ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。
アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を
こうしたやり方で殺したのである。
1966年2月26日、韓国軍部隊は137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、
数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
8月までに、"勇猛な"朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。
ブガツ省では、3万5千人の人たちが、"死の谷"に狩り立てられ、拷問を
完膚なきまで加えられてから全員が殺された。
10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。 これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に
結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦したとの報道もあった。
かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を
川の中へ投げ込んだ。
放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪――こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。
母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を
免れることができないのだ。
これは、たった一都市に起きた"南京大虐殺"どころの話ではないのだ。
これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、今日の"ベトナム民族大虐殺"なのである。
つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに
出るのを妨げているのである。
指導層は言うまでもなく、一般の南ベトナム国民はミライについてあまり抗議の声もあげず事件そのものにたいした興味さえ示さなかったのである。
この地域ではこうした作戦行動は一向に珍しい事ではなかった。
とくにそれはアメリカの同盟軍としてやってきた韓国軍がよくやった事だった。
しかも民間人の大量死がほとんどアメリカの航空機と大砲から浴びせられる高性能爆弾による事を知っている南ベトナム人としてはその事件の殺し方が変わっているからといって騒ぎ立てる事もなかった。
彼らは空中や遠く離れたところから女子供を殺すやり方をアメリカ式戦争方法のひとつとして観念していた。
「ベトナム戦争報告」筑摩書房 D・エルズバーグ P225.226
著者国防次官補特別補佐官、ランド研究所職員、南ベトナム平定計画担当員
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こんな話はネットを少し探せばボロボロ出てきます。
南京大虐殺とかアメリカではあまり話題に出来ないのは、もともとそれほど問題にならなかった南京事件に比べて、ベトナムでは自分たちがあまりに酷いことをしてきたことが記録にもしっかり残っているからなのです。
しかし、その酷い仕打ちの中でもベトナム人はアメリカの事をそれほど悪くは言いません。彼らの中には良い人たちも多かったからです。これは日本人も中国で結構人気があったのと同じです。
でも、韓国軍は違う。彼らは赤狩りだ共産主義者を殺すと言いながら、相手にしたのは、女や子供主体です。
弱い相手としか戦い?ません。
特に女の場合は、強姦してから殺すことも多く、そして体を傷つける事が多かった。
また、遺体を埋めたところをブルドーザーで掘り返すとか、とんでもない事を平気でやってきました。
旭日旗を戦犯旗として流行らせようとしているようですが、本当にベトナムで忌み嫌われているのは韓国旗ではないでしょうか。
このベトナムの事件は、いくらでも証拠が出てきます。
ライタイハンしかり、写真も捏造ではなく沢山あります。
日本のネットでドンドン拡散させてやりましょう。