12人産んだ助産師HISAKOさん。
文章書くのも絵を描くのも大の得意と自称されていますが、他者創作物への類似がしばしばママスタで指摘されています。
大人としてあまりにも恥ずかしく、これまでとりあげる気にもなれずスルーしてきました。
しかし縁起物として広めた絵が商品利用されるにいたり、HISAKOクリエイティブのありようを記録するべきと思い直しました。
ママスタでの指摘も参考に、さかのぼり記載します。
2023年1月8日追記。
ほかにもあり、長くなるのでテーマ「コピペ」新設しました。
赤富士の絵
「陣痛中に描いた赤富士は子宝を授かるお守りになる」というジンクスから描かれたもの。
描いている最中(撮影許可は下りていない病室内)、今回の商品販売、いずれの動画でも、「わたしが描いた」「本気モード」「かわいい」等の発言があり、完全にオリジナルであるとの印象を与えています。
助産師さんが描いている様子と配布されている画像
限定ボトルとして商品化
酷似したパステル画。公開時期はわかりませんが、助産師さんが描いた2020年よりかなり前の作品のようです。
※画像等のコピー、転載禁止とありますので、リンク先をご覧ください。
追記。他の赤富士
第10子さん出産時のブログもありました。
実はわたし、絵心があります!←自分で言う〜^ ^
学生時代から図工、美術はオール5でした!
やるからには。
描くからには。
もともと、絵を描くことが好きだったので
どうやら久しぶりに「絵を描くスイッチ」が
作動してしまったらしく。
好きなことだからこそ、妥協はありません。
なんだかウキウキ、燃えてきてしまいました!!
妥協なく描かれた絵に似た絵
ブログは類似部分を並記します。
青が他の方の記事、赤が助産師さんブログです。
不登校記事
助産師さんブログは、自身とお子さんたちの体験、発言として書かれていますが、ネット上の記事と酷似しています。
不登校新聞 2022-07-13
2022-08-30
子どもの不登校、親は何もしなくて大丈夫!
関連動画
記事
小学4年生の夏休み明けから不登校になったAさんは、週1で適応指導教室へ通いながらがんばり続けていました。しかし、その緊張の糸がある日、パチンと切れてしまいます。昼夜逆転し、お風呂も入らず、ご飯を何も食べない日もあり、自宅でひきこもるようになります。
ブログ
部活の友達関係、パパママの関係に悩み
とうとう緊張の糸が
プツンと切れてしまいました。
昼夜逆転し、お風呂も入らず
ごはんも食べない日もあり
自室で引きこもるようになりました。
Aさんの場合は「朝は社会が動き出す時間だからイヤだった」とのこと。同学年の子どもが登校する声が聞こえてきたりするのもつらかったそうで、その時間をやりすごすために、昼夜逆転したわけです。
後に聞くと
朝は世の中が動き出す時間なのに
流れに乗れない自分が耐え難く
目をつぶりたくなったそうです。
その時間を、無でやり過ごすために
自分の心を守るため
意図的に昼夜逆転になったわけです。
Aさんの母は朝食をつくりながら、深夜のラジオ番組の内容をしゃべる娘の話を「そうなんだ」と聞くばかり。また、「お風呂に入ったら」とはいっさい言いませんでした。
ときどきリビングに出てきて
趣味の話をする子どもに
へ〜そうなんやーと聴くだけ。
お風呂に入ったら?も
言わないようにしました。
Bさんの母は、やせ細る娘を前に「生きた心地がしない」と思いつつも、食事することを無理強いしなかったと言います。
次第に痩せていく姿に
生きた心地がしませんでしたが
食事することも無理強いしませんでした。
その後、Aさんはフリースクールのスタッフに、BさんはNGO団体の職員として働いています。
あんなに苦しんだのが嘘のように
今、子どもは立派に自立し
社会でキラキラしながら活躍しています。
マタニティフォトへの想い
助産師さん自身が被写体となったマタニティフォトを公開するにあたり書かれたブログ。
写真家さんのインタビュー記事に酷似。
アマナインサイト 2019-10-23
2020-10-19
記事
写真がその人だけが持つ記憶や経験に結びついたとき、僕がまったく想像していないような物語が立ち上がる。それを見届けられたらすごくうれしいですね。
ブログ
写真を見た人たちの感情が
自分だけが持つ
