け取る。

「ありがと」

二人は板野たちの元へ帰る。
仲良く並び戻ろうと歩いている時だった。

「きゃあぁっ」

城の悲鳴と共に手に持っていた缶ジュースが弾けた。
容器が破裂し中身が飛び散る。
するともう一つの方も大きな音を立て割れた。

「城ちゃん、大丈夫?!」

峯岸は咄嗟に城を抱き抱える。
手から離れた缶もまた地面に落ちるのと共に破裂した。

「一体……何が……」


すると傍らにあったごみ箱が弾けたように中身が飛び散る。
周りの物が次々と弾けていく。
そして照明の蛍光灯が割れ灯りを失った。

「驚かしちゃってごめんねー」

廊下の先から足音が近づく。
峯岸はその声が誰か分かった。
猫なで声でどこか気の抜けたしゃべり方。
懐かしく駆け出しの頃を過ごした仲間の声。

「ひぃちゃん…」

「暴れないでね、痛くはしないから」

駒谷はニッコリと笑みを浮かべた。











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高橋が話し終えると高城は深いため息をついた。
無力に倒れた自分を責める。

「………小嶋さんは?」

「大丈夫」

高橋が視線を移したそこには小嶋もベッドに横になっていた。

「にゃんにゃんはずっと前に目が覚めてるから今はただ寝てるだけ」

「よかった…」

高城は小さく微笑んだ。
しかし俯いた表情は曇りがかっていた。
守ると決めたのに、守るために得た力なのに守れなかった。
結果としては最悪の事態は防げたのかもしれない。
しかしそれは前田が現れてくれたからだ。
自分は何もしていない。
後悔と自責の念だけが彼女の心を駆け巡った。

「ちょっとジュース買ってくるね」

高橋は高城の気持ちを察した。
今は一人にしてあげよう。
力が欲しい。仲間を守れる力が。
そう思っていることは痛いほどよくわかった。
自分も同じだから。

各々の想いを胸に扉が閉まった。











「おかえり」

男は小声で言った。
しかし薄暗く閉塞されたその空間には男の声は思いの外響き渡った。
広大で静寂のそこにポツリと置かれた椅子に男は腰かけている。
その姿は不気味に異質な空気を醸し出していた。

「浦野回収完了です」

野呂が静かに言う。
隣には大堀が捕えた大堀と共に並ぶ。

「浦野にはまだ利用価値がある」

男の眼鏡が卑しく光る。

「浦野は牢に入れておきます。ですが…」

「前田か」

「はい…」

野呂が頷く。
男は不敵に微笑む。

「おもしろいじゃないか」

それだけだった。
それだけ呟いて口を閉じた。
大堀は浦野を連れ去っていく。
残った野呂は椅子に深々と腰かける男に言った。

「『遺体』の適合者は必ず捜し出します。すでに刺客は送り込みました」

男は黙ったまま野呂の言葉を聞く。
頷くことも返事をすることもなくただ黙って眼鏡の奥から覗き込む。

「『天国』への扉を開くために…」

野呂は案じるように唱えた。
振り返り立ち去ろうとする。
すると後ろから声を掛けられる。

「野呂」

「………はい」

「任せたぞ」

野呂は無言で背中向けたままでいる。
俯き影のかかった表情は影がかかって見えない。
しかし彼女の気迫が物語っていた。
期待に応えられるように、失望させないようにという決意が。

「任せてください、秋元先生」

その一言はとても力強く、そして揺るがぬ眼光を放っていた。













「よろしくお願いします」

少女は深々と頭を下げた。
テレビロケの為に集められたメンバー。
そこに難波の二人も加わっていた。

「いいよいいよ、そんなにかしこまらなくて」

峯岸が笑みを浮かべて言った。
その隣で板野も微笑みを浮かべる。

「わからないことがあったら何でも言ってね、城ちゃん」

「はい!」

少女はニッコリと微笑んだ。
初のAKBとの仕事だったが先輩たちの優しい心遣いに緊張は解れた。

「なあ?優しい人たちやろ?」

山本が微笑みながら城に話しかける。

「はい!」

天真爛漫なその笑みは太陽よりも眩しく見えた。











「みぃちゃんとともちんみ~っけ」

「手間が省けたね」

どこからか不気味に囁く声。
それは新たな波乱の火種であった。

「のんてぃーに怒られるの嫌だしさっさと終わらせよ、花」

「わかってるわかってる」

狙われるは一期生の二人。
狙いを定めるも一期生の二人。

「ぴーよ、足引っ張んないでよ!」

「そっちこそじゃーん」

「じゃ、行きますか」

二人の気配が消える。
確実に仕留めるその機を狙う為に。
精密に磨がれた毒牙が牙を向く。

「がおー」











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