記憶や経験に結びついて
わたしがまったく想像していないような
ストーリーとして立ち上がったら
嬉しいなぁ〜。
それを淡々と繰り返すことで、たとえ地球の裏側でもやっぱり同じような生活があるし、「世界はそのままでも美しい」というのが浮かび上がればいいなと思ったんです。
世界はそのままでも美しい。
人も同じです。
写真は「真を写す」と書くので、どうしても本当のことだけが写っていると思われてしまうのですが、自分にとっては「世界がこうあってほしい」という祈りに似ていて、現実のすべてや真実だけを写そうとは思っていないんですよね。
写真は「真を写す」と書きますが
現実のすべてや真実だけを
写そうとは思っていません。
わたしにとっては
「ママたちがこうあってほしい」
という祈りに似ています。
たとえば、エッフェル塔を真正面から撮ってそのまま“エッフェル塔”として見てもらうというのは僕の役目ではないと思うんです。それはたぶんほかの誰かがやってくれる。この写真集にガイドブック的な要素を載せる必要はなくて、それとは違う「視点」によって見える光景に気づいてもらったり、気づくきっかけを用意するのが、僕のやりたいことなんです。
妊婦姿をありきたりなポーズや
シチュエーションで撮って
見てもらうというのは
わたしの役目ではないと思うんです。
それはたぶん、芸能人だったり
ほかの誰かがやってくれると思うから。
それとはまったく違う「視点」で
見えてくる光景に気づいてもらったり
気づくきっかけを用意することが
わたしの役目かな。
それでも人に見てもらおうとなったときに、越えないといけない大きな壁があって。それは写真にどれだけ社会性や普遍性を持たせられるか、ということなんです。そのためには距離が必要なんですね。対象から離れているから、見る人が入り込めるようになるのだと思います。だから、よその子どもくらいの感覚で撮っていますね。
それでも見てもらいたいのなら
その写真にどれだけ
社会性や普遍性を持たせられるかだと思います。
だからわたしは被写体である自分と
心理的な距離をとりました。
妊娠中のわたし自身の写真なんだけど
どこか、よその妊婦さん!
ぐらいの感覚で。
親の目線は愛情ゆえ、そのまま写ってしまいます。それは、見る人にとってはまだ近すぎるんですよね。だからぐっと耐えて距離を取るんです。
マタニティーフォトは
どうしても主観が入ります。
おなかにいる子に向けられたママの目線は愛情ゆえ
そのまま写ってしまいます。
それは見る人によっては近すぎて
入り込めないでしょう。
ラン活
11回目のランドセル選びにまつわる話、社会に絡めた部分はほぼ引用でした。
現代ビジネス 2019-11-19
2022-05-25
記事
このエピソードが示すのは、ランドセルは保護者の子どもへの気持ちが投影されるモノだという事実である。すなわち、子どもの成長と社会への順応を願う親の期待の形と大きさがランドセルに反映すると言える。
そして、ランドセルを通して、逆に子どもは社会に我が子を送り出す親の期待の重さをも背負っている。
ブログ
ランドセルは保護者の
子どもへの気持ちが投影されるモノ。
子どもの成長と社会への順応を願う親の
期待の形と大きさがランドセルに
反映されると思います。
だからランドセルは高価になっていく
一面があるのかもしれませんね。
ランドセルの重さは
社会にわが子を送り出す親の期待の重さをも
背負っている気もします。
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2022年年末に私が把握しているものは以上です。ほかにもあるのかもしれませんね。
センシティブな事象に断言、前後の文脈が乱れる不自然な言い回しなどでひっかかり、検索して見つかったものが多いようです。
新しい年には、助産師さん自身の言葉を紡ぎ、描き出し、本当の「HISAKOクリエイティブ」を見せてほしいな。
他者の言葉や絵に心が動いたのなら、同化レベルのうつしなどせず、心のままに「こんな素敵なものがありましたよ」と世界中のママさんたちに教えてほしいな。
他人のなにかを自分のもののように見せなくても、あなたはあなたのままで、十分に価値ある存在なのだから。
そうでなければ12人のお子さんたちが不憫すぎる。
それではみなさま、良いお年を。